意欲の根を切る助長より、楽しい環境づくり

「子どもは言わなきゃ動かない」と思うから、ヤイノヤイノと言って子どもを動かそうとしてしまう。しかしこれは「助長」になってしまう。昔、ある農家が、隣の畑のほうが苗の伸びがよいことを気に入らず、苗一本一本を引っ張って上に伸びるのを助けようとした。しかし翌日にはみんな枯れてしまった。

上に引っ張って根を切ってしまったからだ。子どものやることにいちいち口出しし、命令で動かそうとすると、この「助長」と同じになる。命令されるうるささにその場ではやってるように見せかけるかもしれないが、意欲の根は切れてしまう。やる気がないからやってるフリはしても身につかない。

では、何もしなければいいのかというと、さにあらず。植物の成長を促すのに苗を引っ張るのは論外だが、植物の生育を促す「環境」を整えることは可能。植物は水、光、肥料、二酸化炭素が必要。これらを、その植物に適した形で用意できると、植物は自らの力で成長し始める。その環境づくりが大切。

朝顔の場合は、さらに棒をそばに立ててやる必要がある。上に伸びるためには、絡みつく棒が必要。それをしないと地面でとぐろを巻き、やがて枯れてしまうかもしれない。
でも、あくまで伸びる力は朝顔自身の力から。周囲ができるのは、環境的補助だけ。あとは祈るのみ。

祈るのみになったところで、一つできることがある。というか、そうせずにいられないことがある。本人が能動的になったとき、驚くこと。本人が能動的に伸びようとする「奇跡」は、親にはどうしようもないもの。それが起きたとき、驚かずにはいられなくなる。すると不思議なことに。

子どもからすると、自分の能動性で他人を驚かすことはとても楽しいことらしい。すると、子どもはまた驚かしたくなる。それにまた驚くと、子どもは味をしめる。やがて、能動的になることがクセになる。

子どもは本来、学ぶことが大好き。もし大人が、「よくそんなこと知ってるなあ」と驚いたり「いつの間にそんなことできるようになったん?」と驚くと、子どもは「まだまだこんなもんじゃないよ」と、さらに驚かそうと目論む。すると、自然に学ぶことが楽しくなるらしい。

学ぶことが楽しくなるデザイン。それこそが大切なように思う。私は「驚き屋」として、子どもが能動性を見せたときに驚く「反応器」になっている。すると子どもは次々に能動性を示すようになるようだ。
そうせずにはいられなくなる環境。その環境づくりに力を入れたほうが、助長よりよいと思う。

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