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ウイルスの底知れぬ怖さ 驚異の生存戦略に迫れ 新型コロナウイルスの感染が広がり始めたころ、専門家は「したたかで賢く、やっかいだ」とたびたび口にした。感染しても多くは軽症か無症状とされる。感染した人の死はウイルスの死を意味する。発症せずに人知れず感染を広げるような戦略に専門家ですら底知れぬ怖さを感じたのだ。

地球上には、おびただしい数のウイルスがいる。繁栄の陰には巧妙な生存戦略がある。小さな体のどこから「賢さ」が生まれるのか。ウイルスとは何か。謎に満ちた驚異の実像に迫る。 生物の体を乗っ取り、自在に操る――。ホラー映画の主役のようなウイルスがいる。チョウやガの幼虫に感染する「バキュロウイルス」だ。感染した幼虫は高い所を目指す衝動にかられ、木の枝の先で力尽きる。死骸は溶けるか、鳥が食べる。全てはウイルスをまき散らすため。ウイルスが描くシナリオ通りに事が運ぶ。 こんな恐ろしいことがなぜできるのか。幼虫の異常行動は100年以上前から謎だった。一端が解明されたのはここ10年ほどだ。東京大学の勝間進准教授はカイコで謎解きに挑んだ。理化学研究所や米カリフォルニア大学と組み、ウイルスが「PTP」というたんぱく質を使い、幼虫を操っていることを突き止めた。 ウイルスの遺伝子は100~150個のうち1~2割はカイコとそっくり。PTPを作る遺伝子も含む。「進化の過程で、ウイルスは感染した昆虫の遺伝子を手に入れた」と勝間准教授は考える。 昆虫から入手した遺伝子は独自に改変し、ついには脳や神経を侵して幼虫を生かさず殺さずに操れるようになった。一連の研究が2018年までに論文にまとまった。 巧妙な戦略には驚くが、実はウイルスは「賢さ」とは無縁の存在だ。体は5000分の1ミリメートル以下。遺伝物質のDNAやRNA(リボ核酸)をたんぱく質の殻で包んだだけ。核や小器官を持つ細胞よりも、はるかに単純だ。感染した細胞が無ければ、自力で増殖もできない。 人類の目に「生存戦略」と映るのは、遺伝子がたまたま変異して子孫に受け継がれた性質を見ているだけだ。 それでも侮れない。自然界は環境に適応できたものが生き残る。変異が偶然であっても、今日まで生き抜いたのは「成功者」の証しでもある。 果樹に感染する「プラムポックスウイルス」も成功者だ。東欧から生息域を広げ、09年に日本でも見つかった。 1月、東京大学の前島健作助教らが国内に侵入したウイルスのゲノム(全遺伝情報)から驚きの手口を解明した。 ウイルスは侵入時期に自身の感染力や毒性に関わるアミノ酸の一つを「弱毒型」に変異させていた。「葉や実が変色するなどの症状が出にくく、検疫の網をすり抜けた」と前島助教。入国後は再び感染力や毒性を取り戻していた。一時的に仮面をかぶっていたわけだ。研究チームは「ヒトの感染症でも監視網をかいくぐる手口になりかねない」と水際対策の強化を訴える。 ウイルスに「監視をすり抜ける『意思』は無い」(前島助教)。だが感染拡大の意図を感じる例は他にもある。狂犬病ウイルスだ。感染したイヌは攻撃性が増す。かんだ相手の傷口は絶好の侵入口だ。 ウイルスを「病気を起こす小さな悪者」ととらえるだけでも、想像以上にしたたかな戦略をあぶり出せる。感染される側もやられっ放しではない。ヒトなどは「自然免疫」や「獲得免疫」が病原体の襲来に備える。こうした攻防もウイルスの進化を促した。 一方、敵視するだけではウイルスの本当の素顔は見えてこない。感染相手が死ねばウイルスも消え去る。この微妙な力関係が時に相手と利害の一致をみる。敵対関係では成り立たない戦略が生まれる。 「ポリドナウイルス」は芋虫に巣くう寄生バチの卵巣に感染する。寄生バチが芋虫に卵を産むと同時に芋虫に侵入し、寄生バチの卵や幼虫を芋虫の免疫から守る物質作りに一役買う。芋虫のホルモンを乱してサナギになるのを防ぎ、寄生バチの誕生も助ける。芋虫からすれば悪賢いやつだが、寄生バチには救世主。神戸大学の中屋敷均教授は「これも進化の結果だ」という。 地球には推定で約3000万種もの生物がいる。その数だけウイルスの生存戦略もある。病原体など既知のウイルスは約6600種とごく一部とされる。いまだ人類はウイルスの全貌をほとんど理解していない。

#COMEMO #NIKKEI

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