物を残すということ、地続きに残す
今日水俣病の勉強会に出て分かった事であるが、仏教を伝えるというのは、水俣病の悲しみや・そこで起こった問題、人々の苦悩を、後世に大切に伝える事と似ているのだ。
どちらも伝えなければあっという間に風化していく。そしてそこにあった事実が失われていく。どちらも悲しみから生まれたものである。後世に、そこにどのような悲しみがあったのか、何があったのか伝えなければならない。
しかし、ただ伝え、ただ残せばいいのではなく、伝え方・残し方が大事なのではないか?
ふざけて扱う事などできない。ポップに楽しく扱い、伝えて行くという事は成り立たないのではないか。悲しみから生まれた教えを何か少しでもふざけたものを「まぶして」「ポップにして」伝えるという事自体が、何かがおかしいと感じる。
何かを残すとき、何かを伝えるとき、それをどのように残すのかというのはとても大切な問題だ。
私たちの先人は決してそれをふざけたり、面白おかしくして伝えはしなかった。ただ残せばいいのではない、これまでの先人が残してきたように、地続きに残していくという事が大切なのではないか。
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