新自由主義は「強いリーダー」がお好き

「強いリーダー」と新自由主義は相性がよい。新自由主義のもとなら、強いリーダーが岩盤規制や既得権益層を破壊し、イノベーションを起こしてくれるという期待を背に、強い権力を得ることができる。しかし実際には、既得権益層の利益はリーダーの取り巻きに分け与えられ、庶民はむしろ貧しくなる。
強いリーダーとは、「とりあえずうまい汁を吸ってるあいつらに痛い目あわせてくれたら溜飲下げられるぜ」という期待があるとき、熱望されるもののように思う。強いリーダーは、巧みにその空気をかぎ取り、期待通りに演じてみせる。しかし同時に嗅覚の鋭い彼らは、味方を作ることにも神経をめぐらす。
それが、「仲間」。既得権益のを破壊して生まれた利益が彼らに得られるようにすれば、強いリーダーを絶対的に支持してくれるようになる。実際の利益があるから、何の利益もない、移り気な庶民よりアテになる。「仲間」はマスコミなどを動かし、強いリーダーを支える。
「仲間」は、強いリーダーが庶民の味方であり、庶民のために戦っているという印象を与えるため、あらゆる方法で印象操作をする。特に何の分け前ももらっていない庶民に、将来利得をぶら下げて、既得権益層を破壊する支援をとりつける。破壊された既得権益は「仲間」にいく。この時、庶民は貧しくなる。
既得権益層とされた人たちは、長い時間をかけて生態系を作っているので多くの人たちがそこから生活のための収益を得ている。それを破壊し、「仲間」が牛耳ると、利益を少数の人間が総取りする。そのため、「消費者」が減る。消費する人が減るため、社会に回るお金が減り、社会全体が貧しくなる。
「仲間」は強いリーダーのおかげで消費者に安く商品が提供されるようになった、とアピールする。しかし商品が安くなったということは、働く人たちの数が減ったか、賃金を減らされているということ。その分消費が減って、社会全体に回るお金が減る。
ある意味、新自由主義こそがデフレ経済を作り出した背景のように思われる。「仲間」は強いリーダーを矢面に立たせることで影に隠れ、労働者のクビを切ったり賃金減らしたりして、浮いた利益を自分たちに配当を増やすように働きかける。そんな構造が20年続いている。
「強いリーダー」が庶民である私たちのために戦い、既得権益層を破壊してくれる、という妄想を、小泉純一郎氏から日本は抱き、その流行が今もやまない。けれどこの構造のまやかしにそろそろ気づく必要がある。
改革は必要。けれど、改革の結果、生活ができなくないほど苦しみを味わう、というのは、大切な消費者を失い、社会を貧しくする原因になる。改革後もその人たちが生活できる道筋を用意することが大切ではないか。
「強いリーダー」幻想からそろそろ脱却したいところ。

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