ドラッカーによる日本型経営の意外な評価

ドラッカーの「マネジメント」、確かエッセンシャル版だったと思うけど、日本型経営で面白い指摘が有った。
欧米企業はトップの決断が速く、すぐに契約に至れる。ところが日本企業はなかなか契約に至らず、イライラするという。いろんな部局の人間が話を聞きに来、「持ち帰って検討します」ばかり。

それも、一度で済まず、違う部局の人間が一から話を聞きたがるので、何度も説明しなきゃいけない。なかなか契約に至らない中、一通りの部局が話を聞いた後、ようやく社長がお出ましになり、契約。ともかく契約までに時間がかかる。これがいわゆる「決断が遅い」という話。

ところが。ドラッカーは意外な評価を与えている。確かに契約に至るまではどえらく時間がかかるのだけど、各部署の疑問が全部解けているので迷いがなく、企業全体が有機的に動き、不測の事態も織り込んでいるので臨機応変に問題に対処でき、納期を確実に守る仕事の速さ、確実さがあるという。

他方、トップダウンで決める企業の場合、確かに決断は速いのだけど、決められてから各部署への説明がなされるから「え?この問題が起きたらどうすんの?」という疑問も差し挟めないまま事業がスタート、案の定、現場がアタフタしながらやってるものだからトラブル続出、仕事が遅々として進まない。

決断の速さは事業遂行の速さとは限らない。日本企業は決断こそ遅いが、組織全体に認識が共有されてから動いているから、事業が確実に進められるという。ドラッカーは、この点、日本企業に見習うべきところがある、としている。
だがしかし。

小泉ブーム以降、強いリーダーシップとやらが大流行、海外企業は決断が早い、日本は遅いと批判が続き、日本も決断を速める改革が進められた。その結果、組織全体で緻密に詰め、有機的に動け、臨機応変にも問題に対応できる柔軟さが失われた。欧米企業の劣化版になってしまった。

日本の社長は、昔は現場の意見をよく聞き、仕事を進めやすいように配慮した。現場は社長の期待に応えるため、あらゆる問題を考えつくし、確実にやり遂げるよう、各部署とも綿密に協議して計画し、有機的に動けるようにしていた。
しかし今の日本の経営者は、現場の声を「抵抗勢力」とでも思うのか。

海外企業のトップダウンをマネし、現場に丸投げ。現場は「無茶や!」となり、大混乱。海外企業の悪しきマネジメントを真似た感がある。
もし、決断が速く、現場を混乱させないようにするには、社長が現場と密に連携し、現場をよく知る必要がある。

どうも2000年代に入ってからの日本の経営者は、現場からの声に耳を傾けず、ただ命令だけすればよい、という独裁的なやり方をする人が増えた気がする。しかしそれでは現場がついていかない。まるで、五感からの情報を遮断した脳のようなもの。五感の情報なしに体をうまく動かせるはずがない。

組織を有機体で捉える必要がある。ドラッカーの見識を踏まえれば、「決断の速いカッコいいリーダー」は、本当にカッコいいのだろうか?独裁的システムを完全に構築したとき、リーダーには、心地よい情報しか届けなくなる部下ばかりになる。裸の王様になる。独裁は、裸の王様を目指す道。

部下の、現場の力を引き出すリーダーこそカッコいいのでは。部下や現場の言うことを聞かず、疲弊させるリーダーのどこがカッコいいのだろう?もう少しよく考えた方がよいように思う。

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