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夏の昼下がり

もうすぐ夏休みが終わるというこの時期、高校の時から、夏休み中に何もしなかったという自責の念に駆られてしまう。今年もあまり振り返ることのないグレーな夏休みになってしまった。留年や休学、大学にもう一度通うなどのことがなければ、経験できる書き長期休暇なんて残りわずかだ。学生時代にしか経験できないことをすべきなのに何もしていない自分に腹が立ってきた。最近に至っては、夏期中に進めようと思っていた制作も全く手についていない。唯一使用しているSNSであるTwitterもここ数日開いていない。日々YouTubeを漁り、漫画を読み、飯を貪り、寝るという自堕落な生活を送っている。こりゃダメだ、表記してみると一層ひどい。廃人だ。やる気が出ないのは怠惰だから、作業が続かないのは根性がないから、やるべきことがわかっているのにやらないのはダメだ。こう思ってしまうことは多々あるが、そう自分を責めなくても問題ない。自身の怠惰で自分以外の誰かの人生が狂うわけではないのだから、責める必要はない。ただ自分の姿勢の問題である。性格である。損な性格だ。お気楽に遊んでいても、私のように悩んでいても結果は同じなのだから気にするだけ損だ。悩むことで成長することもあるとは思うが、ネガティブになるだけでも負の連鎖を生み出してしまう。

先日、やる気が起きなくて眠りこけていたら寝すぎで頭が痛くなった。起きたらお昼だった。朝飯兼昼飯を食べて、やはり気力はなく昼寝をしたら、また寝すぎで頭が痛くなった。起きたら外が暗くなり始めていた。こんな風に1日を無駄にしてしまったと辛くなり、夕食を食べる気も起きず、ぼうっと椅子の上で体育座りをして自分を責め始める。自己否定が最高潮になったところで、インターネットでネガティブな内容を検索し始める。それらを見て落ち着いたところでYouTubeの鑑賞を始める。そしてそのまま風呂にも入らずに、布団で動画を見始める。そこから寝落ちかと思いきや、昼間かなり寝ていたので寝ることができず、さらに動画の見過ぎで目や肩、首が凝り、不調。結局眠りに着けたのは朝方。次の日は寝不足で不調。という連鎖が起こった。こういうことは今までに何度もある。次の日の後悔は凄まじいものだったりする。
とりあえずネガティブは良くないので改善のためにこのnoteを始めた。というのはどうでもいい話なので割愛する。

百歩譲って昼寝の時間はいいとする。その後の体育座り時間が最高に無駄である。一昨日も昼寝をしてしまったが、その日はすぐに穏やかな音楽をかけて夏の夕方を楽しむことにした。そのおかげで全くもって無駄な体育座り時間を回避することができた。寝起きの鉛とまではいかないが、重い頭、霧の晴れない思考を楽しむのも悪くはないものだった。タイトルの昼下がりとはこの日のことで、夕方といってしまったが、性格には5時前のことだ。全然明るい、日もまだ沈まない時間だ。夏らしいBGMとともに霧が晴れてスッキリするまで心も穏やかだった。

その時にしか味わえない独特な空気というものがある。それは場所を選ぶし、時間も指定してくる。その上季節、天気がとても重要になる。冬の晴れた朝の教室、秋の晴れた夕方の図書館、冬の雨の夜の大きめの交差点、そして入道雲が見える夏の昼下がりの窓辺のソファの上。とてもいい日だった。何もしなかったけれども、空っぽの充足感が得られた。

今日は夏休み最終日。外は暗くなり始めている。また来年もいい夏休みが遅れることを願う。次年度は是非結果も伴った夏休みを、私には送ってもらいたい。海外旅行にも行ける夏を期待している。

たまたまこの記事を見つけてくれた方、ここまで読んでくれてありがとう。たまたまではなかった方もありがとう。私の話が暇つぶしにでもなっていたなら幸いである。またいつかどこかで見かけた時も暇つぶしに読んでいってくれると嬉しい。

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