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少しだけマイノリティな私

最近、自分のマイノリティな面について考えることが多いので、今日はそのことについて少し書いてみようと思います。


私は話すこと(声を出すこと)がとても苦手です。
音読や暗唱、呼名されて返事をすること、学習発表会でセリフを言うこと、自己紹介で名前を言うこと、ガヤガヤした学食や居酒屋で友達と喋ること、など苦手な場面は数えきれません。
小学生の頃から現在に至るまで、自分のこの感覚について夜な夜な調べたり、辛くて泣いたり、本気で学校をやめようと思ったり、意識しなかった日はありません。でも、そのことについて誰かに聞いてもらおうとしたり、同じような症状の方の動画を見ようとしたりするなど、何かアクティブに動こうとすると胃が痛くなってきていつもやめてしまいます。今も若干胃を痛めながら書いています笑
私と同じような人は人口の1%、100人に1人ほどの割合でいるそうです。

また自分のセクシャリティについて、私は誰か(何か)に性的魅力を感じるということがよく分かっていません。確信しているわけでは全くないのですが、アセクシャルなのかなと思っています。
アセクシャルという概念を知ったのは実は最近です。
その頃noteで私と同じような方々の話を読んで、何だかすごくほっとしたし心強さを覚えました。
アセクシャルも人口の1%ほどの割合だそう。
周りの人に何となく相談すると「まだ出会いや経験がないだけだからそんな思いつめることないよ」のように言われることが多く、確かにそれもそうかもな、と思ったり、私のこの感覚はあなたとは違うのよ、と言いたくなったりします。
恋人ができた経験はおろか久しく好きな人すらできていませんが、恋愛感情は異性に向いていると感じています。
自分のことを特別に思ってくれる存在がいること、自分にとって特別で大切な存在がいることはとても素敵だと思います。
私もいつかはパートナーと呼べる人と一緒に暮らしたいし、ゆくゆくは家庭を持ちたいという思いは小さい頃からずっとあります。
と言いつつ、お守り(盾)としてエースリングが欲しいなと思って最近は探しています。

ちなみに私のMBTIはINFJらしいのですが、これも少ない方みたいですね。


さて、今回は私のマイノリティな面の一部について書いてみましたが、自分がマイノリティだから人よりしんどい思いをしているとか、そのようなことを言いたいわけではありません。
むしろ、自分は世間では圧倒的にマジョリティ側にいる人間だと思っています。

ただ、自分と同じことで悩んでいる人が世の中にはあまり多くないのだということを考えると、ほんの少しだけ、自分が特別な存在であるかのような気分になることがあります。
また普段あまり出会うことがない分、同じことで悩んでいる人を見つけた時に並々ならぬ安心感を抱いたり、仲間を見つけられたような嬉しい気分になることもあります。
そんな気分になることも、悪くないと思うのです。

そして私はこれからも、noteで自分と同じようなことに悩んでいる人の綴った文章に出会っては、心がほっと温まる時間を過ごすのだと思います。

私の文章も、誰かの心を少しでも温められていたら幸いです。





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