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宇多田ヒカルの魅力と危険性


今日、宇多田ヒカルを聴いていた。

そして激しく後悔した。

定期的にやってしまうのだ。

宇多田の魅力と危険性について思索していく。



そもそも今日はGWがやっと終わって日常が戻ってきて1日目。
午前中は仕事に必要な資格取得のための勉強をして、昼過ぎから溜まった家事を消化していた。
子供の食事を大量に作り置き、余ったナスを自分用に煮浸しにしておこうとしていた。
途中まではYouTubeで勉強の続きの講座を流し聞きしていたのだけど、飽きてきたので音楽を聴こうと思った。

私は自宅に居る時はいついかなる時も音楽をかけていて、
普段はAlexaに、毒に薬にもならないようなJAZZなんかをかけてもらっているのだけれども、
最近反抗期もしくは老衰気味なAlexaは
「あなただけのカスタムミックスを再生します。(独特なイントネーション)」と言った後沈黙してしまうことがある。

そこで今日は手元のスマホからYouTubeで何か流そうと思い、つい魔が差して宇多田ヒカルを再生してしまった。

宇多田の「光」ってさ、mvキッチンがキッチンだし
あと「トラベリング」なんて昼でも夜でもずっとドライブの定番BGMでさ、
なんか、なんかBGMにいいかなって時々選んでしまう。
(モニョモニョした言い訳)


結論から言うと、宇多田ってさ、
この街でがんばるね〜!何も怖くないモード!
てなる時と、

喪失の予感が止められなくなる時があるじゃん



しかも、それが同じ曲で押し寄せて来たりするじゃん

だからうっかり何度も聴いてしまう
そしてまた思い出たちにふいに乱暴に掴まれちゃう


思い出っていうか、その時の気持ちみたいなものが宇多田によってものすごく鮮やかに
なんならその当時感じたのより強くはっきりした輪郭と色を持って、押し寄せてきてしまうんだよね

かつての私は
感情だけで生きていた頃が確かにあって
それはもうやめにしたんだ
優しい日常愛してる


やり尽くして、感情に身を任せることはなくなって、ちゃんとした日々に追われてるけど
悲しかった過去が、予感みたいに目の前に今もあることに気付く時が時々あって

そうすると、私がかつて増やしてきた忘れられないものの数と、その大きさと、結局それは現在と地続きであることがわかって
呆然とするような安心するような気持ちになる


これが宇多田の危険性
その心地よさにまた忘れて、
同じようなパンチ何度も食らっちゃう


こんなふうに宇多田に特別な感情を持ってるみたいなふうに言ってるけど
たぶんみんなそうなんだよな。
みんなが自分の中の宇多田があって、たくさんの思い出があって、まるで一口に「梅田駅」と言ってもたくさんの梅田駅があり、みんながそれぞれ自分の思う梅田駅を心の中に持っているという梅田ダンジョンみたいだ。

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