見出し画像

小さな鏡

世界でもっとも美しい建築といわれるタージ・マハル。
ムガル朝第5代皇帝のシャー・ジャハーンが、早逝した妃の墓廟として建設した。

遠くペルシャやトルコ、エジプトの資材や芸術家まで動員された白亜の廟は、シャー・ジャハーンの権勢と美意識を物語っている。

一説によると、シャー・ジャハーンは自身の墓所として、川の対岸に黒大理石で同じ形状の廟の建設を計画していたという。

だが、王の晩年は悲劇的で、息子のアウラングゼーブによって廃位され、アグラ城に幽閉された。

1990年と2014年の2回、タージ・マハルとアグラ城を訪れたことがある。
大気汚染は深刻で、2度目に行ったとき、白亜の大理石の廟はすっかり黄ばんでいた。
インドの最高裁は2018年、政府に対しこの変色への対応策を講じるよう命じている。

ところで、タージ・マハルは間近で見るよりも、アグラ城から斜めの遠目に見るのが一番美しいと私は思っている。

シャー・ジャハーンの晩年の悲劇は、私には釈尊在世のマガダ国の王ビンビサーラの悲劇と二重写しになる。
ビンビサーラもまた、息子のアジャータシャトル(阿闍世)に幽閉され、牢の中で生涯を終えた。

アウラングゼーブは父親が溺愛していた長兄を倒して帝位に就いた。彼は老いた父親を廃位させ、石づくりの城砦に幽閉した。シャー・ジャハーンは死ぬまでひと間だけの独房で暮らしたが、この独房には窓が一つしかなく、しかも高い位置にあったのでそこから外を見ることはできなかった。ところが老皇帝の死後、壁に小さな鏡が貼りつけてあるのを看守が見つけ、ベッドにいながら鏡に映る外の世界が見えることが判明した。そして、たった一つの窓をとおして鏡に映り、シャー・ジャハーンが見ることのできた唯一のものはタージ・マハルだったのだ。
(『イスラームから見た「世界史」』タミム・アンサーリー/小沢千重子訳)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?