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【最後のテーマを無料公開】これからのパートナーのかたち:結婚する、しない?〜同性恋愛を楽しむオスカルの場合

こんにちは、オスカルと言います。先日、同い年の女性と同性結婚しました。

“普通じゃない”と言われる恋愛をしている仲間とともに、平成の終わりから令和の始まりにかけて、新時代の恋愛観を考察する 「令和新恋愛論」 というマガジンを綴ってきました。

このマガジンでは8つのテーマに対して自分たちの“普通じゃない恋愛”をそれぞれ考察、最終テーマは「これからのパートナーのかたち」と題しこれまでの考察をまとめました。タイムリーにnoteのお題企画で #私のパートナー の文章が募集されていると知りこの最終回を無料公開することにしました。

結婚、事実婚、別居婚、結婚しない・・・ 少しずつですが様々な選択肢が認知されるようになってきました。自分たちにとってベストな形を選ぶには「自分はどういう人生を歩みたくて、その中でパートナーシップはどういう位置づけなのか。」を、各自がある程度答えを出しておく必要があると思います。この文章がそれを考えるきっかけになればと思っています。

さて、同性恋愛を楽しむオスカルが選んだ「これからのパートナーのかたち」は、

“自然体に暮らす”です。

このありきたりな事を書こうと思ったきっかけは、先日のハネムーンです。

ハネムーンは日本の反対側へ行ってきたのですが、旅先のホテル従業員や現地観光ガイドの方に「2人はどこから来たの?観光できたの?」と聞かれることが多かったです。

その時「私たちは夫婦で、この旅行はハネムーンだよ!」と答えたら「おめでとう!楽しんでね!」と顔色一つ変えずに祝福してくれました

旅先では手を繋いで観光地を散策しながら行き交う人と「Hello☺︎」と笑顔で挨拶を交わしたり、カップルや夫婦の来店が多いおしゃれなレストランで食事したり、「日本じゃ、こんなに大胆にできないね〜」と言いながら旅を楽しみました。


そして日本に戻って税関を通る時に、職員の方に「2人は姉妹?」と質問されました。

「友達です。」と返答しました。
この時、言葉ではうまく言い表せる事が出来ませんが、ボディブローのようにズンとダメージを受けたのを覚えています。

「同性の夫婦です。法律で認められていないので入籍ができず、法律的には赤の他人になります。」と返答しても良かったのですが、結局は日本で分かりやすく端的に伝えると“友達”になるんだなと。自分の発した言葉で自覚し、それにダメージを受ける自分を認識しました。


その経験もあり、旅先でしていたことを日本でも自然体のままやることが、まずは大切なのではないかと思いました。


同性恋愛・結婚を日本で認めてもらうために自らメディアなどに出てメッセージを伝えるわけでもなく、周囲の人に隠して暮らすわけでもない、特別なことはしません。
ただ、自分たちの住み心地の良い土地で、誰にも気兼ねせず、静かに心豊かに暮らしたい。
そこに存在することを認めてもらい、地域の人たちと仲良く暮らしたいです。それを続けるためにも、自然体を大切にしていきたいです。

自分たちが求めているのは、大切な人や法律で“夫婦”として認めてもらうこと。

そのため、日本の法律が変わったら入籍しようと思います。

けれど、待つだけでなく自分たちの大切な人に報告して、認めてもらうことが一番大切だと考え、結婚式(人前式)をあげました

そして、結婚式で大切なゲストの前で
「私たち2人は日本の同性恋愛・結婚のロールモデルとなる」と宣言しました。
それを一生かけて実行・実現していきたいと思っています。


また、2人で子どもを育てたいと思ったら、その時は育てます。
賛否両論あると思いますが。

どこかの議員も"同性カップルは子どもが作れないから生産性がない"と言っていましたが、子どもが作れないのは異性カップルでも有り得る事で同性に限った事ではない。まずは同性カップルが子どもを育てられる制度を国が用意する事が大切なのではないかと。子どもを授かる・育てる方法はあると思います。ただ、日本でその前例や習慣が無いだけで、最初から否定ばかりでは進歩しないと個人的に思います。


同性カップルでも、いまの法律に乗っとり“遺言書”を用意すればパートナーへの相続も出来る事はできます。
そして、パートナーやパートナーの親と養子縁組すれば家族になる事もできます。
そうすれば医療機関での面会や税額軽減措置、子供の親権も持てます。

やろうと思えば、やり方はある。
しかし、いまのやり方だと“夫婦”としては認めてもらえません。このやり方は、自分たちが求める本当の解決ではないと判断しました。


本来の家族としてあるべき“夫婦”として認められなければ、差別も偏見も無くならない。
そう感じます。


自分たちの軌跡を残す

同性カップルがどのように出会い、法律では認めていない時代に結婚式を挙げ、将来を誓い合う選択をしたか。
自分たちと同じ選択をしたいと考えた人の参考になるように、記録を残しておきたいと思いました。

そう考えていた時、ちょうどジャンヌから「一緒にnoteで連載やらない?」と誘ってもらいました。
自分たちが振り返るとき用に、箇条書きで時系列にやった事だけ記録していけばいいかな?程度の気持ちでいましたが、そのお誘いのお陰で自分の気持ちの変化や境遇、決意を客観的に観察して拙い文章にすることができました。
この場を借りてジャンヌにお礼を!
「本当にありがとう!」

素人の文章なのでまとまりや結論がしっかりしていないけれど、今まで書いてきた記事が少しでも他の人の参考になれば幸いです。

いつの時代も恋愛の悩みや課題はつきません。それは、恋愛は両者のモノで、そこに第三者が介入して正しい・正しく無いと決めつけられないからかもしれません。
しかし、第三者の言葉で人は簡単に傷つけることができます。

そんな新しい道を切り開いていこうと行動している人をどうか温かい眼差しで見守っていただければと思います。

誰かが決める“普通・普通じゃない”という言葉ではなく、自分・パートナーの中に愛情があるか、その愛を突き進む・貫く覚悟があるかを自分に問い、令和時代も自由な恋愛がどんどん発展していくことを願っています。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

よろしければ是非「令和新恋愛論」 マガジンにて、恋愛の関する様々なテーマを綴っておりますのでご覧ください!

こちらは共同マガジンに参加してくれた、先日めでたく超年上外国人と国際結婚かつ赤ちゃんを授かり、女性の生き方・結婚のあり方について新しい道を切り開いているジャンヌのnoteです。彼女の生き方は、これからの女性活躍時代のロールモデルとなっていくと信じています!


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