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天子と皇帝

56年の人生の中で「天皇」というものの姿を自分の眼で見たことが2度ある。

1度目は神戸の実家で浪人中だった1981年5月。
「ポートピア'81」に行幸した昭和天皇の車列を沿道から見た。

車列の長さは、1キロはあったのではないかと思う。
巨大な日産プリンスロイヤルの後部座席で、昭和天皇は少し首を前に突き出し、あの独特の手の振り方で沿道の市民に応えていた。

2度目は時期を正確に思い出せないが、今上(平成)の両陛下である。
青山一丁目に向かって外苑東通りを歩いていたら「権田原」の交差点が一瞬、警官たちによって規制され、次の瞬間、わずかな護衛に囲まれたプレジデント(※)が目の前を通過した。

開けられた窓から天皇は向こう側に、美智子さまが私たちのいる側に、優しい顔で静かに会釈していた。
それは、1分ほどのこととはいえ、交通規制で行く手を遮られた運転者や歩行者に、申し訳ないと頭を下げたという感じがした。

よく考えると、そのあと赤坂御所に車列が入っていったので、あるいは即位後、吹上新御所が落成して引っ越しをした93年暮れまでの時期だったのだろうと思う。

天子が一切の「私」を排除して「公」の立場に立つのに対し、皇帝は世襲によってその地位を得るため、既にその時点で天子と皇帝との間に明らかな矛盾がある。(『天下と天朝の中国史』壇上寛/岩波新書)

平成の30年余。
いわば世襲によってその地位に就いた人が、伴侶と手を携え、一切の「私」を排除して、全身全霊で象徴としての生きかたを模索し続けた。
最後は、全身全霊で象徴としての務めを果たすべきという責任感から、生前退位を選択した。

平成が今日で終わる。

その人格と振る舞い、象徴という新しい天皇像。
日本の歴史に特筆されるであろう天皇皇后と同時代を生きられたことに、感慨は尽きない。


※当初は記憶が曖昧でセンチュリーと書いたが、即位から10年ほどの期間は日産プレジデントを使用していた。


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