「科学的に正しい」は言語矛盾

松永さんの記事は精確。精確なのだけれど、「科学的に正しい情報」と言ってしまうあたりが鼻につき、異論を述べる人たちを暗にバカにしている感じがする。これでは、異論ある人を説得できるどころか、むしろ反発を招きかねない。松永さんの記事でいつも残念に思うところ。

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/30668

それに、「科学的に正しい情報」というのは、サイエンスライターなら使っちゃいけない言葉。科学に正しさはない。あるのは「妥当性が高い」「妥当性が低い」だけ。絶対的な正しさを、科学は決して定義できない。そうした限界を把握した、謙虚さを保つのが科学。

なぜなら、科学は「反証可能性」を提示することが求められている学問だから。反証可能性とは、「こんな証拠が出てきたら、この理論は間違っていたと認めます」というもの。つまり、科学的理論は常に、自らの理論が間違っている可能性を考慮することが前提となっている。

だから、「科学的に正しい情報」という表現は、言語矛盾。科学は妥当性の高い情報を提供することはできても、科学は正しさを示すことはできない。常に間違っている可能性を包含して伝えることしかできない。そのことを、松永さんは今一つ把握し切れていない気がする。

それと、専門的知識のない人の考えを「誤情報」と表現するのも、傲慢さを感じる。科学は常に謙虚であることが求められる学問。傲慢さは非科学的な態度と言ってよい。自分と意見が異なる情報を誤りだと決めつける姿勢は、すでに科学的ではない。

記事の最後に「神話・作り話」と「真実」を並べている。これも、敵対する意見を「神話・作り話」と表現するあたり、失礼。人間と言うのは、自分を小ばかにしている姿勢に対して非常に敏感。そうした気配を感じると、相手の意見は一切聞けなくなる。それが人間。

そういう反応を、私たちは笑うことはできない。私たちは、自分の専門外のことに関しては、実によく勘違いしたり間違ったりする。それに対して専門家は、専門外の人にも分かりやすく説明する必要がある。相手を小ばかにせず、自分も立場が違えば同様なのだ、上下はないのだ、という考えのもとで。

松永さんの記事は精確なのに、鼻につくこうした表現がちりばめられて、とても残念。これでは反対派の人に読んでもらえるどころか、理解者を増やすどころか、互いに反発を深め、分断を深くするように思う。松永さんの記事はいつもそうした臭いがあるので、いつも残念。精確なのに。

松永さんには、不安を感じている人に寄り添う姿勢が感じられないことが多い。その姿勢が感じられないと、聞く耳を持ってもらえない。なんかすごく正しいことを言うけど腹が立つ人っているけれど、松永さんの記事にはそうした風合いが目立つ。本当に残念。

日本は原発推進でこれを過去にやっちゃってる。過去には絶対事故が起きない、そんな確率はゼロに等しい、とまで断言していた。それを疑う言説には「科学的な知識がない人はこれだから」と否定していた。「科学的に正しい」という言葉は、こうした態度をフラッシュバックさせる効果がある。

科学は、「こうした対策を取ることで安全性が高まっていると考えるのが妥当である」とか、「この危険性はかなり低いと考えるのが妥当である」と表現するのが、昨今の科学論文のお約束。こうした表現でないと、私はむしろ不安になる。

さて、記事が対象にしているおコメの件。メリットとデメリットを比較すれば、私もこれはメリットが大きいと感じる。ただ、不安に感じている人の気持ちは分からないではない。自分も専門知識がなかったら、きっと不安がったであろうから。であるならば、専門家は専門用語を避けて説明する必要がある。

まず、放射線を浴びると突然変異が起きたりするのはなぜなのだろうか。放射線を浴びると、ラジカルというとても反応しやすい物質が生まれる。ラジカルは周囲の物質に手当たり次第にぶつかって、それを壊してしまう。遺伝子がそばにあったら、遺伝子を破壊する。これが放射線で変異が起きるメカニズム。

で、ラジカルはとても短命な物質で、何かにぶつかって消えずにはいられない。だから、放射線を当てた時にしかラジカルは発生せず、当てるのをやめるとラジカルは瞬時に消えてしまう。なので、放射線の影響は、当てた時にだけで、その後には残らない。ただし、遺伝子が変異するとそれが後に伝わる。

今回の場合は、カドミウムを吸収する遺伝子が壊れたらしい。心配している人は、そのカドミウム吸収遺伝子だけでなく、他の遺伝子もズタボロに壊れているんじゃないか、と言っているらしい。でももしそうなら、種子から稲は育たない。育つということは、生きる力が残っているということ。

それに、恐らくコメの品質を保つために、「戻し交雑」をやっているだろう。カドミウムを吸収せずに済む遺伝子だけを残して、他の遺伝子は普通のコシヒカリの遺伝子に置き換わるよう、通常のコシヒカリの花粉をつけては種子を作らせて、というのを繰り返す。

こういう処理を続けると、カドミウム低吸収遺伝子だけを置き換えた形で品種を作り出せる。今回のは、そうして開発されたものの様子。だから、遺伝子がボロボロになっているはず、という不安は、解消されても構わないと思う。

あと、「体に悪いものは体に蓄積してよくないに違いない」という不安が一般の人にはある。プランクトンを魚が食べ、それを大きな魚が食べ、さらにそれを人間が食べる、という食物連鎖の中で生物濃縮と言うのが起き、体に良くない成分をため込んでしまう、という現象。

ただ、この生物濃縮という現象は、脂に溶ける物質で起きる。水に溶けやすい物質の場合、すぐ分解されてオシッコになって出て行ってしまう。ただ、脂に溶ける物質の場合、分解がなかなか進まず、脂肪にため込む形となってしまう。

でも、放射線で発生するラジカルはあっという間に消えてしまうので、生物濃縮しようがない。遺伝子の壊れたのも、戻し交雑で元に戻しているからそれもない。だから、放射線を当てたコメを元に育種したからと言って、心配することはないというのが、私の見解。

これに対し、日本は火山国なので、土が新しく、カドミウムが高めになりやすいお国柄。雨で1億年洗われ続けた大陸と違って、コメもカドミウムが高まりやすい問題があった。今回のおコメはその問題を解決する可能性がある、かなり画期的な品種。

不安や心配もあるだろうけれど、開発した研究者の人は、そうした不安を取り除くための必要な研究は怠らずにやっておられると考えてよいと思う。

不安や心配を感じる人には、丁寧に、分かりやすく説明するのが専門家の務めだと思う。その際、大事なのは、自分と相手とは、決して上下関係などないのだ、という姿勢で臨むのが、とても大切なこと。その点、松永さんの記事は残念。内容が正確なだけに、玉に瑕。

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