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【雑記】子供の学びを邪魔をしない事が親としての役割。#5


子供に夢を託す

私は田舎に住んでいるだけに、塾や習い事を掛け持ちするだけの環境がありませんでした。まず習い事の数が少ないのです。あっても公文式とスポーツ少年団ぐらいです。

学校で勉強した後に、さらに塾で勉強する。何かが上手くなるために習い事に行く。

一流選手といった、世界で活躍する人間を育てるためには英才教育が必要かと思います。子供の成長に合わせ、適切な指導をする事で大人から始めるより、遥かに優れた選手になる可能性があるからです。

一流選手になって欲しい。誰にも負けない子に育って欲しい。世界で活躍できる子になって欲しい。親の達成できなかった事、親が望んでも手に入れられなかった物を手に入れて欲しい。

一言で言うと『子に夢を託す』でしょうか。

親の経験から必要だと思ったことを、子供にやらせる。もちろん、子供が望んで始めたことなら最高です。

私も過去に戻れるなら、もっとこの勉強をしたいとか、本を読みたいとか、このスポーツをやりたいとか望めばキリがありません。

それが叶わないから、子供にはそうなって欲しくないから、幼いうちから習わせるのかもしれません。

含みを持たせた書き方をしていますが、つまり何が言いたいのかというと、

『その習い事で子供は自ら考え、行動しているのか』

と、いうことです。

教えるのか、学ばせるのか

子供を見ていると、何をしてても楽しそうに遊んでいる姿が目につきます。

彼らにとっては、この世界の全てが新鮮なため、固定観念が何もないところから始める事ができます。

大人が何かを始める時はどうやりますか?今までの経験から紐づけてみたり、調べてみたりと何かしらの経験から組み上げていくかと思います。

では、子供はどうですか?

まず経験がないため、とりあえず思った事、考えた事を直感で取り組みます。前情報が何もないところで試行錯誤を繰り返しているのです。

大人だったら、すぐ嫌になりそうですよね。

それでも、楽しいと感じればずっと同じ事をやり続けます。遊びの中で試行回数を重ねる事で何か見えてくることがあるのでしょう。

それだけ子供には自ら考え行動する力があると思っています。遊びと学びが直結しているといえばいいのかもしれません。

幼少期の遊びがどれだけ大事かは、子供を育てていれば感じる所かと思います。大人が教えても理解できず、出来るようにはならないけれども、それに近しい事を遊びの中で偶然やって、褒められたら次からできるようになる。よくある光景ですよね。

教えられた事よりも、自ら学んだからこその習得です。

全国優勝させた指導者の講演を聞いて

以前、長野県の岡谷高校でバレーを指導していた壬生先生の講演を聞きに行った事がありました。

壬生先生は岡谷高校を全国優勝まで導いた指導者ではありますが、行き過ぎた指導者としても有名かと思います。人によってその人の教育論なんてもっての外だと言われるかもしれません。

私も行き過ぎた指導は間違いなく問題かと思います。ただ、実際に全国優勝させた事は事実です。日本で一番強いチームを育てた教育論とはどんなものなのか、そこに非常に興味がありました。

壬生先生は全国大会までは行けるけども、そこからどうしても優勝できない時期があったと言われていました。そこで、話を聞きに行ったのがその当時、バスケで何度も全校制覇を成し遂げた能代工業高校の監督だそうです。

練習を見学しても、そこまで違いがあるようには思わなかった。厳しい練習はうちもしているし、何がそこまで違うのか分からなかったそうです。

何度も何度も通って、それでもどこが違うのかが、明確に分からなかったそうです。行き詰まっていた時に能代工業高校の先生から伝えられたのは『誰が主役なのか』という言葉でした。

主役は生徒です。

そこから、生徒自身に考えさせるような指導方法にシフトしたそうです。今までの技術を叩き込むだけの頃と何が変わったかというと、試合中に生徒自ら考えて動けるようになった事でした。

全国で活躍できるプレイヤーが自ら考え行動するのだから、それはプレーが変わるはずです。

その指導に変えてから、結果として全国優勝に繋がったそうです。

私はせっかくの機会なので、壬生先生に質問してみました。

『指導の変化があったと言われていましたが、その変化とは具体的にはどのようなものなのですか?』

壬生先生は言われました。

『まず何か指導する時に、直接答えを言うのではなく、まず考えさせる。そこで解決できなければ、答えに繋がるようヒントをだす。一流と二流の指導者の違いはそのヒントを欲しているかを見極められるか、また適切なヒントが出せるかどうか』

だそうです。生徒が欲している答えを察して、適切なタイミングと適切な言葉で導く。確かに誰でも出来ることではありません。

指導者としてその競技の技術はもちろん、生徒との信頼関係があって初めて言葉が伝わります。指導とはこの事なのかと衝撃を受けました。

また、これはスポーツを教える指導者だけでなく、子供を育てる全ての親にも通づるところだと思います。

子供の学びの邪魔をしない

子供は固定観念に囚われず、自由な発想の中で生きています。その自由を奪ってはいけません。

特に幼少期は、自ら行動できるようになるか、言われた事しかできない子になるかの境目だと思っています。

せっかくお手伝いをしようと、親のもとに来たのに、忙しいからと突き放せば、次はありません。
ブロックで何かを作り、上手くできたから見て欲しいと呼ばれたら、よく分からなくても褒めなければいけません。

その一つひとつが子供の自己肯定感を高める事に繋がります。

壬生先生の講演の内容から察するに、まず初めに親としてやる事は、子供が欲する答えに気づいてあげられるかどうかです。ヒントはその次の話です。

習い事でもそうです。習いに行かせるのは結構ですが、そこで何を学ぶかです。ただその競技のみを教えられるだけでは行く意味は薄れます。しかも、自主性もなくやらされるだけでは、子供自身の考える力すら奪う可能性もあります。

子供がこれから生きていく世界は、私たちが生きている世界とは違います。私たちが想像もできない世界になっていくのです。

つまり、私たちの経験、感性を押し付けて考える事を放棄した子供は、これからの世界に対応していく事が難しくなるのです。
自己肯定感を高めつつ、自ら考え
させる事で新しいものに挑戦する気持ちが生まれます。

私たちは親として子供の学びの邪魔をしない、これを念頭に置く必要があります。

あくまで考えている子供にヒントを与えてあげる立場であると、一歩引いて背中を押してあげるだけでいいのです。

子供の前に立ち障害を取り除く必要はありません。それは、勝手に子供がやります。どうしても出来ない時だけ手を差し伸べれば十分です。

あとは、どれだけ子供を信じてあげられるかが、親としての器量になります。

これから先、うちの子供たちはどのように育っていくのかがとても楽しみです。目についたおもちゃを手に取って遊んでみたり、追いかけっこをしてみたり。

遊びの中で学ぶこの子たちの邪魔をしないように、私は後ろから見守りつつ、微笑ましい姿を楽しんでいようかと思います。


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