労働分配券としてのお金

お金を「労働分配券」として考えると、日本のいびつさがよく見えるように思う。
労働者はお金を稼がなきゃいけない。だからここに労働を投入したい、と思ったら、そこにお金を投入したらよい。するとそこに労働が集中する。お金とは、労働を集中させたい時用の労働分配券とみなせるように思う。

日本はいま、高齢化が進んでいるので介護や医療に労働を投入したいところ。でもそこに労働分配券たるお金を投じると、別分野の労働が不足するかもしれない。日本は貿易で稼がないと不足する食料を輸入できない。日本は残念ながら、エネルギーと肥料、食料の輸入がないと三千万人しか養えない。

貿易で稼ぐには、世界中から欲しがられるような商品を開発する必要がある。ならば、開発・研究に労働を投じるためにお金を投入する必要がある。ところがそもそも労働者が足りない。少子高齢化で人が急速に減りつつある。労働分配券たるお金を投じても人が集まりにくくなっている。

しかもお金を持っている人に偏りがある。お金持ちが自分のためにお金を使うと、そちらに労働が割かれてしまう。国全体を富ます方向に労働を分配することが難しくなる。貧富の格差が大きくなるとまずいのは、労働分配がうまくいかなくなることにあるように思う。

岸田首相は資本所得倍増計画を昨年打ち出した。しかし資本所得は労働することなしにお金を移動させる行為。労働しない人たちにお金を集中させることで、労働分配券たるお金の機能を損ない、むしろ働かない人を増やし、労働を減らす結果に。

アメリカやイギリスのような金融資本主義の国の場合、それで集めたお金で外国人労働者を雇うこともできたりする。しかし日本は円安が進み、日本が出す程度のお金では海外から労働を調達することが難しくなってきた。

円安が加速すれば、円というお金で海外から労働を調達することは難しくなる。しかし貧富の格差が大きくなり、資本所得でお金を持つ人が増えると、その人達のために働く方に労働力が割かれてしまう。日本を富ます方向に労働を割くことが難しくなる。ジレンマ。

これからの日本は、乏しい労働資源を有効に活用することを意識しなければならない。若い労働力はなるべく海外と伍して戦えるよう、研究開発に回し、海外との貿易などで儲けるようにしてもらう必要がある。何せ、日本国内だけでは食料もエネルギーも足りない。これらを輸入する稼ぎが必要。

介護など、国内で必要とされる労働需要は、比較的高齢者の労働を割り当てるしかないかもしれない。老いも若きも、うまく労働配分して、日本全体に食料とエネルギーが行き渡るようにする必要がある。手駒が限られていることを念頭に置いた労働分配が、今後は重要になるだろう。

MMTは、お金を労働分配券としてみなす理論でもある。その点では面白いのだけど、「お金はジャンジャカ刷って配ればいい」という発想にフォーカス当たっている点が大いなる懸念点。いくらお金を大量に刷ったって、国内の労働者の数は限られている。野放図にバラまいたら、労働分配がグチャグチャに。

MMTを機能させたいなら、どの分野に労働を集中させるかという意識的な配分が大切。しかしどうも「お金をジャンジャカ刷って景気をよくしたらよい」という粗暴な考えに利用されやすい。労働者がいくらでもいる時代ならそれでも社会は回るかもしれないが、労働資源が限られている今はそうはいかない。

お金は労働分配券でもある限り、賢く配分することが求められる。それによって、限られた労働資源を、日本を富ます方向に活用することが求められる。単に景気をよくするという発想は、今後は雑過ぎるということになるだろう。いかに労働を必要な分野に集めるか。そこが重要になるように思う。

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