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オープン初日のこと

僕は普段から状況によって自分を変えている、要は「分人」をしてます。

人生の全局面をありのままの自分で走り切れるのならば良いのですが、残念ながら僕にはまだその器は備わってないし、なんせ24歳の青二才です。
全くもって天才では無い僕ですので、自我と目的を天秤にかける作業と、常に鏡の前に立ってフォームを確認する作業は欠かせないのです。


まず、好きな人達の前での僕。

限りなく素に近いのはここです。リラックスしてて、ほぼそのままの僕です。

でも、好きな人といるのはすごく疲れます。
人によってどんな話が1番効果的なのか、何をいうと笑ってくれるのか、どんな話の聞き方が効果的なのか、どんな言葉選びが正解なのか、常に考えながら話してるのはちょっと疲れます。でも、その気遣いを欠いてしまっては人間は成り立たないと思ってるのも事実です。

そもそも疲れない関係のことを友人と呼ぶんでしょ?という意見があるのは百も承知の上で僕は堂々と書きます。

好きな人といることは疲れる。なんて贅沢で幸せな疲労なのだろう。


次に、家族の前での僕。

ここが1番繕います。
仲が悪いわけでは無いのですが、僕は親と過ごしてきた時間がとても短いのです。

幼少期は膀胱の病気でほぼ入院生活をしてました。小学、中学は退院して実家で暮らしていましたが、高校に行くとなった時、学校が実家から遠かったので家を出て1人暮らしをする道を選びました。
なので実質親と一緒に過ごした時間は約10年くらいになるのかな?
人生の半分以上の時間は1人でした。
愛されていたのかどうかという話はさておき、1人の時間が長かったからこそ独りじゃないということがどれだけ素敵なことなのか気づけたし、だからこそ親という存在の尊さがわかったのも事実です。

なんだか畏まってしまいます。


次に、仕事で関わる人たちの前での僕。

半分は素、半分は繕ってる、って感じに最近なりました。

あえて最近なりましたという表現をしましたがそれには理由があって。
ちょっと前まで仕事は完璧な人間性を求められてるものだと思っていたのです。でも、ここ最近店を任されて気づいたことがあります。

人は結局のところ熱意にしか惹かれないということです。

利回りや結果のことを考えて効率的に物事を考えて仕事をこなす人は確かに立派でかっこいいと思います。頭も使うし、何より疲れます。
疲れることを率先してできるのは凄い才能です。

それをしっかり理解した上で思うことがあります。
僕が今回お店をオープンしていろんな人と関わりながらお店を作り上げていく中で強く心に残ってるのは、やっぱり自分の熱意をしっかり持って仕事に向き合ってる人でした。

そんな素敵な人たちを見て思ったのです、僕も料理に対しての情熱はどんどん外に出していいものなんだと。

でも、やっぱり仕事であることも確かなので、自我と目的は半々くらいで考えなきゃいけないと思ってる節がどこかにあるんだと思います。

ーーー


実は僕は普段から100%素の自分でいる時間はないんです。

常に他を意識して毎日を過ごしてて、人と関わることがどれだけ素敵なことなのかを知ってて、人と人との掛け合いの中でしか生まれない時間の尊さを知ってて、自分以外の誰かが居ないと自分という存在は成り立たないことを知ってる。

だからこそ、100%素の自分になれない。
それをしてしまって崩れてしまう時間や関係があるのであれば、それはしたくないと考えるし、素の自分になれないという事象そのものを不幸せなことだと全くもって思ってないのです。


でも、例外はあります。

嬉しさとか、興奮とか、エモーショナルとか、これまで歩いてきた道程とか、色んな要因と記憶が重なって成り立つ時間を迎えた時。頭の中で脳みそだけが浮かんでるような状態になって自我を失う時間がごくごくたまにあります。

日本には「無我の境地」という言葉があります。某とんでもテニス漫画に出てくる言葉なので聞き覚えはあると思います

この言葉の意味は二つあります。

仏教において自我へのとらわれから解放されて悩みや悪心など生じるはずのない悟りの状態のこと。もしくは、それに転じて一つのことに集中・没頭してること。


すみません、前置きが長くなってしまいました。ようやくタイトル回収です。

お前は一体何を言ってるんだと言われてしまうかもしれませんが、今日はあえて書きたいと思いました。

僕は本当にたまに、極々たまに。その状態になる時があるのです。

高校生の時にやってた陸上部、800メートル走の先頭でゴールして歓声が起きた瞬間。
大嫌いだった学校祭、初めて何百人の生徒の前でギターを弾いた瞬間。
大好きなバンドが出てるライブハウス、気持ちが昂りすぎてダイブした瞬間。

僕は、普段から無我になりたいと心の底で思ってる。無我の自分にだけ期待してる。

我を忘れて夢中になって、脳みそだけが飛んでいって、自分の体だけが残って、その時の自分だけで勝負したいと思う時間が、ほんの僅かだけど確かにあるのです。フォームなんて気にせずとにかく全力で走り切りたいと思う時があるのです。

そしてその時に僕は100%素の自分になります。

お店のオープン初日、思い返してみるとまさにその状態になっていた自分がいたのです。
これまで料理と向き合ってきた時間、積み上げてきた経験、負けてきた経験、支えてくれた友達の面々。

色んな要因が重なって。とにかく嬉しくて、楽しくて、無我になった時間。

そして、その要因の一つにやっぱり人がいるということが僕にとって本当に誇らしいことだと思ったのです。

どうしてこんなに他人と関わりたいのだろう?

どうしてこんなに他人と話したいのだろう?

それを解き明かす旅はまだまだ続きそう。

僕は仕事を通して無我になりたい、でもその根底にある気持ち

僕は人と生きていたい。

やっぱり、どうしても、人と生きてたい。


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