素人も専門家も積極的に語り合おう(ただし築論で)

「専門でない、知識がないなら黙っておけ」という意見をよく目にする(ぶつけられることしばしば)。でも私は、失敗してもよいから積極的に発言することを推奨している。ただしいくつか条件がある。

①自分なりでよいから練り上げた仮説を述べること。
②仮説であって絶対正しいなどと言わないこと。
③異なる意見を間違ってると決めつけないこと。
④敬意を示し合うことを忘れないこと。

この4条件が揃うなら、私は専門非専門に関わらず、積極的に発言したらよいように思う。

ツイッターの登場で変わったなあ、と思うのは、専門家が「同じ地平」に立たざるを得なくなったこと。

以前は専門家と素人には埋めがたい溝があり、「素人は黙っとれ」と言えば言下に黙らせることができた。そして素人は黙るのがマナーだった。ところがSNSが登場して専門家がオタオタすることが増え、ツイッターは特にその傾向が顕著になった。

専門家は専門用語でしゃべっていればそれだけで尊敬され、尊重された。その伝でツイッターをやると、そもそも読まれない。フォロワーさえつかない。変に噛みつきに行っても、専門家もびっくりな専門知識を備えつつわかりやすい言葉で専門家の無知ぶりを暴露する人が現れる事態が度重なった。

この結果、ツイッターは、専門家が専門家でございとふんぞり返るだけでどうにかなるものではないということを明らかにしてしまった。一般の方にも届く言葉を紡ぐことが必要だし、素人だとバカにせず、専門家も気づいていないようなことが述べられるかも、と傾聴することが求められるようになった。

私自身、農家の方から教えられたことがたくさんある。それが研究のヒントになったこともたくさん。専門家には目が2つしかない。でも一般の方の目を借りるなら、10にも100にも増やすことができる。その分気づきを増やし、新たな研究ネタを得ることができる。

だから、専門家でないなら黙っとれ、というのは、せっかく気づきの機会を増やせるチャンスを潰す行為だから、望ましくないように思う。上記4条件を満たした上での発見なら歓迎したほうが面白いように思う。

他方、発言する側は、「専門家は専門バカだ!」と見下すような姿勢はやめた方がよいように思う。相手への敬意を欠く姿勢は、相手に不快な思いをさせる。それでは意見を冷静に聞くことを難しくしてしまう。

「専門家なら批判に答えろ!」という攻撃的な態度は、お前はサンドバッグになって殴られろ、と言ってるようなもの。相手への敬意を欠いている。専門家も人なり、非専門家も人なり。どちらも人なり。ならば、相手に無茶を要求するのは無茶というもの。

専門家は素人から気づきを得、素人は専門家からその分野のわかりやすい解説を聞く。こうした相互の互恵関係を築いていけたらな、と思う。こうした建設的なやり取りを私は「築論」と呼んでいる。専門家だけではない、多くの人たちの力で議論を深めていけたらいいなあ、と思う。

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