プレゼントとしての「驚く」

プロ野球選手がホームランを打って観衆を驚かす。ファンはホームランを見て驚く。
果たしてどちらが「プレゼント」してる側だろう?プロ野球選手?ファン?私は「どちらも」だと思う。プロ野球選手からすれば、観客こそがプレゼントしてくれている、と感じるだろう。観客の驚きがエネルギーになる。

横山光輝「三国志」を子どもの頃に読んで衝撃を受けた。主人公の劉備はどう考えてもパッとしない。関羽や張飛、趙雲のような豪傑の強さはない。孔明みたいな智謀もない。なのになんで主人公?
どうやら「驚く」名人であったらしい。自分にない能力に素直に驚く力。それが卓抜していたらしい。

部下が素晴らしいパフォーマンスを見せたとき、それに張り合う上司がいる。こうした上司の下にいる部下は、パフォーマンスを見せなくなる。上司の下手ゴルフに付き合うのに似て、上司以上のパフォーマンスを控えるようになる。上司の機嫌を損ねないようにするために。

その点、劉備は平気で「自分にはとてもできない」と驚いた。それが嬉しくて、関羽、張飛、趙雲、孔明といった英傑たちは劉備のために才能を発揮したように思う。自らの才能で劉備を驚かし、劉備は驚く。劉備はある意味、驚いているだけ。しかしそれにより、集団は躍動した。

それは劉備の祖先、劉邦もそうだった。劉邦も特に才能らしい才能を持っていない。武勇に優れているわけでもなく、張良のような智謀もない。なのにそれらの才能あふれる人物たちが劉邦の周りに集まり、大活躍した。これは劉邦が「驚く」才能を際立って持ってる人だったからかもしれない。

劉邦の驚く才能は、蕭何のような後方支援の人間にも発揮されていた。中華統一後、功績第一を表彰するとき、蕭何を指名した。劉邦の命を戦場の最前線で守った将軍もたくさんいたのに、戦場に出たこともない蕭何が?しかし劉邦はこう言った。「俺たちのメシは誰が送ってくれた?」

劉邦は後方支援という目立たない仕事をしてる人間の働きも当然視せず、驚ける人だった。だからこそ、劉邦は負けても負けても復活する強靭な軍隊を作れたのだろう。劉邦は「驚く」ことの天才だったのではないか、と思う。

「驚く」という行為は、才能やパフォーマンスで人を驚かそうという人の気持ちを引き立て、さらにパフォーマンスを向上させる効果がある。お金も悪くないが、お金だけだと人は動かなくなる。誰かを驚かせたい、そんな欲求を満たしてくれる存在がとても大切なのだと思う。

高い報酬がかえってパフォーマンスを悪くすることがある。有能な人を採用する際、高給を約束したら思いの外パフォーマンスが悪く、期待外れに終わることが少なくないらしい。これは、高い給料を渡すことで「驚く」ためのハードルが上がったからかも。驚かすことができなくて辛くなるからかも。

驚くためには、「期待しない」という、常識からすると逆の心理に自分の心を整える必要がある。期待すると、期待どおりにならなかったときに落胆する。期待どおりになっても「思った通り」と自分の見立ての正しさを自慢する方向に行って、パフォーマンスしてくれた人に驚かなかったりする。

驚き名人になるには、自分が才能を見せつけて驚かそうという欲を捨て、相手に期待したくなる気持ちを捨て、相手のパフォーマンスに純粋に驚ける心理状態に常に維持する工夫が必要。劉備も劉邦も、これが上手かったのだろう。

才能を発揮して驚かしたい、という欲求は多くの人が持つ。それに「驚く」ことで応じてくれる人がいると、嬉しくなる。驚くという行為は、パフォーマンスで人を驚かしたい人間にとって、最高のプレゼントなのかもしれない。

私は若い頃、自分の才能のなさに絶望していた。もし将来子どもを育てることになったとき、私の才能が限界となり、私以下の才能しか発揮できないとしたら?と思うと、暗澹たる思い。才能のない自分でも優れた人間を育てる方法はないものだろうか?と、ずっと探していた。すると。

「自分には学がない」と仰いながら、子どもを立派に育てている事例が。そうした事例をつぶさに観察すると、驚いていた。本当にオレの子か?私の子?と言いながら、子どもの成長に驚いておられた。それが嬉しくて子どもはますます学び、親を驚かせようとしていた。

もしかして、「出藍」ってこれか!青は藍から作られるのに藍より青い、そのことから、師匠より優れた弟子が出ることを出藍と言うけれど、もしかしたら「驚く」ことこそが、出藍の秘訣なのかもしれない。

そのつもりで意識的に驚くようにしてみると、パフォーマンスが驚くほど向上した。子どもばかりでなく、大人も。場合によっては、自分よりも年長の人でさえも。
そうか。みんな「驚かす」に飢えてるんだ。驚いてくれると嬉しくなって、もっと驚かしてやろうとますますハッスルする。

「驚く」は、人を驚かせたいという欲求を満たす報酬系であるらしい。なら、ケチケチせず驚いた方がよい。
中には、驚くことが自分の才能のなさを示すようで嫌がる人もいる。けれど、それは「驚かす」側にいたくて、「驚く」側に行きたくないからだろう。

私は、人を育てたり、人の上に立つとき、必要なのは「驚かす」ことではなく「驚く」ことだと思う。人間はいくつになっても「驚かす」のが好きな生き物だと思う。だからこそ、集団を活性化したいなら、「驚く」ことがとても大切なように思う。

幼児が「ねえ、見て見て」と言い、自分のパフォーマンスで驚かそうとするように、人間はいくつになっても驚かせたい生き物なのかもしれない。だとしたら、「驚く」を提供することは、非常に多くのことを円滑に進める大切な潤滑油になるのかもしれない。

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