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「巡礼」 35

 都は東京時代の回顧で盛り上がる二人が落ち着くのを待って尋ねた。
「広島の親戚を訪ねましたか?」

「はい、着いて最初の休みに行きました。忙しかったのですが、週末を入れて四日間の休暇をとりました。戦略爆撃調査団で広島入りした二世に話を聞いていましたが、自分が見た光景が信じられませんでした。あの時ほど、ショックを受けたことはありません。破壊された広島を見て、別の場所に来てしまったのかと本気で思いました。
 母方の叔父の家があった辺りは、雨風をしのぐバラックが並んでいるだけでした。役場で調べたら、母方の祖父母と叔父一家は亡くなっていました。混乱していた時代ですから、間違いであってほしいと思いました。立ち並ぶバラックのどこかで暮らしている気がして、1軒1軒訪ね歩こうかという衝動に駆られました。後で調べたら、彼らの家は爆心地から近かったので、何も残らなかったのだと思います。出征していた従兄弟2人は無事で、復員してから東京まで会いに来てくれました。
 父方の親戚は幸い全員無事でした。缶詰やチョコレートとか、PXで買った物資を持っていくと、とても喜んでもらえました。東京に帰ってからも、定期的に食料や日用品を送っていました」

「帰国後も、日本の親戚と連絡をとっていましたか?」

「はい。父方の一家とは、何年か手紙でやりとりをしていました。叔母と従姉妹が、原爆が原因の白血病で亡くなったことも、叔父からの手紙で知りました……」
 彼はこみ上げてくる感情を抑えるように、机上で固く手を組んだ。

 ベンは重苦しくなった雰囲気を変えようと、思い出したように言った。
「ミツ、あの頃、昔の恋人を探し出したのに、いなくなったって随分落ち込んで、荒れていたな。彼女は見つかったのかい? おっと、都、ここはレコーダーを止めてくれないか」

 都はベンと目配せして、レコーダーを止めた。

「広島に行ったとき、呉の親戚の家にいた恋人と再会できました。東京で彼女の住む場所を探し、出てきてくれる日を楽しみに待っていたのに、彼女は2度と私の前に姿を見せませんでした」

「大切な人だったのね。結婚するつもりだったの?」
 アイリスが彼の目を覗き込むように尋ねた。

 ミツは思いのほか、饒舌に話してくれた。

「彼女は私が東京で下宿していたとき、そこで働いていた女性です。両親が亡くなったので、妹を養うために女学校を中退して働いていました。辛いときも笑顔を絶やさず、東京での生活に戸惑う私に親切にしてくれて、すぐに好きになりました。同じ建物のなかに彼女の気配を感じられるだけで幸せでした。互いに気持ちが通じ合って、純粋な交際を続けてきました。大学を卒業して、将来の約束ができないまま、私は日本を離れてしまったのです。仕事を見つけたら日本に迎えにいくつもりでしたが、戦争が始まってしまって……。占領で日本に行ったとき、彼女に会えたら、今度こそ結婚するつもりでした。広島で再会した彼女は、私と会えて喜んでくれましたが、どこか落ち着かない様子でした。きっと、離れていたあいだに男ができたのでしょう……。彼女から連絡がないので、もう一度親戚の家を尋ねると、彼女は復員兵のような男と出て行ったと言われました」

「ミツ、結婚はしたのかい……?」
 ベンが遠慮がちに尋ねた。

「若いころ、勤務先で翻訳をしていた日本人女性としたけれど、別れてしまってね。それから、いろいろつまみ食いはしたけれど、今では一人だ。さあ、続けようか」

 ミツはもうこの話しはいいだろうと言いたげに、都に向き直った。

 都は再びレコーダーのスイッチを入れて尋ねた。
「他に、日本で印象に残ったことはありますか?」

「帰国前に、彰の墓を建てたことです」
 
 都は驚いてミツを見返した。
「彰は海軍の戦闘機乗りになって、カミカゼアタックで戦死したのです。彼がどんな思いで、アメリカの艦船に突っ込んでいったかと思うと……」

 ミツは声を詰まらせ、片手で口元を覆った。
「失礼、彼は1番仲の良かった兄弟なので、ショックが大きかったんです」彼は鼻をすすり、目元に滲んだ涙を指で拭いながら言った。

 ベンが都に目で合図を送ってきた。都は肯いた。