偽りの自分と本当の自分
仕事が少し落ち着いて、書く時間が取れてうれしい。
今日も頭の中をまとめる。
「本当の自分ってなんだろう?」30代からの自分のテーマがこれだ。
そう考えたのはADHDの診断が下ったことがきっかけだと思う。
発達障害と知って、今までの人生がまるで「嘘」だったんじゃないか、そんな気がした。
それと同時に、今までの人生の失敗が「自分のせいじゃなかったんだ」と、許されたような気がした。
だから、どこか悲しい気持ち半分と救われた気持ち半分が芽生えた。
今までの30年が「嘘」だったなんて言うと、寂しい人生に聞こえるかもしれないが、全くそんなことはなくて、人や運に恵まれた幸せな人生だったと心から「ありがたい」と想っている。
だけど、僕が、脳のエラーに突き動かされて今まで生きてきたことが、やっぱりどこか悲しい気持ちがあるのも本当だった。
人生の様々な場面での、たくさんの失敗や後悔を思い出すとそう思う。
別に、不注意が多くて、車をぶつけたとか、モノを壊したとか、遅刻したとか、人に迷惑をかけたとかは、申し訳ないけどそんな些細なことはどうでもいいと思っている。
発達障害でなくても人に迷惑をかけることはあるから。
それよりも、人生の大切な場面での振る舞いや、思い残してきた後悔が大きい。
あまり思い出したくはないが、初恋なんかが良い例だ。
恋に溺れて、今思い出しても恥ずかしい失敗がたくさんあった。
感情に突き動かされて、ADHDを全身全霊で発揮して相手には本当に迷惑をかけた。
また、恋愛だけじゃなくて「人との別れ」はいつも大きな後悔を伴ってきた。別れのたびに、自分自身の不甲斐なさを感じることが多くあった。
「もっとこうすれば良かったのに」と想う。
繰り返すようだけど、ADHDの些細な不注意なんて本当にどうでもいい。
ASDの気質もあるようだけど、他人の気持ちを汲み取れないことも、可哀想だと思うけれど、人生において本質的なことじゃないと思っている。
じゃあ何が問題で、何を後悔しているのかって考えてみると
「やれたはずなのに、やれなかったこと」を後悔しているんだと思う。
嘘をついて別れた友人、考え方の違いで口論になって別れた友人、自分の不甲斐なさで別れた恋人、愛を注いでやれなかった動物たち、たった一本の電話を無視して亡くなった職場の人、忙しくて相談にのってあげられなかった自殺した友人、恩を返せずに逝ってしまったお客さん…。
もっと、僕の本心を伝えれば良かった。
もっと、時間を作って花の1本でも渡せれば良かった。
たった一言でも、ありがとうとごめんなさいを伝えてあげれば良かった。
たった10分でも、あなたのために時間を使いたかった。
僕の人生の後悔なんてこれだけだ。
忙しくて、自分のことばかりで、何もできなかった自分が悔しくて”やれたのにやらなかったこと”を今でも後悔している。
ADHDは間接的に、別れた人たちとの大切な時間を奪ったかもしれない。
ASDで彼らの気持ちを汲み取れなかったかもしれない。
そういう意味では、この脳のエラーを憎らしいとも思う。
だけど、本当はそんなことは本質じゃなくて、言い訳でしかないんだって書いていて分かる。
理性があるのに理性を使ってこなかったことや、僕の中にある本当の気持ち、心の奥底にある大切な想いを引っ張りだせなかったことを、後悔しているんだと分かる。
面白く生きたいとか、シンプルに生きたいとか、忙しくなりたくないとか、それも「本当の自分」を知る上で大切なこと。
しかし、それよりも、本当は持っているはずの自分の理性や能力を引き出せないこと、そして何よりも自分の奥底で、隠してしまいたいくらい、恥ずかしいくらいの「本心」を表に出していくこと、それがこれからの人生で大切なんだと今、考えている。
「本当の自分てどんなだろう?」
哲学のようだけど、本当はそんな難しいことじゃないと思っている。
心に蓋をして恥ずかしくて表にも出せない願い、想いの中に、答えはある。
本当はやりたいと思っているのに、できないこと。
本当はやれるのにやっていないこと。
そんな「本心」にこそ、本当の自分が隠れているような気がしてならない。
「本当の自分」なんてわからなくても「偽りの自分」だけはわかる。
影があるところに、必ず光があるように、自分で蓋をして、隠している気持ちがわかるから、本当の自分だって見えてくる。
残りの人生、後悔が残る人生にしたくない。
「あの時、やれるのに、やらなかった」
「あの時、やれるのに、やれなかった」
動けなくなったときに、天井を見つめてそう思い残して死んでいきたくない。
理性だって、自分の能力だって、愛だって、使いきってない。
せっかく与えられて、授かった頭や身体や心なのにダラダラしてさ。
無限に広がる、あるかもわからない本当の自分を探すよりも、偽りの自分に目を向けたほうが良いんじゃないかな。
誰かに嘘ついたって良い。
でも、残りの半生、自分にだけは正直に生きたい。
本当はやれるのに、やってないことあるだろうって。
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