失敗を責めるか、工夫・努力・苦労に驚くか

高校の部活の連中で一泊旅行をした時。飯ごうを洗ってくれと頼んだ。ずいぶん時間がかかるなあ、と思ってると、「ここまでしかきれいにできませんでした」と言って渡されたのは、銀色に輝く飯ごう。どうやら黒い錆止め塗料を、焚き火のススだと思って全部落としたらしい。残ってる塗料はもはやわずか。

私は思わず笑ってしまった。「すげぇ!銀色の飯ごう、初め見た!黒いの錆止めの塗料なんだよ」と言うと、後輩は恐縮しきり。けれど私は「いや、知らなかったんだから仕方ない。ここまできれいにするの、大変だったろう」といたわった。
部活に戻ると、その後輩はこれまで以上に気合いの入った稽古。

私は怒ってもよかったのかもしれない。「錆止め塗料で黒いことさえ知らなかったのか!」と。後輩もそれはそれで事実だから受けとめるしかなく、シュン太郎になって終わったかも。
ただそのときは、あまりに銀色に輝いていたので純粋に驚き、面白かったからそんな反応をしたに過ぎない。

結果的に後輩は、知らなかった錆止め塗料のことも知ることができたし、もう二度と黒い塗料をはがそうとは思わないだろう。失敗をもはや繰り返さないようになった上で、その後の稽古にも気合いが入るようになった。この経験があって私は、失敗した時に叱る以外の有効な方法があることに気がついた。

失敗はだいたい、意欲さえあるなら、知識不足、技能不足から生まれる。ならば、瀬踏みを誤った、指示を出した側に責任がある。私の場合は、まさか飯ごうがもともと黒いことを後輩が知らないとは思わず、「きれいに洗って」とあいまいに指示しただけだった。後輩はよく頑張った。

頑張ったのに叱られたら理不尽。私はたまたま、起きたことの珍妙さで笑えた。叱ったり責めずに済んだ。むしろ銀色に輝くまで磨いた後輩の労苦を思いやれた。それがたまたま、よい結果をもたらした。

失敗したとしても、本人の工夫・努力・苦労に驚き、面白がれば、本人は同じ失敗を繰り返さないし、工夫することを必要以上に恐れなくて済むし、前向きな気持ちを失わずに済む。失敗した時の対応を研究するきっかけになった出来事だったと言えるかもしれない。

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