分かりやすい説明とは、相手に合わせて言葉を選ぶこと

わかりやすく説明するスキルは、専門用語のような難しい言葉をかみ砕くことか、というご指摘を頂いた。それで気がついたけど、「なんか違う」。難しい言葉を日常用語に置き換えたらわかりやすいかというと、そうでもない。ではどうすればよいのか。

昔の「朝まで生テレビ」で、客席から意見を聞くことになり、東大生と名乗る学生が意見を言った。が、それはまさに新聞か週刊誌で読んできたような、他人の意見のコピペと感じさせるものだった。パネリストから「そんな人からの受け売りでなく、自分の意見を言いなさい」と言われたら、その学生、

顔を真っ赤に怒らせて「私は自分の意見を言っています!」と反論。しかしその反論はパネリストたちの失笑を招いてしまった。余計に怒ってる学生、可哀想に思ったが、やはり私も「受け売りだな、自分の意見を持っていない、自分の言葉で話せていない」と感じた。でも、あれ?と思った。

自分の意見、自分の言葉ってなんだ?その学生は、人の受け売りであろうと、自分もそうだと思ったから記事をコピペしたような意見を述べたのだろう。それも自分の意見、自分の言葉なのではないか。でも不思議と、「受け売り」であると私も感じた。なぜそう感じたのだろう?

何年もその疑問を持っていて、ある日、子育てについて長らく議論を重ねできた人に聞いてみた。「自分の言葉で話す、って、どういう状態なんでしょうね?」すると思いがけない言葉が。「相手に合わせて言葉を選べることじゃないですかね」。私はしばしあっけにとられて、そして膝を打った。

そうか!自分の言葉で話す、自分の意見を言うって、「自分」が出てるからついつい自分のあり様にばかり目を向けてしまうけど、相手が怪訝な顔をし、わかってないな、と感じたら、別の言葉に置き換えて説明できることなんだ!私はひどく納得がいった。

わかりやすく説明する言葉は、単に難しい言葉を日常用語に置き換えることではない。相手に合わせて、「この言葉では難しいか、ならばこれならどうだ?」と、試行錯誤を繰り返せる必要がある。相手はどんな言葉なら知っていそうか?相手がスッと受け入れられる語彙はどれか?それで説明するには?

そうした臨機応変でも説明できる状態のことを、自分の言葉で話す、自分の意見を言う、ということなのだろう。特定の説明文の丸暗記ではなく、真に理解できているから、どんな言葉に置き換えてもなんとか説明できる状態。それが自分の言葉であり、自分の意見なのだろう。

わかりやすく説明する、というのは、難しい言葉をやさしい言葉に翻訳する、という機械的な作業のことでは恐らくない。相手の様子をよく観察し、相手のボキャブラリーを推定し、そこから言葉を選んででも説明できること。それが「分かりやすい説明」なのかもしれない。

では、私がツイッターでつぶやくとき、どんな相手を想定しているかというと。悩みに悩み、混乱のどん底にいた20歳になりたての頃の自分に語りかける気分のことが多い。ろくに言葉を知らず、知っていても上滑りの言葉ばかりで、変に突っ張っていただけの頃の自分に。物分りが非常に悪かった自分に。

こう説明しても、当時の自分は何を言われてるか分かんなかったろうなあ、と思ったら、別の言い換えを探す。そうして、物分りの非常に悪かった自分に対して、「どう言ったら君はわかってくれるかね?」と手探りで言葉を探している。

小さな頃から察しがよく、理解力もあった人は、これが苦手な場合がある。「なぜこの説明でわからんのかがわからん」と言ってた人がいたのを覚えてる。物分りの悪い状態というのが今ひとつ理解しづらいらしい。でもこうした人でも、試行錯誤を重ねると、うまくなってくる。見当がつくようになるのだろう。

十分に理解できてる言葉の数が少ない人に、いかにして理解してもらうか。相手のもつ言葉の中から、説明する言葉を選ぶ。それがもしかしたら、自分の言葉をもつだけではなく、わかりやすく説明する、という行為でもあるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?