一般社団法人「プロジェクト希望」


#日経COMEMO #NIKKEI

【この記事のポイント】(この日経記事から)
・感受性豊かな小学生段階での文化的活動、必ず将来の役に立つ
・3つの体験が軸、「親子で共通」「将来展望」「世界観一変」
・意志実現へちゅうちょなく自分のお金投じる経営者に期待
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 会社の社長さんなど、成功を収められた方が、第2の人生を語られる時、教育の重要性を強調される。これは、私が中学生の頃から変わらない。多分、それ以前でも、そのようなことが言われていたと思われるが、少なくとも私が覚えている限り、過去50年は同じことの繰り返しである。50年も前の情報源は、紙の新聞であった。中学生の私は、「教育」こそ、人生の最初から取り組むべき課題だと思って、そのように人生の舵を切った。

 平井和夫さんの述べられている考えはアイデアとしては素晴らしいと思う。人の人生がどう進むかは、わかりそうでわからないし、調査も難しいので、平井さんの方針でうまくいくかもしれない。

 成功を収められている社長さんたちだから、自分の考えが一番正しいと思いがちだが、私の研究では、以下の点で少し効果が薄れてしまう危惧がある。

1)イベントの提供に一定の効果・意味はあるが、「楽しませてもらっている」という原型では、その場限りの娯楽の域を出ることはない。私調べでは、近所のGifted Schoolで、イベント中心で、毎月のように特別学習をして、親にアピールしていた学校があったが、子供の成長には結びつかなかった。むしろ、通常の基礎学習の時間が減って、弊害すらあった。

2)イベントが終わったら、貧困、そこまではいかなくても、生活に余裕がない、望む効果の出ていない学習状況での学校生活など、現実に戻らなければならない。平井さんのいう「感動」は、未来への進歩につながっているという感覚に導いていかないと、より厳しい現実に直面する可能性がある。平井さんは、「感動」を未来へつなげるところは自力でできると思っているかもしれないが、子供だけでは、あるいは、親にその意識がないと、その「感動」はその場の感動だけに終わってしまう。

3)端的に言って、この「感動」も与えられるものではなく、能動的に得られるものである必要がある。初めのきっかけは、このように与えられるものであっても、それが発展していく道筋で、能動的になるべきである。このことは、のちに説明していく大学入試制度の改革案につながっていく。

いずれにしても、アメリカで成熟している、富裕層の教育への資金の流れは歓迎したい。「アメリカで成熟している」仕組みを日本で作っていきたい。