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夏のはじまり。私は休んでいる。

今朝、蝉の鳴き声を聞いた
今年初めて聞いた気になった。

私が聞いていなかったのか
聞いているほどの気持ちの余裕がなかったのか

はたまた暑すぎて蝉も鳴いてもないのか。

ぼんやりとそんなことを思いながら
『夏休みだなぁ…』と考えた。


いつもなら仕事でも緊張感の走る今日。
気合いの入る夏休み
仕事としてはこの近隣の子どもたちの夏休み始まっての月曜日。
ワクワク高まる始まりの1日。

私は今休職しているがいわゆる福祉保育施設に勤務している。
5年くらいは本当に楽しくて楽しくて心の底から天職だと思っていた。

不思議だなぁと思うのはそんな私が世間の夏休みに家にいること。
この6年間、夏休みが始まれば朝7時半過ぎに家を出てどうかみんながケガなく命ある姿でお家に帰ってくれますようにと祈りながら自転車を走らせていた。

どうか大切な夏休みを過ごせますように

人生における学生時代の夏休みは数にすればほんの10数回しかない。
ほとんどの家庭では子どもたちは自分のことを考えたりものを作ったり勉強して遊んでとすごしていてクリエイティブなことに振り切れる時間はそう多くはない。
ダラダラ過ごすのも大切な経験だと思う。

成長とともにみえてくるもの、みたいものもきっと変わる。

お家にいたくても家庭の環境によって朝から夕方、夜まで施設に預けられる子どもたちと一緒に過ごしてきた。
その子達の数年間の大切な夏を一緒に過ごさせてもらうわけで。
ここにきていても出来る限り家庭に近い夏休みを大切にしてほしいと心の底から願っていた。

たくさんのイベントだけじゃなく
こんなことをできるよ。
こんなことしてみようよ!と提案しながら頑張ってきた6年間。
夏は信頼や絆を深める大切な時間だと思う。

しんどいなと思い始めたのはきっと昨年だった。

徐々に受け入れの児童数はふえていたものの
昨年一気に数が膨らみ人の多さにやられた。
夏の暑さで外に出ることすらキツくなり
施設に詰め込まれてストレスの溜まる子ども達の気持ちのしんどさにもやられた。

数だけ見たらただの数かもしれないけれど
数の分だけ家庭があり
数の分だけ子どもの個性や感情があるわけで

子どもの声、気持ち、考えれば考えるほど今の私には到底太刀打ちできない。

保育としても出来ることがどんどん減っていったなぁと思った。
大人数だからできることもきっとあると模索してきたが

私が気弱になったのか。
はたまた私の気質の問題なのか

詰め込み型の保育は私には無理だなぁと今しみじみ思う。
一人一人に向き合う、寄り添う、関係を築く。
そんなことが私にとっては大切だった。

昼寝すら好きなところに寝っ転がれない。
おもちゃだって好きに広げてワイワイできない。
ないないばかりではつまらないけれどその中でも子ども達は逞しく生きていた。

命に差し障るケガさえなければいいと思いながら人数増えたらケガの可能性が高くなる
ダメだよというしかない大人になった自分が嫌だったんだろうなぁ。

視覚から音からの情報が多い。
それだけで疲れた

女性は特に細かいところに気づく点がきっと多くてダメだよという女の職員が多く感じるけれどそもそも職員にはみてる、みてないのどちらかしかいないのだなと今思う。


7年目にはいるタイミングで気弱になった

仕事を離れて今思うのはそもそも子どもは保護する必要のある存在だが過度に守る存在ではなかったなぁと思った。
頭でわかっていたはずなのにいつのまにか必死になって視野が狭くなっていた。

体が弱って気持ちも弱って私にはこの子らになんかあったときにとっさに守れないなぁとどこか思っていた
それ以上に過去やってきたことに思い上がっていたのだと思う。

今は自分自身がめまいでグラグラで私が危害を加えずに済むようにと必死だった。
自分を大切にできてないのに誰かを大切になど出来るわけがない。


やっぱりいま休んでよかったと思っている。
何より私の体がしんどいと悲鳴をあげていた

だれもこんなんなるまで働いて欲しいとは思ってないし私がやりたくてここまでやってしまった。
でも私、よく頑張ったと思う。

それをまず認めてあげよう。

気分転換にお風呂屋さんに来た
大きな窓の開いたお風呂につかってただただ風に吹かれて吹かれるのと同時に風とお湯に漂っていた。

自然の一部だしすぐに社会に揉まれるけどそれでもいい。
お風呂に入っていると夏の暑さも和らいで感じる。
気持ちいい。

今しばらくこの気持ちよさに身も心も委ねて休もうと思う

この暑い中みんな息してるだけで拍手喝采!


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