出藍のコツ

「教える」という行為は、知識のある者、すごい技能を持つ上級者が下級者に知識や技能をコピペすることだと信じられている。だからプロを教えられるのはプロだけだ、と。ただ。
全盛期のタイガー・ウッズに教えられる人はこの世にいなかったろう。でもウッズには、頼りにしてるメンターがいた。

私はサッカーに疎いが、ヨーロッパだかどこかのプロチームで、サッカーの経験がない監督がいるのだと教えてもらったことがある。
私のところに来ていた学生は、槍投げで関西チャンピオンだったが、指導者はいなかったという。自分で学びに行き、研究を重ねた結果の好成績だった。

こうした事例を見ると、「教える」という行為は上級者から下級者への知識のコピペではないことがわかる。
考えてみると当たり前。もし「教える」という行為がコピペなのだとしたら、超高性能のコピー機を使ったって、コピーは必ず原本よりも劣化する。劣化コピーなら、世代重ねるともう悲惨。

「出藍」という言葉がある。青という染料は藍から作られるのに、藍よりも青い、ということから、弟子が師匠を超える現象のことを指す。
もし「教える」という行為がコピペに過ぎないなら、出藍は、天才に生まれついた人がたまたま弟子入りしたからそう見えるだけの現象、ということになる。

ところが高校野球を見てると、監督次第で全然違ってくる。元々そんなに才能があったとは思えない選手たちが、監督の指導を受けてメキメキと上達するという現象がある。その監督にかかると、ともかくチームが強くなる。そして監督が変わった途端、弱体化する。

「教える」という言葉は、知ってる者、上級者が下級者に教える、というスタイルをそもそも暗示してる言葉だから、この言葉を使わずに考えてみると。教えなくてもその能力を引き出す指導法というのはあるように思う。

指導法は子どもの個性によって変える必要があるけれど、「意欲」をメルクマール(目安)にするとよいように思う。子どもや部下が意欲的に自発的に取り組めるようにできたらしめたもの。ほぼ自動的に学び、成長するようになるから。では、どうやって意欲を高めるか。

基本、やってることが楽しくなるように、だと思う。ではどうしたら楽しくなるか。それをやればやるほど自分の成長が感じられ、発見が常にあり、工夫することが楽しくてならないような状態になれば、自然に楽しめると思う。ではその状態にどう持って行けばよいか。「驚く」だと思う。

本人が何かしらの工夫、努力、苦労を重ねた時、「お?面白いね、それ」と驚き、面白がると、もっとこの人を驚かしてやろう、と企む仕組みが、人間の心にはあるらしい。特に工夫に驚くと、「今度はどんな工夫をして驚かしてやろうか」と企む。工夫を重ねるからどんどん上達する。

上達すると、自分の成長を実感できるので楽しくなる。ほっといてものめり込むようになる。その触媒が、「驚く」。
もちろん、子どもや部下によって個性が違い、何に興味関心があるかは全然違う。そもそも嫌ってるものをさせる力は「驚く」にはあまりない。好きから始めたらよいと思う。

子どもや部下が得意とするものから始め、工夫に驚いてるうち、だいたい得意なものは伸びしろが短いので、すぐ終わってしまう。やがて、苦手な分野という、工夫についてはフロンティアが広がってることに本人も気がつく。その時も驚いていたら、工夫を重ねる。やがて、苦手も苦手でなくなる。

弟二人が器用で、私は不器用だったため親からバカにされたのもあって、大工仕事が嫌いだった。いや、実は憧れがあったけど、比較されるから距離を置いていた。
子どもが生まれ、チャイルドゲートを手作りしたとき、YouMeさんはそれをバカにしなかった。今思えばひどい出来だったけど。

今は本棚を子ども達のために自作したり、靴箱を作ったりなど、日曜大工を楽しんでいる。昔のことを思えば、かなり腕が上がった。それはなぜかと尋ねたら、YouMeさんが初期の作品をバカにせず、むしろ「ありがとう!これで赤ちゃんが爆走しても食い止められる!」と、出来映えに驚いてくれたから。

工夫、努力、苦労のうち、特に工夫に驚くようにすると、不思議なもので、さらに工夫して驚かせてやろう、と企む気持ちはいくつになっても生まれるらしい。そして工夫することを楽しむ心は、上手い人や作品と比較しさえしなければ、苦手と思っていた呪いも、解けるらしい。

驚いてくれる人がそばにいたら、工夫することを恐れなくなる。工夫すると新しい発見や自分の成長が感じられて楽しくなる。すると意欲は自然と湧き、のめり込むようになる。のめり込むと反復がものすごく増えるからどんどん上達する。しかも工夫するからイノベーションがどんどん起きる。

「出藍」のコツ、それは「驚く」ではないか。驚くことで工夫と意欲と錬磨を引き出し、部下や子どもの能力を最大限引き出す。どこまで伸びるかはわからないほど。教えなくても、部下や子どもは工夫を重ねるから成長変化が止まらなくなる。壁にぶつかっても工夫で克服してしまう。

驚く対象を、特に「工夫」に置くと、部下も子どもも変化を恐れず、むしろ変化し続けることを楽しむようになる。
こうした指導法が広がれば、私たちの世代をはるかに超える次世代が育つ「出藍の時代」を迎えられるのではないか、と、密かに楽しみにしている。

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