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カフェインを取りすぎた夜に vol.2

自分本位な気持ちだけで物事を決められなくなってきたなとここ最近思います。

一つの決定に対して何人もの協力と思考を重ねて決めなくちゃいけないことが増えてきていて、自分でなにか決めたことをみんなで吟味して決める。
石橋を叩いて、壊して、もう一度作って渡るくらいの慎重さ。
昔は何をするにせよあんなに簡単だったのに。大人になっていってるんですね、僕もきっと。

でも、この「カフェインを取りすぎた夜に」だけは誰の意見も反映させず自分の言葉で書くようにしています。

ルールはたった一つ、眠れなくなった時に書く。

落とし所を決めない見切り発車大好きな僕らしい企画。

今日はインスタント麺の水の量を間違えてしまい薄味になったラーメンを啜りながら書いてます。夜食が欲しくなっちゃいまして、なんだか眠れません。



「昔はあんなに簡単だったのに。」というワードを書いて思いついたのですが、大人というフィールドに足を入れてから友達の定義が難しくなってきているなと感じることが増えました。

僕は友達だと思ってたけど、あなたは思ってなかったんだね、、ってことが多々あるような。

「子供の頃は人付き合いなんて簡単だったのに」

よく聞くワードであり、苦手なワード。

言葉自体が苦手というよりも、この言葉からは「大人になっても簡単な人付き合いだけを選びたい」という怠惰な気持ちが見えるから苦手です。

だって、そもそも人間関係は疲れるものじゃないですか。
大人は各々責任の下で生きているから相手に対して考えなくちゃいけないことが多い、楽なはずがないんです。他人の線を気にせずに上から自分の線を敷くような人は大人とは言わない。そんな関係がまかり通るのは子供の世界だけです。

子供の頃は「楽しい」が正義、
お笑い芸人のモノマネが上手い人、スポーツが得意な人、ゲームが上手い人。
この条件を満たしている人の周りにはたくさんの人がいたような気がします。
たぶんあの頃は気持ちだけで人付き合いが成立していたから楽しかったんですよね。めっっちゃ楽だし。

大人になって頭が発達してくると、他人に対して見える情報の量が増えていくから難しいんですよね。
好きかどうかだけで友達を選べなくなってしまう。僕もちょっと濁った大人です。



そもそも大前提、大人になった僕にとって友達と定義付ける物は一体なんなんでしょう。
根拠は分からないけどそう呼べる人がいることは確か。

きっと心のどこかでは「楽しい」だけで繋がっていたいと思っているのかもしれませんが、やっぱり僕の頭は各々の環境や生活が一番最優先事項。そのせいでどこか気を使ってしまい、そしてそれがよくない方向ですれ違ったり、傷つけてしまったり。

難しくて、疲れる関係。

難しくて疲れるのに、友達がいないと自分を構成するものが一つ減ってしまう気がするんで手が離せない。

結局どんなに凄いことを成し遂げても認めてくれる人がいないとそれはきっと自己満の世界になってしまうんだ。どんなに楽しいことに出会っても一人では飽きてしまう。どんなに美味しいお店を見つけても一人で食べるよりも誰かと食べたい。

だからきっと僕にとって友達と向き合ってる時間は、自分と相手を肯定する時間なんだと思います。
自分を肯定できない生活は苦しいし、そんな風に互いに認め合う時間を楽しいと思っているから手放せないんでしょうね。

でも、それを踏まえた上で話は戻る。
友達という関係を結ぶための前提は。結局なんなんだろう。

徐々にわかって行くものなんでしょうかね。

もしかしてそれがわかった時に立派な大人になれるのかもしれませんね。


ーーー


今回は思想回でした、僕のめんどくさい思考回路を露見しただけですが。(笑)
最後まで読んでくれてありがとうございました。


最後に最近のお気に入りを一枚。

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友達と神社巡りをしてとった一枚です。

一眼レフで流れる水を取るのって実はすごく難しいんです。綺麗に撮れたのでせっかくなので説明付きで紹介したかったので、ちょうどよかった。


それではおやすみなさい。

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