焚き火
妻に叩き起こされた。
寝ぼけた自分には、何が起こったのか分からないが、見上げるといつになく不貞腐れた妻の顔があった。
「note見たけどさ、私や家族や、身元が分かるようなことは書かないでっていったのに…」
「分かんないように書いてるじゃん…」
「あなたはそう思ってるから書いてるんだね、ああそう」
「わかったよ、もうじゃあいいよ、note辞めるよもう」
「別に辞めることないけどさぁ…」
・・・
そんなことを口にしてから、ここ最近noteに向かう気持ちになれなかった。
これでも気を付けて書いているほうなのだが、それでも文句を言われることに、ウンザリして、つい投げやりになった。
「もう少しでフォロワーさんも1000人になるのに…」とブツブツ文句を垂れながら、放置していたnoteに目をやると、いつもより多くの人に見てもらっていて、心の中で「こんなに見てくれる人がいるのになぁ…」と、ぼやいた。
妻がnoteを見回したのは、たぶん6月の終わり頃、僕がはじめてnoteのフォロワーさんと、実際に会ったからかもしれない。
同じADHD、ASD持ちの、焚き火くんと会った。
メッセージで「会いたい」と言ってくださって、事務所までわざわざ足を運んでいただいて、うちの事務所なのにカフェ代までごちそうになった。
僕もそれなりに忙しかったけれど、自分の話で少しでも役に立てるならと、どこか嬉しかった。
先日の話じゃないけれど、noteで知り合った顔も知らない人に
「会いたいです」って言う彼も”普通じゃないな”と思ったし、その彼の行動力に凄いなと、心打たれたのもある。
彼はとても爽やかで、誠実で、それなのにイキイキとしていて、夢を追いかける姿が、起業する前の自分の姿に重ねて見えた。
僕は僕で、待ち合わせに5分遅れて、彼は彼でうちの事務所で”なくしもの”をしたりして「あるある、うんうん、分かるよ」とやはりADHD仲間だなぁと頷き合った。
聞けば、彼は発達障害を持つ人たちの集まりの場を作っている。
自助会は各所にあるが「焚き火」を囲むスタイルは独特で、一人の経営者としても「面白いな」と感じた。
原始の時代から、近代まで人類はいつも火を囲んで、友や大切な人々との絆を紡いできたから。
現代、発達障害に悩む人々がいかに多く、いかに孤独か、僕もnoteで出会う人々に触れて分かったから、そういう温かい場所がどこかにあったなら良いのにな、と思うから彼のやっていることに自然と応援したいと思えた。
今日久々にnoteを開いてみれば、焚き火ではなかったが、BARでの自助会を開催し、荒天にも関わらず人も集まったようで、自分事のように嬉しかった。
結局僕は、彼に大した話はできなかったけれど、これからも陰ながら応援させてもらいたいと思う。
僕はこのnoteのおかげで、ADHDと自分自身と向き合って、始めたころの悩みも、苦しみも本当に無くなった。
こんな自分が大好きだし、ADHD特有の行動力や能力を誇らしく思っている。
だからこそ、妻との些細な喧嘩で、投げやりに口走った「noteを辞めても良い」といったのは僕の正直な本音でもある。
だけど、まだこんな僕の書いたnoteでも、焚き火みたいに「温かい」って、同じ発達障害を持つ人たちや、何かに悩んだ人が見に集まってきてくれて、誰かの心が少しでも楽になるなら、まだ書きたいなとは思っている。
子どもや、新居、新しい会社、きっと僕はこれから忙しくなり、いつかこの灯した火は消えてしまうけれど、彼のような若い人がまた火を灯し、誰かの心を温かくしてくれることを願っている。
妻の怒りの導火線に火が移らぬように、ゆっくりと消えゆくまで、もう少しこのままでいようと思う。
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