子どもが数学好きになる仮説

食卓に出たがんもどきを見て娘(年長)、「4ぶんの2たす4ぶんの2は、1」。
分数を教えたことはない。

それに対抗してか息子(小3)、「エックス分のエックスは、1」

食事での会話と思えない。完全に遊んでる。

それで娘は確信を持ち、「6分の5たす6分の1は、1」。
分母と分子の関係、分子の合計数が分母の数と同じになると「1」になるという法則にも気づいたらしい。
娘なりに、いったい分数とは何か、お兄ちゃんの言ってることを考え続けて、一個のがんもどきが4分割されてるの見て、気づいたらしい。

私は算数数学が苦手で、だから理科が好きなのに農学部に進んだくらい(数学を多用する物理学がことのほか苦手)。子どもを育てるのにどうしたらよいだろう?と思っていた。
私が抱いた仮説は「数学を得意にする方法は知らないが、数学好きにすることはできるかもしれない」。

数学好きにするための次の仮説(作業仮説)として、「子どもが数に関する発言をしたら驚き、面白がろう」。
結果。息子は無類の算数・数学好きに。日常の中に数学的なものを見つけ、数学的に表現するのを楽しむ子になった(もちろん小3ならではの限界はある)。

娘はお兄ちゃんが算数・数学で抜きんでてるのを知ってるためか、長らく興味を持とうとしなかった。数に関して、自分は人を驚かすことができない、と感じていたらしい。ところが、九九の2の段をそろばん塾で教えてもらい、それを全部言えたのを家族全員が驚き、拍手してから変わった。

娘も数に関する発見をしては皆を驚かすという「趣味」を持つようになり、時折驚かすように。
私もYouMeさんも子どもに算数数学を教えたことはない。ただ、驚き、面白がるだけ。けれどそれで子どもは好きになり、好きで楽しいからずっと考え、考えるから得意になるらしい。

「好きこそものの上手なれ」というけど、本当だと思う。果たして息子が、いわゆる学問としての数学ができるほどの能力を備えるかどうかはわからない。ただ、好きであり、楽しんでいれば、その子の持てるポテンシャルいっぱいに能力を引き上げることはできるように思う。それで十分。

子どもには学ぶこと、工夫することを楽しんでほしい。学ぶこと、工夫することを楽しめるように、それらを好きでいてほしい。好きでいることをアシストするため、私とYouMeさんは驚き、面白がる。教えもせず、子どもの進んだ少し後についていって、発見や工夫に驚く。

そんな環境に置かれたとき、子どもはパフォーマンスを最大化させるように思う。子どもは親を驚かせるのが大好きだから。

「教える」と早く子どもが成長するように思う人は多いかもしれない。しかし安易に教えることには二つの理由で学習意欲を損なうことになる。
一つは、自力で発見する楽しみを奪われること。探偵小説で読む前から犯人を教えられるような。映画のクライマックスをあらかじめ教えられるような。

自力でなんとかしようとするのは時間がかかる。だからついつい周りにいる大人は教えたくなる。けれど、それは自力で答えを出そうとしてるクイズの答えを言われるようで、シャクにさわる。自力で紆余曲折し、答えを出す快感を奪うと、学習意欲は大きく損なわれる。

もう一つは、大人が驚けなくなること。教えてしまうと、大人はすでにそれを知っていたということに子どもは気づく。だとしたら、大人はもう驚かないことにも気づく。面白くない。
それに、教えられてできても、驚きはない。人を驚かせるというイベントが、教えることで消失してしまう。

教えなければ「よく自分で気づいたね!」と自然に驚ける。すると子どもは得意げに。またオトナを驚かせようと企む。新しい発見、九分九厘で驚かそうとする。それが学習意欲にドライブをはじめとするかける、という仮説を持っている。今のところ、この仮説は大人も子どもにも通じる様子。

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