公教育をくさす背景?

なんだろう、この記事を引用するの3回目。いろいろ思考が刺激される。あまりいい意味ではないのばかりなんだけど。
この記事にははっきり書いていないが、こうした記事の多くは公立校を暗示してる。そして「これだから公立は」という論調を生んでいる。
https://maidonanews.jp/article/14750822

東京にお住まいの子育て家庭だと、「公立はダメだ、私立に通わせなければ」なんていう意識高い系の親御さんの話を実によく聞く。いわく、公立は荒れている、先生の質が低い、云々。私は東京の公立の先生を少しばかり知ってるけど、そして話も聞くけれど、そんなに悪い先生ばかりかなあ?と思う。

とある、公立も私立も経験している先生に伺うと「公立も私立も変な先生の割合は一緒だよ」とのこと。そりゃそうか。けれど東京あたりだと、公立は先生の質が悪いから私立へ、なんて言説が結構広く信じられて、私立受験をさせようと躍起になってる親御さんの話をよく聞いた。コロナ後はどうなんだろう?

私が懸念しているのは、富裕層の中に、公教育はできる限り縮小し、サービスを低下させ、進学なんかまともにできないようにし、自分たちの子どもは私立に通わせ、事実上、お金で学歴を買える社会に変え、学歴で社会階層を固定しようと企む人の話を複数回聞いたこと。

麻生氏がかつて「義務教育は小学校で十分」と言ったのは、そうした世論を後押しできるかどうかを探る観測気球だった可能性がある。貧困のために公教育しか受けられない人たちは事実上進学を諦めざるを得ない制度に変え、私立に通わせる富裕層だけが大学に行ける社会。
すみません、今ヘドが出ました。

私は昨今、公教育をやり玉にあげる言説が多いことに、警戒心を抱く。公教育をくさすことで公教育への嫌悪感を社会に広げ、「そんな公教育の教師はもっと絞り上げ、待遇を悪くしてもよいのでは」という世論にもっていこうとしてる一定の勢力があるのでは、と警戒してしまう。思い過ごしであってほしい。

公教育に問題無しとは言わない。けれど、別に私立だからよいとも限らないなら、「これだから公立は」みたいな空気作りには、私は慎重でありたい。先生の個性の問題や、構造の問題は別途改善を目指したいが、公教育に否定的な空気は非常に危険なように思う。

多くの先生は、公立も私立もよく頑張って下さっている。その方たちに敬意を示し、応援する空気であってほしい。冒頭の記事はどうも保護者と教師とを対立的にとらえる内容。先生との相性悪い不幸な出会いだったのかもしれないけど、学校教育全体を否定する形になるのは、少し慎重に考えたいところ。

スウェーデンの小学校を訪問したところ、保護者、子どもたち、先生たちが一堂に会して、今の教室の問題点を話し合い、当面の方針を決めていた。子どもも保護者も自由に発言していて。先生は議論を整理し、方針を提案。ファシリテーター。これはいいなあ、と思った。

日本は教室が「先生の王国」になりがち。先生は王様、生徒はしもべ。しかしスウェーデンのやり方なら、そんな歪んだ王国はできにくくなるだろう。

公教育はもっと素晴らしいものに生まれ変わらせることができる。子どもたちの学びが発生しやすい場にどうしたら変えられるか。皆で知恵を絞って考えていきたい。

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