「勝ってうれしい」子どもから「負けてうれしい」大人へ

子どもの頃の成功体験(人に勝って嬉しい)は、大人になると捨てなきゃいけなくて、大人になると「子ども・若者に負けて嬉しい、だって育った証拠だから」にモードを逆転させなきゃいけないんですよね。承認される側から、承認する側に。これができない元優等生、多いですね。

私の母は中高6年間、全教科でほぼ100点をキープした優等生で、「子どもに信じてもらえないといけない」ということで、当時の成績表を残しており、子ども時代に何度も見せてもらいました。「お母さんにもできた、だから頑張ればあなたもできる」
で、それでやる気が出たかというと。

うん。

他方、父はいかに勉強できなかったか、しなかったかのエピソード満載で。
授業の間、ずっと後ろを向いて友達としゃべってばかりだったから「そんなに後ろを向くのが好きなら」と、教壇の横に机を並べさせられたとか。

夏休みの宿題を全くしなくて、「僕は夏休みの宿題をやりませんでした」というプラカードを体の前と後ろにぶら下げて運動場10周走ったとか。そしたら「そっちの方がラクやな」と気がついた同級生も一緒になって、翌年は何人かで運動場を走ったとか。

家に帰ったら宿題やれと言われるから、何メートルか離れたところからハンマー投げの要領でカバンを玄関の中に放り込み、後ろで「コラー!」という声が聞こえる頃にはトンズラかましたとか。

「大きなマルをもらった」と言って0点の答案用紙を親に渡したとか。
勉強ができなかった・しなかった話を父から聞かされて、子ども心にどう思ったかというと。

「父みたいにはなりたくない、父には余裕で勝てそう」
と思って、むしろやる気が出たんですよね。

奇妙なことに、優等生だったはずの母よりも、劣等生だったという父の方が明らかに賢くて、知識もあり、判断力もありました。「勉強と頭の良さは別なんだな」というのを子ども心に感じて、まあ、父親みたいな破天荒な生き方は無理だから、やれば着実に伸びるお勉強でもしとこうか、と思えました。

非常に対照的な両親からの声掛けを考えてみると、「親には勝てそう」と思わせ、少しずつ親が負けていく方が子どもは意欲を高く持つし、成長すると考えています。子どもへの親の優等生自慢は、まあ、役に立たないかな?というのが、私の印象ですね。

それもあって、私は自分の子どもたちに自慢話をしないようにしています。幸い、私は中学三年生になるまで成績がひどく、勉強できなかった・しなかったという実態がありますので、そのことを話すと、子どもたちは嬉しそうに、そして「お父さんには絶対的な差をつけて勝ちたい!」と思うようです。

私は、宿題をマジメにやる子どもたちの努力に驚き、難しい漢字を読んだり書いたりすることに驚き、難しい計算を解くことができるのに驚いています。すると、子どもたちはハッスルするようです。
だから、私はもし競争を利用する「なら」、子どもに負けることをオススメします。

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