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もう美術館の時代は終わった

2010年に荒川修作がこの世を去ったとき、私はもう一度インタビューしたいと思っていながら、申し込まないままになったことを悔やんだ。


いろんな人が荒川さんと対談やインタビューしてるけど、否定的なものも多く、荒川さんのことを理解するための質問もほとんどみられない。


美学に苦しめられたことのない、ということはつまり、外見上・うわべだけ取り繕った現代アートばかりをみてきた日本人が、荒川を理解することは難しい。龍安寺の石庭の雰囲気とは、まるで違う論理をともなって、デュシャンの「泉」は生み出されたのだ。


西洋の論理性、論理を構築することで世界を自由につくり出すことが許される西洋を知らない人間は、そこで現代アートに求められた役割を理解できない。


荒川をもっと理解するためには、とりあえず荒川に話を聞けばいいと、私は甘く考えていた。 荒川に質問することをまとめるために、養老天命反転地や三鷹天命反転住宅を訪れて、使用法に沿って身体を動かしていた。


ところが荒川がいなくなった。どうしたらよいのかわからない。


結局、荒川を理解するためには、自分自身が荒川を生きるしかないと思って、私は「意味のメカニズム」の図式絵画を一枚一枚丁寧に読むことを始めた。


これまでは、変な絵画として遠目にみてきたものを、自分自身の意識構造のなかに似たものを探すようにみる。そして、感じるものがあると、富山のマイルストーンアートワークスの月刊コラムに書いた。

https://www.milestone-art.com/MILESTONES/issue125/htm/p17tokumaru.html

するとそれまで単なる絵画でしかなかったものが、自分の意識の一部な感じられるようになった。


「もう美術館の時代は終わった」と荒川が言ったのは、このことなのだろうか。


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