「内部留保」考

私は経済の素人だから、間違っていたら他の方々の指摘があるだろうとアテにしつつ、私の曖昧な記憶に基づいて書いてみる。
内部留保がたまり出したのは、90年代後半から2000年代初め頃までに、「銀行がお金を貸してくれない」ことが原因だったように記憶する。

90年にバブルが崩壊。これにより、銀行は多額の不要債権を抱えた。不良債権問題に対応するのに必死で、銀行はお金を企業に課すのが難しくなった。追い打ちをかけたのはBIS規制。貸し出したお金の総額と自己資本の割合(自己資本比率)が一定以下になったらダメ、という国際的な約束をしてしまった。

日本の銀行はもともと、過剰に貸し出す傾向が強かった。自己資本がそんなにないのに貸し出すお金は膨大。そんなことが可能だったのは、「日本では銀行はつぶれない」という神話があり、実際、大蔵省や日銀が銀行をしっかり支援して潰れないようにしていた。だから安心して多額のお金を貸し出せた。

ところがBIS規制という国際的な約束をしてしまった。一定の自己資本比率を超えた貸し出しはムリになった。このため、銀行はお金を貸すどころか「貸しはがし」をするようになった。「いったんお金を返してくれれば後で融資するから」しかしお金を返しても融資してくれなかった。これが貸しはがし。

2000年前後の日本は、まだまだ国際競争力の高い製品をいくつも持っていた。コピー機、デジカメ、カーナビ、携帯電話、などなど。「経済一流、政治は二流」という言葉がささやかれるほど、民間経済については非常に強く、投資意欲も高かったと言える。しかし銀行が不良債権とBIS規制に苦しんだ結果。

銀行が企業にお金を貸し出す機能を果たすことができなかった。企業はやむなく、工場を建てるなどの資金を自前で調達するしかなくなった。これが内部留保のはじまり、だったように記憶する。銀行という金融機能がマヒしたことで始まった。

ここぞ、というところで投資するために始めた内部留保だったはずなのに、「ここぞ」と決断するのをためらう経営者が多かった。従業員の給与を抑え、それにより内部留保を貯め、「ここぞ」の時のために備える。しかし、その備えをなんと20年も続けてしまった。

「内部留保を吐き出させろ」という声は非常に高まっている。私は基本、それに賛成なのだが、その声に若干、変な声が混じっていることが気になっている。投資家の声。「設備投資に使わない内部留保は株主に還元せよ」という声が、結構ある。そして内部留保に課税しろ、という声の中に。

内部留保を株主に配るように圧力をかけている人たちがどうもいるらしい。「労働者の賃金に回すべきだ」という表向きの理由に賛同しつつ、実際には株主に分配させようと企んでいる人たちもいるらしい。この点、要注意だと思う。内部留保を吐き出させた後、どこに吐き出すかによって話が違う。

私は、内部留保は、労働者の賃金か、設備投資に回すように促すのが筋だと思う。その点に注意しないと、内部留保が大量に株主に吸い取られる恐れがある。このことには十分注意しないと、日本企業の富が外国人投資家に吸い取られる恐れもある。十二分に注意したいところ。

企業が内部留保をやめられない原因にも目を向けないと、内部留保をやめるにやめられないように思う。それには、銀行の融資の機能、つまり間接金融の正常化が欠かせないのではないか、という風に思う。

日本は1986年の前川レポート以来、銀行が企業にお金を貸し出す「間接金融」から、株式市場を通して企業が資金を調達する「直接金融」に切り替えるよう、政策を続けてきた。その政策は、今も継続している。前川レポートの上に、現在の日本の政策も動いていると言ってよい。

しかし。そのことによって日本の強みは失われたのではないか、という気がしてならない。戦後昭和の日本があんなにも経済的に強かった要因の一つが、銀行による融資、つまり間接金融が非常に強力だったから。銀行は自己資本比率のことなんか心配せずに大量に企業にお金を貸し出した。

大蔵省は銀行が潰れることがないようバックアップした。こうすることで、少なくとも日本の大企業が設備投資に必要な資金が足りない、なんてことのないようにしてきたのが、戦後昭和の日本の強さだったように思う。アメリカはその分析に立ち、その強みの解体を狙った。

間接金融みたいな日本独特のやり方はやめて、今後は国際的にも主流になっている直接金融をやりなさいよ、と。日本は経済大国になったという自信にもあふれ、やたらとアメリカからかみつかれていた時期でもあったので、間接金融から直接金融へのシステム変更を承諾してしまった。

バブルは、そのシステム変更に伴って発生した面がある。日本は奥村宏「株価のからくり」の分析がなされたように、株の売買はほとんど行われない状態にあった。なぜかというと、企業同士で株の持ち合いをしていて、株を売らないという暗黙の約束をしていたから。

株式市場があっても、株を売る人はほとんどいない。となると、株は希少価値が出る。特に一部上場の大企業の株となれば、みんな欲しがる。だから高値で取引される。すると、株の価格が上がる。株を持っている企業は、株の資産価値が上がって、たくさんの資産を持っているように見える。

こうして日本は高株価を維持してきた。しかしアメリカの要求では、株の持ち合いという変な慣習もなくすように、というのがあった。しかし株の持ち合いをやめれば、売りに出した株が外国資本に買われ、日本企業が外国に乗っ取られる恐れもある。そこでおそらく当時の日本政府は、一つの画策をした。

NTT株を売りに出す際、狂乱価格になるように仕向けた。みんなが「これからは株だ!」と買いに走れば、日本の株価は爆上がりする。たとえ株の持ち合いを解消し始めても、株価が十分上がれば、外国資本に乗っ取られる心配は減るのではないか、と考えたのでは。

もう一つ、土地の価格も釣り上げた。土地の値段が上がれば、たとえ外国資本が日本を買おうとしても、高くて手が出なくなる。当時の政策担当者は、そう考えたのではないか。
こうして、株価と土地の値段が爆上がりする、バブル経済が起きた。日本の狭い土地でアメリカが買えるような、そんな狂乱価格。

しかし、バブル経済によって日本は世界でも圧倒的な経済力を示す一方で、内部で崩壊し始めた。イトマン事件で見られるように、ヤクザ組織が民間企業の侵食し始めた。このため、政府は「バブルつぶし」を決断した。日銀に三重野総裁が就任。

土地の売買を一定以下に抑える総量規制を始めた。この結果、土地バブルはやがて崩壊。狂乱株価も収まり、バブル全体が崩壊した。これによって困ったのが銀行。日本の銀行は、土地を担保として融資する場合が多かった。バブル経済で価格が暴騰していた土地価格で融資していたものだから。

1億円の価値がある土地だと思って融資したら、土地の価格が1千万円にまで下落するケースも。お金を借りた人は、土地を転売することで儲けようと思っていたのに、儲けるどころか大損。借りたお金も返せない。しかし銀行も、担保にとった土地が安すぎて、担保価値がなく、困った。

こうして日本の民間銀行は、1億円の価値があると思っていた土地が1千万円でしか売れない、あるいはその価格でさえ売れないという大量の土地を担保として抱える、「不良債権問題」に苦しむようになった。お金のやりくりが焦げ付いているので、企業に貸し出す余力を失った。

バブル経済は崩壊したが、日本のモノ作りは相変わらず健在だった。90年代当時はまだ、富士通やNECなどのパソコンメーカーも強かった。半導体もまだまだ世界一の地位を保っていた。しかし銀行がお金を貸せないので、企業は設備投資するお金が工面できない状況が続いた。

不良債権問題は結局、小泉政権でピリオドを打つまで解決できなかった。しかし不良債権問題を解決した時には、大蔵省は財務省と金融庁に分割され、銀行による間接金融の機能を、戦後昭和のように強力に推進する力を失っていた。

では、株式市場を通した直接金融ならどうか、というと。村上ファンドなど、ハゲタカと呼んでよいような人たちが現れ、企業は敵対的買収におびえるようになった。直接金融も良し悪し。企業は株式市場から資金を調達するより、自前で稼いで貯めた内部留保で設備投資の資金を工面することにしたようだ。

だからある意味、内部留保は、株の売買で企業を揺さぶり、お金を吐き出させようとする敵対的な株主から会社を守り、なんとか自前で開発を続けようとして行われたものであり、悪いとばかりは言えない。敵対的株主から身を守るためのお金、と言ってよいかもしれない。

こうした歴史的経緯を見ると、日本の企業は、株式市場を通した資金調達は、相性が悪い気がする。アメリカからの要求を飲んでやめた格好だけれど、株の持ち合いも今思えばなかなか巧みな仕組みだったように思う。株の持ち合いをやめたことで、日本は外国資本から身を守るすべを失っているように見える。

また、間接金融が弱体化したことで、さりとて株式市場を通した資金調達(直接金融)もうまくいかないことで、内部留保が無駄にたまったのだとしたら、もう一度、間接金融を見直してもよいのではないか、という気がする。銀行のシステムをもう一度立て直してもよいのでは。

世界に、間接金融の見直しをもう一度提案してみてもよい気がする。株式市場での市場原理は、ちょっと変化が激しすぎて、しかも欧米に超有利なシステム。日本は翻弄されっぱなしな気がする。モノづくりでコツコツが性に合う日本の場合、間接金融の方が相性よいのでは。

バブル経済が始まって以降、日本は株式市場を通した直接金融重視の政策を続けてきたけれど、それがこの体たらくを招いたのだとしたら、日本人の体質に合っている、間接金融を再度見直してもよいような気がする。これには、国際的なルールの見直しも必要なので難しい面はあるけれど。

欧米も、グローバリズムの弊害を感じている人たちが結構いるらしい。ならば、そうした有識者と連携して、間接金融へのシフトを提言し始めてもよいのではないか。このままでは、直接金融の雄であるアメリカとイギリスの一人勝ち。日本はただ餌食になるだけのような気がするが、どうだろう。

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