仮説(理論)には適用範囲がある

人工知能の研究してる人から「僕、ポパーの反証可能性、キライなんです。人工知能が出した予想を、反証可能性がないじゃないか、っていびる教授がいて」と言われた。ああ、その気持ちわかる、と思った。その教授は反証可能性の適用範囲を間違ってる。

反証可能性は、ある程度検証が進み、妥当だと認められた仮説、つまり「理論」には必要だけど、まだ予想でしかないものに強く求めるとただの「予想つぶし」にしかならない。

病気だと症例報告というのがあるらしい。これまで知られている病気とはどうも異なるという場合、もしかしたら新しい病気かもしれない、というもの。もしかしたら二度と現れない病気かもしれない。気のせいだったかも、勘違いだったかもしれない。しかしそれを見逃したら大変なことになるかもしれない。

エビデンス出せっつったって、一件しか症例しかなければ、出しようがない。「反復数がないものはエビデンスとは言えない」なんて言って否定ばかりしていたら、新しい病気の広がりを防げないかもしれない。だから、たとえ少数でも症例報告するようにしてるのだろう。

早めの探知には、反証可能性だとかエビデンスとか、求めるのはムリがある。適用範囲を間違ってる。探知、予想は、信じるにはまだ足りない、断定するにはまだ早い、ということを前提の上で、安易に否定しない、という姿勢が大切。

私は子育てのことに関して観察を普段から行い、その気づきをつぶやいてる。すると、いまだに「エビデンスがない」と指摘することで否定できると思ってる人が、エビデンス、エビデンスと言ってくる。しかし、気づきの段階でエビデンスを求めるのはムリがある。気づきは気づきでしかない。

気づきはそもそも、エビデンスと言えるものが一つしかまだないのが普通。ただし、意識的にデータ取りしてないから明確に示せないけど、そういえば、と、過去の体験から蓋然性が高いと感じるから、気づきになってる。あながち、そうデタラメなものでもない。

気づきから浮かび上がった「仮説」を多くの人と共有し、それをいろんな人に試してもらう。有効性があるようなら、それは広く共有されてよい知恵の一つになる。
しかし、そうした知恵も、まずはたった一つの気づきから始まる。気づき潰しするのは、いかがなものかと思う。

そして、どんなことにも「適用範囲」というものがある。気性の激しい子に使えるコツが、おとなしい子に適用できるとは限らない。おしゃべりな子に適用できるコツが、物静かな子に適用できるとは限らない。必ず適用範囲があり、適用範囲外にまで押しつけてよいものではない。

このコツはこの子に当てはまるかどうか、というのは、親や教師、大人たちがその都度、試行錯誤の中で確認していくしかない。
そんなアヤフヤなものだったら知っていても仕方ない、と否定してかかる人もいる。しかしそうではない。皆目見当がつかないより、いくつかの仮説に絞れてるのはありがたい。

闇雲に当たるよりは、いくつかの仮説を知っておき、それを一つずつ試すと、その反応を観察することでかなりの見当がつく。仮説のどれも当てはまらないかもしれない。しかしいくつか用意した仮説に基づいてトライした結果、その都度、反応が得られたはず。そこから新たな仮説を紡げる。

どんな理論も、適用範囲が決まっている。万物に通じる理論はない。けれど、いくつかの仮説を用意しておけば、かなりカバーできる。適用範囲の異なる仮説を用意すること。

物事には必ず適用範囲がある、ということを、弁えることが肝心。

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