価格破壊は生活破壊

百円ショップに行くと、前まで百円だったであろうサイズのプラスチック容器が二百円に。三百、五百円も多い。価格がかなり混在。店の様子を見て「ああ、これ、三十年前の荒物屋、金物屋だな」と感じた。

百円ショップが大阪や京都で目立ち始めたのは、阪神大震災以後だったように思う。数百円はするはずのラジオペンチが百円。やはり数百円はするはずのドライバーが百円。価格破壊の王様だった。

昔のモノの値段は「納得の価格」だった。ペンチは日本全体でこのくらい売れるんだろう、それをいくつかの工場が分担し、職人が手分けして作るんだろう、生活するには1日このくらいのお金が必要、一人の職人が1日に作るペンチの数はこのくらいになるだろうから、この値段になるんだな、と。

ところが百円ショップは、需要がどのくらいあるのかとか、それを製造する職人が何人いるのかとか頓着なしに百円。価格形成の仕方が問答無用で、百円で売りたいから百円。職人の生活や流通コストから積み上げたらだいたい推定できたモノの値段が、わからなくなった。みんな百円。

これにより、日本人の消費行動が変化してしまった。ペンチなんか家に一つあればよかったのに、いくつも買ったり。百円なら壊れても痛くもかゆくもないから、少し加減が悪くなっただけで買い換えた。バンバン買って、バンバン捨てる消費行動に。

すると、数百円する、職人の生活費と流通コストを積み上げたペンチは売れなくなった。これと同じことが、様々な商品で起きた。中国の製造会社が百円ショップに商品を提供し、それまで日本で製品を作ってきた職人は生活できなくなり、業態変化を余儀なくされた。

中には、中国の製造会社の向こうを張る日本の工場も現れた。ともかく大量生産することでコストを圧縮、百円ショップの希望する価格帯で製造・販売する。これは、職人一人が製造できるギリギリの量まで増産するということ。きれいに表現すれば「生産性向上の努力の結果」。しかし。

それは、たった一つの工場が、日本中の需要をまかなう勢いで大量生産するということ。しかも場合によっては、たった一人の職人だけを雇って。なるほどこれなら、百円で売っても利益は出る。しかし、その製品を作っていた他の工場や、職員は?その人たちの生活は?

百円ショップは、数百円程度の低価格帯にあった商品を軒並み問答無用に百円に押し下げた。それにより、中国企業か、フルパワーで大量生産する一つか二つの日本の工場が製品を提供するという形を生んだ。これにより、それまで製品を作ってきた中小の工場は、雇用を支える力を失った。

百円ショップは間違いなく「消費者の味方」ではあった。しかし、消費者は労働者でもある。百円ショップの普及で仕事を失った工場や職人は、生活できなくなってしまった。その人たちの雇用を奪うことになってしまった。収入減に陥り、百円ショップの商品を買わないと生きていけない皮肉。

百円ショップは、日本から雇用を減らす大きな作用をもたらしたものの一つ。価格破壊を行うことで、ごく少数の人だけが製造にあずかることができ、生活できるけど、他の人たちは日本で仕事を失うことになった。その人たちは高いものが買えず、百円ショップの商品を買うしなくなった。

つまり、百円ショップは、デフレスパイラルの原因の一つでもあるだろう。ごく少数の工場と職人が馬車馬のように働く「生産性の向上」でなんとか生活し、それにより多くの職人が仕事を失い、お金がないから安いものしか買えず、すると消費が落ち込むから景気が悪くなり、給料が下がり、の悪循環。

ヨーロッパなどでは、百円ショップほどの価格破壊をするようなものは普及しなかった。させなかった、と言えるかもしれない。それをすると自国の労働者の生活を破壊し、ひいては自分たちの生活を破壊することになるのを知っていたからだろう。それが彼らの生活水準を維持することにもつながった。

モノは正当な価格で買わなければならない、という感覚が、ヨーロッパにはあるようだ。それが日本のように底の抜けた価格破壊を押しとどめた理由かもしれない。しかしそれはかつて、90年代前半まで、日本にも存在したものだった。「この価格で売っちゃあ、業界の人生活できないよ」

百円ショップと同時期に注目を浴びた企業がある。ユニクロ。当時、Tシャツは無地で安くても五百円、せめて七百円はしたものだった。しかしユニクロは三百円のTシャツを手掛けた。商店街にあった衣料品店は、まったく太刀打ちできず、売れ筋を失って次々つぶれた。

二千円弱する衣料品を千円以下に、三千円程度する衣料品は千五百円くらいに。すべてが半額以下の価格で売るユニクロの登場で、多くの衣料品店、そして多くの製造業が経営が成り立たなくなり、つぶれていった。そして、その人たちもユニクロを買わねばならない金欠になるという皮肉。

ユニクロは中国の縫製工場や染色工場で大量生産し、コストを圧縮していた。それまでの日本の衣料は、中小のデザイン会社がデザインを考え、多様な服を少量ずつ作り、それが小さな小売店で並ぶ、と言った格好。各部門の人たちが生活できる価格帯で衣料品は売られていた。

ユニクロはそうした業界の事情をすっ飛ばし、中国で安く作れるから、安く売る。それにより、衣料品業界のかなりが潰れ、業態転換を余儀なくされた。衣料品小売り店の店長は店を続けられなくなり、低賃金の別の仕事を探すしかなくなった。

90年代後半に急伸した百円ショップとユニクロは、バブルが崩壊して以降、新しいものが生まれてこない日本において、数少ない成長株だった。それで何を勘違いしたのか、当時の通産省、現在の経済産業省が、日本企業の新しいモデルとして位置付けてしまった。それが運の尽き。

様々な業界で価格破壊が起き、日本にデフレスパイラルが定着する要因を作ってしまった。百円ショップとユニクロをモデルにしてしまった、政策側の失敗のように思われる。
戦後昭和の経済運営は、まったく逆の方針(ただし暗黙)で貫かれていた。それを思い起こすと、返す返すも残念。

戦後昭和で価格破壊を目指した男がいる。ダイエーの中内㓛。全国どこに行っても同じ価格で売られていたテレビを、価格破壊で売ろうとし、松下電器(現在のパナソニック)とやりあったりした。
私が子どものころは、「定価」という言葉があった。メーカーが定めた価格。どのお店に行ってもその価格。

やがてすべての商品をどんな値付けにするかをメーカーが決めてはいけない、というオープン価格の制度に変わったのだけれど、「希望小売価格」というのがあって、メーカーは頑強に抵抗した。利益がきちんと確保できる価格帯で売ろうとした。労働者の雇用と給料を守るには必要だったから。

90年代前半までは、メーカーが売りたい価格で売られている感じがあった。行政側も、モノの値段が崩れて生活できなくなる国民が出ないように、表立っては動けないけれど、陰でそれを支援していた節がいくつもある。そうしてモノの価格は維持されていたのに、90年代後半、底が抜けた。

百円ショップやユニクロが生んだ消費行動は、「他の製品でも価格破壊は可能なんじゃね?」という消費者意識を育んだ面があるように思う。多くのネットサービスがタダ出提供されることもあいまって、消費者はタダか激安に走るのに平気になってしまった。

同時に、働き方にも変化が。給与水準が当時高めだった派遣社員が拡充され、様々な職業で派遣社員が。しかしデフレ傾向と就職氷河期で派遣社員の給与水準はどんどん下がった。その人たちがまた百円ショップとユニクロに頼らざるを得なくなるデフレスパイラル。

今から思えば、就職氷河期も、安いものを買い求める消費者行動が招いた側面があるように思う。安いモノしか買わないから企業は業績が伸びず、人件費を下げようとするから派遣社員に切り替え、給与水準を下げる。それがさらに消費行動を手控えさせ、企業の売れ行き悪化。デフレスパイラルの一環。

日本は今、円安が続いている。デフレスパイラルが続く中、給与水準が低い生活が続き、働く意欲が減退する社会の中、また、派遣社員ばかりで会社の運命を気にしてられない働き手ばかりの社会にした結果、円安をてこに産業を起こそう、という気力体力のしぼりようのないところに追い込まれている。

しかし、多少手遅れ感があったとしても、もう価格破壊という手法に頼るのはやめた方がよい。それは結局、働く私たちの生活を破壊する。そしてさらに安いものを買わざるを得ず、私たちの給料を下げるデフレスパイラルの原因となる。価格破壊は生活破壊。

働く人達の生活がなりたつ、妥当な価格を。競争するなら安さではなく、性能や新規性で。価格破壊の文化をもう四半世紀続けて来たが、そこからまなんだのは生活破壊であったということを、そろそろ肝に銘じたい。

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