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守られている

生きていると「最悪だ」と嘆きたくなるような大変な出来事がある。

それが起こると、辛くて、苦しくて、投げ出したくなるような気持ちになる。


だけど、本当は助けられてるかもしれない

「なんで自分がこんな目に」

「どうしてこんなに辛い思いをしなくてはならないのか」

「苦しくて仕方がない」

最悪な時は、そう感じる。

けれども、人生と言うものは後になって振り返ってみると

あの辛い出来事がなかったら、もっともっと大変だったかもしれない

そんな風に思えることが沢山ある。

「そんなものは結果論で、どうとでも言える」

確かにそうなのだが、結果として今生きている。
それがあったから、得られたものがあり、なんとかやっていけている。


大喧嘩して
大病を患って
大切な人を亡くして
大事なお金を失って
大変なことが人生では起こる。


だけど、その「大変」がなければ、どうなっていたか分からない。

もちろん、誰しも願うことなら何事もなく、幸せでいたい。

けれども、文字通り、大変な目に遭う時こそ”大”きく人は”変”わる。


もしその大変がなければ、もっと悲惨なことになっていたかもしれない。

もし今、幸せで大切なものがあるとしたなら、それと出会えなかったかもしれない。

振り返ると、そう思えることがいくつもある。


「だからポジティブでいよう」ってこと?
いや、ちょっと、そんな話とは少し違う。

上手く言えないのだが、人は一見、苦しく思えることほど、守られていることが多いという話。


僕自身、経営者として、多くの秀でた人たちの話を聴くと、誰もがそんな経験をしている。


幼くして両親を亡くした。
だからこそ、弟や家を守らなければならないと、力を持ち成功を収めた人。

人に騙されて野草を食べなければ生きられないほど貧乏になった。
だからこそ、お金の尊さやルールの尊さを学びお金持ちになった人。

小さい頃から喘息で寝たきりだった。
だからこそ、自分で治さなければと健康について独学で学び、世の中の人を健康にしたいと、使命を持ち何千人の生徒を抱える料理教室を展開して、今でも若々しい人。

不治の病になった。
だからこそ、人一倍明るくて優しくて、面白く生きる人。



大変だからこそ、その人にしか分からないことや、その人にしか出来ないことがある。



かと言って「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉は、僕はあまり好きではない。

なぜなら、人は良くなる為に、必要なことが必要な時に起こると考えているから。

人生、生きてるだけで辛い事、苦しいこと、大変なことは起こる。
だから買ってまでする必要はない。

そして、大変な思いをする度に、人は変わっていける。

そんなにも大変なのに、今でも生きているのは、それほどまでに運が良く、生きる力があるのだ。


本当に本当に、願うことなら、快楽だけで生きて行きたいものだ。

だが、辛苦があるからこそ、快楽の有り難みも分かる。

凍えるほど寒い日の、温かいものの、沁み入るような有り難みのように。


大変で、辛く苦しいことは起きるけれど、本当はもしかしたら、助けられているのかもしれない。

大変だからこそ、その度に人は生まれ変わるのかもしれない。

そう信じてみても僕は良いと想う。



おわりに

うまくいかないことや、大変な時期は誰にでもある。

「大変」の尺度はその人にしか測れないが、大なり小なり誰もが苦しむ時がある。

本当は「悲観しないで」「投げ出さないで」と言いたいところだが、その悲観や投げ出すことですら、その人に必要な出来事なのかもしれない。


世の中の苦労をしてる人と比較すれば、僕のADHDや不運や不遇、苦悩など、ぬるま湯。
大した事はない。

ただ自分は、自分1人しかいないから、そんな他愛もないことでさえ「苦しいな、辛いな」と思うことだってある。

だけどもし、それが一生分からなかったら?
そんな大変な出来事がもし起こらなかったとしたら?

そう考えると、僕はもっともっと大変な思いをしていたんじゃないかと、そんな気さえしている。


「もう...最悪だ...」と思えるようなことも、実は守られ、助けられていると思っても良いのかもしれない。


「楽観視しよう」そんな話ではない。

上手く言えないが、今どんなに辛くても、苦しくても、人は良くなるように出来ている。

だから大丈夫。

そうやって、自分や、世間、天や運を信じる気持ちを持っても良いんじゃないか。
そんな話をしたいのだろう。

きっと、今辛くても、苦しくても大丈夫。
守られている、全て上手く行く。

過去の自分にそう言いたい。

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