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天命反転とは、美学と戦うことだった

毎日書こうと思っていたのに、5日ほど休んだのは、荒川修作が1997年に話してくれたことを、読み返していたためでもある。

これはあまりにもったいないから、電子情報通信学会のIBISML研究会に提出している。(2011年6月の信学技報)

ニューヨークに会いに行った私に、荒川はまずどうして天命反転のようなことを始めたのかを語ってくれた。


それは美学から芸術を解放するためであり、魂は神様から頂くから崇高だが、身体は死すべき運命にあるとする、西欧キリスト教の心身二元論から、人類を解放するためだった。

この美学との戦いは、シュールレアリスム、ダダイズムなどの、現代アートが目指したことである。

しかし、シュールレアリスムもダダイズムも、結局美学から逃れられなかった。精神・魂と、身体を分離して受け止める心身二元論という、西欧の民衆信仰の誤りから逃れられなかった。

なぜならば、キリスト教がこの迷信を自らの教義に取り込んだからだ。あの理性的で、論理的なキリスト教の教義のなかに、無知な民衆の迷信が取り込まれていて、容易に取り除けないことは、笑い話のようだが、本当だ。


心身一元論の東洋からやってきた荒川だからこそ、美学と真っ向から戦えた。

東洋人でも、論理的思考ができないと、現代アートの歴史を理解できずに、ハプニング芸術で終わってしまう。篠原有司男の作品などは、まさにこの流れだ。そして、日本人の多くは、荒川よりも篠原を支持するのだ。


荒川が処女作と自称する『意味のメカニズム』で、取っ組み合いして、解明しようと試みたのは、我々の知能の形成メカニズムだ。これを構築するシステムが、天命反転なのだ。





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