保守派は自由主義と結託することで共産主義化を招いている

徒然なるままに。
日本の保守派が共産党を嫌うのは、もしかしたら崇徳院(崇徳天皇)の呪いが実現するのを恐れてるのかな、なんて思ってみたり。
崇徳院は日本三大怨霊とも言われ、死ぬ前、こんな呪いの言葉を吐いたという。
「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」

民主主義なんて、崇徳院の言葉通りやん、って思ったりする。ただ、象徴天皇として、国民から敬愛されてる現状では、崇徳院の呪いはまだ実現していないと言える。でも共産主義が天下取ったら、崇徳院の呪いどおりになってしまうかも、と保守派は恐れてるのかもしれない、なんて思ったり。

日本の現在の保守派はどうしたわけか自由主義との相性がよい。自由主義経済で富裕層はますます富み、貧困層は貧しいまま。富むのは優秀な人間だからで、貧しいのは愚かだからで、弱肉強食は自然界のならいでもあるから仕方ないのだ、と自由主義は考え、保守派もその手の人が多い。

これはもしかしたら、貧富の格差を広げることで庶民と上級国民との差を広げ、再び圧倒的に皇族と上級国民だけが有利な社会にすることで、崇徳院の呪いを遠ざけようとしてるのかな、と感じることがある。根拠ないけど。
だけど私には、遠ざけるどころか近づけてる愚かな行動のように思えて仕方ない。

貧富の格差を放置することで、富裕層や上級国民への憎悪がかきたてられている。このため、共産主義、マルクス主義が見直されつつある。斎藤幸平氏の資本論に関する著作がベストセラーになってるのがその証拠。民の力を削げば崇徳院の呪いは遠ざかると思ったら、むしろ実現が近づいてしまう。

自由主義の人たちの言動聞いてると、実は共産主義が好きなんじゃないかな、と思うことがある。もちろん自由主義の人たちは共産主義を蛇蝎のように嫌う。けれど自由主義の人たちは貧富の格差を放置し、あまつさえ貧困層を見下すことで、民の怒りを掻き立てる愚かな言動を繰り返している。

庶民を見下し、庶民を経済的に困窮に陥れ、それを放置し、富裕層が自らのことだけを考えれば考えるほど、共産主義は近づく。正直、自由主義の人たちは国を共産主義化するために最も貢献してる人たちのように思う。彼らの言う通りにすれば、共産主義は早くに実現すると思う。崇徳院の呪い、実現近づく。

となると、保守派は自由主義とつながることで民の力を削ぎ、支配層の力を圧倒的にしようと目論むことで、かえって共産主義を呼び込み、「民が天皇となり、天皇が民となる」という呪いの実現に貢献しようとしてることになる。保守派はもしかしたら尊王派ではなく、共産主義者なんだろうか。

もし真に保守派なら、尊王派なら、民が貧困にあえぐ様子を憂い、支配層が富裕になるのを抑え、貧富の格差が広がらないようにするのがスジだと思う。そうすることで民がこの国を愛し、支配層へも一定の理解をするよう促すことが保守派の目指すべき方向のように思う。

しかしここ二十年ほどの、自由主義と結託した保守派の動きは、民を虐げて共産主義化する危機をみずから招き、天皇制を覆す恐れのある状態を自ら呼び込んでる気がする。これ、ちと考え直した方がよいのではないか。民が支配者に理解を示すのは、民を慈しむときだけ。それを忘れてない?

保守派は自由主義と決別し、国民の幸せを願い、ひいては自分たちの好む社会体制の維持を目指すべきではないか。私には、ここ二十年の保守派の自殺的行為が不可解でならない。保守派はきちんと保守派らしく言動を改めてよ。

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