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弥助とフランシスコの行方

信長が寵愛した家臣の中に「弥助」という黒人がいた。

イエズス会の宣教師ヴァリニャーノが来日の際に連れていた20代の〝奴隷〟で、その黒い隆々とした体躯に惚れた信長が、ヴァリニャーノから譲り受けた。

信長は彼に弥助という名と臣下としての身分を与え、各地にも同道させた。
「本能寺の変」の夜、弥助も本能寺に泊まっていたが、明智軍に捕縛されている。

この弥助を主人公とした映画が、チャドウィック・ボーズマン主演で制作されることが決まったと、先ごろ報じられた

捕らえられた弥助がその後どういう人生をたどったのか、今のところ確たる史料はないそうだ。

狩野内膳の《南蛮屏風》には、来日したポルトガル人たちが黒人やアジア人の従者を連れている様子がリアルに描かれている。

大航海時代は、貿易とキリスト教の布教と同時に、アンダーグラウンドでの人身売買の時代でもあった。

マカオのすこぶる富裕な商人たちは、様々な民族の年少奴隷たちを、身の回りに侍らせていた。(『大航海時代の日本人奴隷』ルシオ・デ・ソウザ/岡美穂子)

売買された奴隷のなかには、教育を受け、主人と養子縁組をする者もいた。

そしてこの時代、ポルトガル人によって誘拐され、あるいは売買された奴隷のなかには、日本人も少なからず含まれていたのである。
近年、これらに関する史料が発見された。
マカオ、長崎、マニラを転々とした「ユダヤ教徒」ポルトガル人の一家に対する異端審問記録である。

『大航海時代の日本人奴隷』(中公叢書)は、これらを丹念に研究してきたルシオ・デ・ソウザ氏と、妻の岡美穂子氏の共著。

戦国時代の日本国内に、「奴隷」とされた人々が多数存在し、ポルトガル人が彼らを海外に連れ出していたことはかなり昔から言われながらも、その事実は一般にはほとんど知られておらず、南蛮貿易やキリシタン史の専門的な研究でも、この問題の細部にまで立ち入ったものはなかった。(同)

16世紀のマカオやインドのゴアには、相当数の日本人奴隷が暮らしていた。
さらに本国であるポルトガルや今のスペイン、メキシコやアルゼンチンでも、この時期に日本人奴隷が存在していたことが記録に残っている。

アルゼンチンにいた奴隷のなかに、フランシスコ・ハポンという若者がいた。

一五九六年七月一六日、商人ディエゴ・ロペス・デ・リスボアはフランシスコを神父ミゲル・ジェロニモ・デ・ポラスに売った。その記録には、「フランシスコ・ハポンという名の日本出身の日本人奴隷であり、外見から二〇歳前後と思われる」とある。(同)

ハポンとはスペイン語で日本を指す。
おそらく不当な方法でアルゼンチンまで連れていかれたことを、彼は承知していたのだろう。
フランシスコは翌年、自分の身分を奴隷から解放する申し立てをおこなっている。

その後、フランシスコがどうなったのかも、やはり記録には残っていないという。


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