学ぶ意欲も、子どもとの接し方も、赤の他人にも、「驚く」こと

近頃思う。「驚く」ことって、子どもを指導する側にとっても、他人と仲良くするためにも、本人の学ぶ意欲が高まるためにも、大切なことなんじゃないか、と。
私は、子育ての理想的な接し方って、赤ちゃんに対する親のそれだと思う。
赤ちゃんは言葉が通じない。アドバイスしようにもできない。

だから、赤ちゃんが自分自身の力で発見し、習得し、成長していくのを祈るしかない。そして親は、子どもが昨日できていなかったことを今日できるようになったのに気づいて、驚くことができるだけ。けれど、この接し方が、きっと子育てには最も重要な接し方なのだと思う。

子どもは、自分ができていなかったことをできるようになったとき、親が驚いてくれるのをエネルギー源に、「もっと親を驚かせてやろう」とたくらむ。言葉を発せるようになった子どもが親にしきりに「ねえ、見て見て」と声をかけるのは、できなかったことができるようになって、親に驚いてほしいから。

でも、小学校に入ってしばらくすると、親は驚かなくなってしまうことが結構ある。九九を覚えても、他の子がもっと早くに九九を覚えていたら不満になったり、もっとやれ、もっと先へ、と先回りして急かされるようになる。すると、子どもはつまらない。親が驚かなくなるどころか不満げな顔を見せるから。

子どもは親に驚いてほしい。他の子と比べるのではなく、昨日できなかったことが今日できるようになったよ、ということに驚いてほしい。それに驚いてくれさえすれば、また次の挑戦をして、親を驚かせようとする。それが学習意欲にドライブをかける。

「驚く」は、他の人と仲良くなるための重要な要素でもある。YouMeさんが赤ちゃんを連れて初めての公園デビュー。このとき、ママさんたちにうまくなじめなかったら、そのあとはずっと二人ボッチになるという話を聞いていたので心配していた。しかしその心配をよそに、YouMeさんは他のママさんと談笑。

それが偶然でない証拠に、大阪の初めて行く公園で、やはりYouMeさんは他のお母さんたちと仲良くおしゃべりしている。いったいどんな魔法が?と思って観察してみた。すると。
YouMeさんは公園に着くと、その場にいる子どもたちの様子に驚いた。「わあ!あのお兄ちゃん、足速いね!ビューン!」

「わあ、あのお姉ちゃん、雲梯上手だねえ!ぴょん、ぴょん」と、他の子の様子に驚きながら、赤ちゃんの息子に語りかけていた。すると、自分のことで驚いていると気がついた子どもたちはますますハッスルし、「ねえ、僕こんなこともできるよ!」とアピール。YouMeさんは息子と一緒に驚く。

この人は自分のパフォーマンスをよく観察し、よく気づき、驚いてくれると感じた子どもは、ますますハッスル。やがて、「その子、おばちゃんの子?」と声をかけてくれる。「そうなの、一緒に遊んでやってくれる?」というと、「いいよ!」
我が子がよその子の面倒を見るなんて珍しい、と親が近づいて。

「優しいお子さんですねえ!」とYouMeさんが驚いて見せると、親御さんもうれしくなり、ご近所のお得な情報を教えてくれたり。それにまたYouMeさんは驚いて。すっかり親しくなってしまうことに気がついた。
そうか、見知らぬ人と仲良くなるコツは、「驚く」ことなのか!

自分自身が学ぶ意欲を持つことも、「驚く」ことが原動力になっている。赤ちゃんが離乳食を始めると、皿が落下するという「偶然」が起きる。すると、皿は落下して、床でカランカランと音を立てる。赤ちゃんはこの現象に驚き、興味がわく。この現象を突き止めようと、何度も皿を落とす。カランカラン。

障子に手を突っ込むと、破れた。形が大きく変化するこの現象に驚き、これを突き詰めようと、赤ちゃんはどんどん障子を破る。
ティッシュを抜くと、次のが頭を出す。これに驚き、この不思議を解き明かそうと、次々ティッシュを抜く。

やがて簡単な足し算をするようになった時、1+3と3+1が同じ答えになることを、幼い子はまだ気づいていない。何度も何度も、指とか点とか棒の数に置き換えて一つずつ数えて答えを出す、ということを何百回も続けているうち、「あれ?順番が違っても同じ答え?」に驚き、突き止めたくなる。

あれ?という違和感、今までになかった現象、これまで気づいていなかった発見があった時、子どもは驚き、その現象、発見を確かめよう、突き止めようとして学習意欲にドライブがかかる。驚きは、学習意欲をいやがうえにも高める大事なエネルギー源。

ところが、「驚く」の逆になると、学習意欲は大きく下がる。お皿を落とすのは行儀が悪い、ということで叱ると、「落下する」という不思議な現象を突き止めようとする学習機会が奪われる。ああしてはいけない、こうしてはいけない、こうすべき、ああすべき、が、子どもの学習意欲を潰していく。

危険がないなら、少々のことは許容したほうがよいように思う。すると、子どもはその現象を知り尽くそうとする。そして満足いくと、それをしなくなる。だから、ある程度好きにやらせた方がよいように思う。ティッシュもそのうち抜かなくなるし。

むしろ一緒になって驚くとよいと思う。「不思議だねえ、なんで次のティッシュが出てくるんだろう?」と。「あれ?ここどうなってるんだろう?」と観察する着眼点を示したうえで、子どもがそれを観察しながらやってみたとき、気づきがある。すると大概親の顔を見て、発見を共有したい顔をする。

その時、「そうか、こういう仕組みだったんだねえ!」と、一緒に驚けばよいのだと思う。そうして、日常のことすべてに驚き、楽しんでいれば、子どもは学ぶことを遊ぶことと区別せず、常に驚き、突き止めたくなり、学ぶ。学びは遊び、遊びは学び。それを可能にしているのが、驚くこと。

私はもっと、大人は大人びた顔なんかせずに、「へえ!」と驚けばよいのに、と思う。「そんなことくらいもう知っているよ」なんてすました顔をする必要、ない。俺は賢い、なんていうポーズに、私は意味があるとは思えない。ええやん、一緒になって驚いていたら。

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