いのりと リトリート第一回募集開始



『山に抱かれるような時間、心の中に帰る場所ができました。いつ帰ろうかなって思っています。』

先日行ったモニターリトリートの振り返りで
参加者の一人からの言葉が本当に嬉しかった。

同時に、昔読んだ
池澤夏樹さんの「母なる自然のおっぱい」
という本を思い出した。

自然は人間に何にも期待しない。
太陽は日光を照らしたことでお金を要求しないし
お花は摘まれたからって褒めてよなんて言ってこない。
山はここから先は人間はダメだよなんて境界線は引かない。
自然は人に何の期待も要求も評価もしない。

都会の広告と情報と人の渦の中にいると
気付かぬうちに傷ついてることや
内側にある本当の自分の気持ちよりも
外側の何か他に優先しているものが多すぎて
気がつくとたくさんの自分じゃない
誰かや何かの仮面をつけている。

だから、一年に2、3回は
何の期待も、評価もない
自然の中に入って、
思いっきり抱かれたらいいと思う。

自然の中でのリトリートが良いのは
その余白やスペース、
自分じゃないものを
たくさん持ってたなって気がつけること
それだけでも心も身体も軽くなれる。
もちろん、必要な時は
またそれを持って都会に戻る。

山はたくさんあるけど、
長野のアルプスでも、富士山でもない
まったく有名な山じゃない、
ここでリトリートをするのは
日本でも白神山地と同じくらい珍しい
600年から900年の原生林が
今もほとんど手付かずで味わえること。

そして、電波も入らず
観光客もいないから
ありのままの自然を評価なしに感じられる。
きっとそんなことが
山に抱かれやすい感覚になれる
貴重な場所なんだと思います。

仕事を辞めようかな、とか
今の職場に居場所が見つからないな、とか
言いたいことがあるのにうまく言葉にならない、とか

コーチングという仕事柄もあって
最近はそんな人生の転換期にいる中で
出会ってくれる人が多いのですが、

自分がこれから何を大切にして生きていくのか
そもそもわたしは何がしたかったんだっけ?
そんなことが浮かんでくると

もっと自分らしく、生きていきたい。

そう思って転職したり、
会社を飛び出そうと決めたはずなのに
気がついたら、忙しくなって
大切にしたかったことがわからなくなったり
不安や孤独、
みんなが成果を上げているのに
何もできていない自分に
焦燥感や寂しさで悶々としてきて
今、キラキラして見える誰かと比べては
自分の感情がわからなくなって
だんだんと夜もやらなきゃいけないことを
考えては安心して眠れなくなってきて

結局、その不安や孤独に耐えられなくて
検索すると見えてくる正解や答えらしき何かを
安心するために講座を受講したり
勉強したり、さらにやることを増やしては
自分の本当の気持ちに蓋をしてしまう。

痛いし、恐いもんね、それに触れるのは。

限りある人生の時間の中で
何を選び、何を選ばないのか。

約束するのは
迷子になっているあなたを
山に置いていきませんので。
必ず登って、必ず降ろします。

でも、山ではインチキも道具も使えないので
自分の足で登り、自分の足で降りてくださいね。

きっとそれだけでも何かを受け取れる。

そんな人生の転換期に
迷子になりそうな人たちにこそ
是非おすすめしたいリトリートです。

それから、
僕の子供の頃は当たり前の光景だった
お盆は田舎に帰省する文化
田舎に帰って、従兄弟とスイカ割りしたり
カブトムシを掴まえたり、
縁側でアイスを食べたり
そんなのどかな日本の原風景は
映画やアニメの世界の話で
なくなりつつあるそう。

親戚で集まって蝉が鳴く横で
食卓を囲む時間は幼少期のそれらは
自分にとって人生の大切なワンシーンだった。

もし、天災や災害が起こった時に
家を無くし、流通も全て止まった人は
帰る田舎もなかったら
どこに行くんだろうと思うと、

人生に迷子になった人たちだけではなく
都会で息ができなくなって
帰る場所がない人たちにとって
心の故郷を持ち、帰れる田舎を持っておく。
リトリートという言葉の語源の中にある
『隠れ家、避難所、シェルター』
そう言った言葉たちから受け取る

『日常のなんでもない暮らしを維持するための場所』

そんな当たり前のことも
この場所やリトリートを通して創造していきたい。

だから40年以上も前から
オーガニックで農的暮らしをしてきた
この町は貴重な場所なんです。

愛はいつだってここにあって、
忘れてしまうけど、いつでも帰ってこれると
そんな人の居場所としても創っています。

最後に、
「いのりと」という名前にもある祈りですが、

自分の本当の願い
こう、生きていきたい
そんな自分を生きはじめるのは
苦労や葛藤を伴います。

痛いかもしれない
苦しいかもしれない
しんどいかもしれない
誰にもわかってもらえないかもしれない

でも、それでも、なお、
あなたが願ってやまない世界を生きること

それが、祈りなんじゃないかなって思っています。

自分の中に忘れかけていたけど
確かに存在するその祈るような願い

その自分の深い声に耳を傾けながら
たくさん存在する声、
いのちの全体性にも居場所を与えながら
それでも、なお、大切にしたい祈りと共にいる。

それが、この世に生まれてきた使命。
何に命を使いたいのか。
ということだと思います。

そして、その自分の祈りに生きながら
相手の祈りも大切にして共に生きること。
これからの時代は、自分だけの祈りではなく、
祈りの分かち合いがとても大切だと思っています。

自分の本物さから人とつながる
という分かち合い、
助け合い、支え合える
そんな場として育みたいものです。

僕はたくさんの人と分かちあいたいのに、
まだとても分かちあうのが下手くそです。

誰もが自分の大切な願いを大切にしたいように
相手も大切な願いを大切にしたい

この分かり合えない痛みを何度も味わいながら
それでも、やっぱり大切なものを分かちあえる
場を開き続けたいと思って続けることにします。

ここに参加してくれた人たち同士が
血は繋がっていないけれど
分かちあえる家族のように
応援し合える関係を築いていってくれたら。

そんな気持ちで改めて
第一回『いのりと』リトリートを催します。

日程は8/10-12
場所は島根県の山の中です。

長くなったので、詳細は書きません笑。。。
まだ5万字くらい書けそうです。
詳細はリンクのウェブサイトより。

まずは、あなたがあなたであるために
自分のための時間が取れることを願っています。
自分の本当の声をきく余白ができ
大切な祈りを思い出すきっかけとなりますよう
そして、わたしとあなたのその声が共鳴し、
響きあうような場となることを誰よりも祈って
場を開きます。

夏しましょう〜☀️🏞️
動画は、会場の目の前にある川🌊 🏊
みんな,待ってるね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?