「寄り添わない」覚悟

人の相談に乗るのに「寄り添わない」というのも大事な資質だったりする。悩んでる人は溺れてる人と同じで、息継ぎするために助けに来た人を沈め、自分が息しようとする。結果、助けに行った人が溺れてしまう。だから、一緒に溺れずにすむように「寄り添わない」ことも大切な時がある。

タイプの異なる社会福祉士が。ひとりは退院後の生活設計についてアドバイスするとき、その生活の苦難さを想像しては胸がつぶれる思いをし、もう少しどうにかなるプランはなかったのかと思い悩み、ついに心折れて辞めてしまった。

もう一人は、相談者が選択できるサービスを列挙し、「どれを選ぶかはあなた次第」と示した後は、その件は終わったこととして次の案件に行くサバサバした性格。その代わり、ベストを尽くせるよう普段から新しいサービスのことを勉強し、一人一人に最適な設計を示せるよう心がけていた。

人の相談に乗るには、こちらの気力が充実している必要がある。悩んでる人に気持ちまで寄り添うと、溺れた人が助けに来た人を踏み台にしてでも息をしようとするように、気持ちの落ち込みまで自分と共有しろ!と強要してくることがある。「お前にオレの気持ちなんかわかるか!」とか。

極論すると、わからなくて構わない。本人じゃないんだから。そして問題は本人のものであって、相談に乗る人の問題じゃないから。しかし溺れる人は「お前も一緒に苦しめ、そうでないならお前は人でなしだ、理解あるふりする偽善者だ」と道徳的に責めて来たりする。

溺れる人を助けるには、もう暴れる力もなく、さあ沈みそう、となってから助けることが大切なのだという。ある程度、苦しむのを黙って見てるという、共感力をあえて鈍らせた対応が必要だったりする。人の相談に乗るときは、偽善者と思って頂いて結構、と平然とすることも大切。

その上で、同じことをグルグル考えて抜けられない思考のワナから抜け出せるよう、わき道となる溝を掘る。本人がそのわき道をたどるかどうかは本人次第。「うまく抜け出して暮れるとよいのだけど」と心の中で祈りはするが、後は本人が自力で這い上がるかどうか。祈るしかない。

私は自分に元気がないときは相談に乗らない。自分が潰れてしまっては元も子もない。自分にできる範囲で相談に乗ることにしている。その代わり、自分の知力でできる範囲の方策は示す。でも、後は本人次第。祈るだけ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?