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小学校の生徒会選挙が、心から政治を引き離す説

今ふと、小学生の頃の、生徒選挙の苦痛を思い出した。

立候補する(させられていた)子は、政治家(運動会とかで硬い顔して長い話するおっさん)のように自分の名前を書いたタスキを肩にかけて、みんなの前でスピーチをしなければならなかった。姉が生徒会に立候補した(させられた)時、姉のタスキ姿を見て「とてもかわいそう」と思ったのを覚えている。(運よく僕の代でそのルールは廃止になった。)「あ、この世界とは距離をとった方がいい。」と直感で思うのだ。スーッと心が引いていく。そんなこと誰もしたくなかったはずだ。

あれはなんだったのだろうか。「政治家がタスキをかけてやっているから、小学生もやろうや(笑)。」なんて思いついた奴がいたのなら、そいつは相当な重罪。ナンセンスが過ぎる。全く笑えない。百歩譲って、名前を覚えてもらう方法が必要だとしても、もちょっと可愛くデザインしようという発想はなかったのか。みんなが「羨ましい。」と思う名前の掲げ方やスピーチのあり方を探せよぉ。あの時、立候補する子はみんな苦い顔をしていたはずだ。嫌だという子どもを宥める先生の表情にもきまり悪さが感じられた。

生徒会長を決めるのを、政治家(入学式の時に現れるなんか知らんおっさん)を決めるように「選挙」と呼ぶのもミスコミュニケーションじゃないか。「みんなのリーダーを決める会」とかの方が小学生は積極的になったのではないか。人をまとめること、コミュニティをいい方向へ発展させること、現状を改善していくことなどについてみんなで話し合う習慣ができたのではないか。

大人が考えることは大抵ロクでもない。そして一方的だ。

今とかめちゃくちゃそんな感じがするよね〜、と書いてたら思ってきた。


僕らの世代が政治が嫌いなことの1mmくらいは、小学校の生徒会選挙のルールが潜在的トラウマになっている説、てことをなぜか急に思いついた。今はそんなナンセンスな生徒会長選挙してないだろうから、これを書く意味はないのだけれど。そして俺もいい大人だ。

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