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追悼 レオン・フライシャー

「最後」というものには、最後であると予定されているものと、必ずしもその予定ではなかったが、それが最後になってしまったというものがある。
 2015年に聴いたピアニストで指揮者のレオン・フライシャーの演奏会は、結局、彼の最後の来日公演となってしまった。2015年11月20日、すみだトリフォニーホールで行われた新日フィルの定期演奏会に、指揮者およびソリストとして客演したときのことである。私は、「今までで最も心に残った演奏会は?」と聴かれたら、自分の音楽観の形成に多大な影響を与えたという意味も含めて、いつも同じ3つの演奏会を挙げているのだが、そのうちの1つは、このフライシャーの演奏会である。
 私とフライシャーの出会いは、大学2年の初夏のことだった。友人が、彼の演奏を録画したDVDを貸してくれたのである。フライシャーについては、「右手の故障から40年の時を経て再起したピアニスト」だということを知っていた程度で、演奏はまったく聴いたことがなかった。
 冒頭は、今でこそ彼の演奏で私が最も愛しているものの一つである、バッハ(ペトリ編曲)の『羊は安らかに草をはみ』だったのだが、不純物のない、柔らかな光が広がるような最初の1音を聴いた瞬間から、当時はうまく言葉にならなかったが、とにかく、自分が何かやんごとなきものに接しているということはわかった。
 ちょうどその頃、私がフライシャーと並んで敬愛している演奏家である、ジャン=クロード・ペヌティエの演奏を初めて聴いて衝撃を受けていて、自分の音楽観や好みが大きく変わり始めていたのだが、それに追い風を送るような出会いだった。ペヌティエとフライシャーは、表現が決して声高にならず、大きな精神で作品に耳を傾け、聴き手の心に静けさを齎(もたら)し、ぬくもりや慈しみとともに音楽をしみじみと感じさせてくれるという点で共通している。音楽には様々な面や魅力があり、彼らのような演奏だけがすべてだとは思わないが、私にとってはそれこそが、紆余曲折を経て最も心惹かれ、憧れるようになった音楽そして演奏の在り方なのである。
 そしてその翌年に、冒頭に書いた、結果的に最後の来日公演となった演奏会を聴くこととなるのである。曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第12番とラフマニノフの交響曲第2番という、対照的な作品の組み合わせで、ゆえにフライシャーの様々な面を聴くことができた。
 前半のモーツァルトは、序奏から清澄さが全体を包み込んでいた。モーツァルトの軽やかな音が、フライシャーの手によって慈愛を纏って駆け抜けてゆき、フレーズの終わりは、それが名残惜しいかのように丁寧に収められる。慎ましくも飛び跳ねる光の粒が常に翳を伴っているのは、過ぎ去ったものへの追憶を含んでいるからだろうか。
 後半のラフマニノフの交響曲第2番では、一転して激しい慟哭が刻まれていたが、その激しさを受け止める、静けさに満ちた懐のようなものが表現の底にある。それによって、ラフマニノフの声が代弁されているにもかかわらず、フライシャー自身がそれを経験したかのような真実味が生まれる。有名で、やはり最大の聴きどころの一つである第3楽章では、胸に喚起される感情のすべてが涙となって溢れ出してしまい、何が何だかわからないような状態になっていた。
 私は、演奏家の表現と人生とを短絡することに基本的に反対で、昨今の、芸術家の表現そのものよりも、その芸術家に纏わるエピソードや、果ては外見までもを喧伝し、先入観を与えることで感動を操作する動きに辟易している。しかし、フライシャーに関しては、彼について語ろうとし、またその表現に深みと真実味を与えているものを挙げるとするならば、やはり前述した右手の故障と闘い続けた40年のことに触れないわけにはいかないように思う。
 両手のピアニストとしての復帰後は、その柔らかく滑るようなフレージング、澄んだ眼差しのような優しい音といった内面的な部分に代え難い魅力があるが、故障前は、ある意味で対照的に、冴え冴えとしたヴィルトゥオーゾとして名を馳せていた。とは言えそれは、音楽性よりも技巧性で勝負していたなどということではなく、彼の技巧は、当時の録音が証明しているように、あくまでも虚飾を廃し、音楽を清冽に蘇らせることにのみ奉仕しているものである。
 大指揮者、ジョージ・セルとの協奏曲の協演で鳴らすなど、ピアニストとしての全盛を極めていたが、右手の指の動きに違和感を感じるようになる。ジストニアである。やがてピアノの演奏どころか字が書けなくもなり、ピアニストとして引退を余儀なくされた。当時はまだ病名さえわかっていなかったという。その絶望は、想像するに余りある。
 だが、彼の中で音楽への情熱が尽きることはなく、指揮者や教育者、左手のピアニストとしての活動し、その間も、右手の治療の試みを継続していた。そして故障から30年の時を経て、右手の機能が発病前ほどではないが、両手での演奏が叶うまでに回復し、散発的に両手のピアニストとして実演の場に立ち始めた。そしてそこからさらに10年の時を経て、復帰としてのアルバム『トゥー・ハンズ』が録音されることとなる。40年ーー私の年よりも長いその年月を思うと、物書きとしての恥を忍んで言うが、やはり俄かには言葉が出ない。
 このアルバムのライナー・ノーツによれば、両手で再び演奏できたときの気持ちを訊かれて、フライシャーは、アルバムにも収録されているバッハ(ペトリ編曲)の『羊は安らかに草をはみ』を演奏したあと、「メル・ギブソンに対する私の答えといってもいいかもしれません」と答えたという。
 それは、『トゥー・ハンズ』のリリースと同じ年に公開された、メル・ギブソン監督による映画『パッション』のことである。この映画の原題は、「The Passion of the Christ」で、作品は文字通り、キリストの受難と復活を描いたものである。
 映画は、「リアルを追求する」という言葉のもと、台詞には全編アラム語とラテン語が用いられ、キリストに対する拷問を極度に凄惨で痛々しく描いているもので(本当に生々しい描写なので、未見で興味を持った人も閲覧には注意されたい)、賛否が分かれているが、私自身は評価していない。
 その理由をここで詳しく述べることはしないが、キリストへの拷問が極度に痛々しく描かれているということは、彼を糾弾したユダヤの民衆は悪魔化されることとなる。観客に、民衆に対する憎悪や怒りを抱かせるような演出になっているのである。
 これは、「ユダヤ人がキリストを殺させた」という、ユダヤ人差別思想の原点にあるものそのものの描写である(改めて言うまでもないが、そもそも、キリストはユダヤ人であり、キリスト教もユダヤ教を母体としているのだから、とんでもない暴論である)。監督本人は表面上は否定しているらしいが、ここにユダヤ人差別の思想を読み取ることは当然だろうし、仮に監督の否定を信じるとしても、創り手としての繊細さに欠けるという批判は免れないだろう。
 フライシャーの「メル・ギブソンに対する答え」という言葉は、ライナー・ノーツでは「音楽の神が見捨てなかった」という意味に解釈されている。しかし、もう一歩踏み込んでこの言葉を受け止める必要があるのではないだろうか? フライシャーはユダヤ系移民の家庭に生まれた。彼がこの映画を観て反ユダヤの思想に気づかなかったはずがない。
 それを踏まえると、彼の言葉の意味をより正確に受け取ることができる。奇跡が起こることに、人種や信仰など何の関わりもないし、すべての人の生は、尊ばれ、救われるべき存在なのである、と。
 両手での演奏が再び可能になったことには、勿論彼自身が40年間諦めなかったこともあるだろうが、それは一つの奇跡と呼ぶべきことだろう。すべての人が困難を克服できるわけではないし、諦めないこと自体が、苦しみになってしまうこともある。
 それらは何よりも、ここに収められた演奏を聴けば伝わってくる。傷ついた人だけが知っている赦し。この世の不条理と人間の弱さへの深い理解。それらが宿った、音楽そして人間を見つめる、澄み切った眼差し。とりわけ、メインのシューベルトのソナタ第21番では、全体を優しさとしての諦念が覆いながらも、透明な音の連なりが、脈々と途絶えることのない静かな生の律動を生み、こちらの心もその律動に浸され、いつしか音楽に満たされてゆく。フライシャーの演奏は、この世を生きる人への、深いいたわりである。
 もう一つ、2014年のアルバム『All The Things You Are』に収められている、バッハの「シャコンヌ」をブラームスが左手のために編曲したものの演奏にも触れておきたい。ヴァイオリンの原曲をそのままピアノに移し替えた編曲で、ピアノ曲としては極端に音が少ない。しかし、物足りなさやピアノという音が減衰する楽器の限界を感じさせられるどころか、演奏全体は言うに及ばず、パッセージの一音一音にまで計り知れない含蓄と祈りが宿っていて、この15分間に人間のあらゆる感情や精神が表現されているようにさえ感じられる。
 それは、フライシャーの歩んできた人生のすべてが音に宿るからである。人生と音楽、人間と音楽とは、短絡すべきものではないが、決して分けて考えることはできず、深く結びついているものである。そのことを、フライシャーの演奏を聴いていると改めて感じ、考えさせられる。

 フライシャーは、演奏家は自分のなかに3つの人物(person)を持っている必要があると言う。1人目は、演奏する前に、音を出す前に理想を想像で聴く人、2人目は、実際に演奏している、今まさに演奏している人、3人目は、客席で演奏を聴いている人(翻訳は私自身による)。言われてみれば当然のことなのだが、これが本当に実現できれば、演奏において理想と現実の乖離に悩まされることは、技術的な問題を除けばほとんどなくなるのではないだろうか。
 この「3つの自分」は、「3つの耳」と言い換えて問題ないだろう。フライシャーのこの言葉は、いかに自分の音に耳を澄ますことができるかという、音楽家にとって最も重要な課題を、より具体的に述べたものと言うことができるだろう。
 そして、音楽と人間が不可分なものであるならば、音楽において最も重要なことであるそれは、そのまま人間力にも敷衍することができるはずである。どれだけ自分の音を聴けているかということは、どれだけ自分のことを知っているか、自己が反省されているかということにあたる。その理解の分だけ、他者そして人間を深く理解することができる。そしてフライシャーの演奏こそは、まさにそのことを体現しているものに他ならない。
「聴く」ということをより広い意味で捉えれば、それは不可視なものを感じ取るということである。可視的なものにしか価値を見ない風潮が広まっている今、フライシャーの演奏に耳を傾けることには、深い意義がある。
 偉大な音楽家の訃音には、これまでも接してきたが、自分が心底敬愛し、実演を聴き、大きな影響を受けた音楽家のそれに接するのは初めてのことだった。来日が多い音楽家ではなかったし、年齢的にも2015年のあの来日公演が最後になるのではと常に思っていたので、思いのほか静かにその報せを受け取ることができたが、それでも、やはりもう聴けないというのは悲しい。加えて、時代的な背景を考えてみても、こういう、音楽をしみじみと感じさせてくれる演奏家は、現代の音楽界にとってあまりに貴重な存在であり、そういう精神を一つ失ったということでもある。
 フライシャーが教鞭を執っていたピーボディ音楽院が、追悼の意を込めてだろう、2019年10月にフライブルクで収録されたフライシャーの演奏(彼が記録に残した最後の演奏だろうか?)を、YouTubeにアップロードした。曲は、やはりというべきか、私が初めて彼の演奏を聴いた曲、バッハ(ペトリ編曲)の『羊は安らかに草をはみ』である。
 これまでに聴いてきたこの曲の彼のどの演奏よりも、ゆったりとしたテンポで、あの天から光と共に天使の声が降り注いでくるような旋律が奏でられていた。すべてを受け入れているかのような安らぎ。ピアニストや指揮者という枠に収まらない、大きな芸術家の、一人の人間の姿。……
 録音はもちろん、フライシャーが心に遺してくれた音をこれからも聴き続け、その精神を可能な限り受け継ぎ、伝えていきたいと思う。    

(一部、東京国際芸術協会会報2019年5月号に筆者が寄稿したエッセイ「人生を映す音~レオン・フライシャー」を参照)
*公開時、文中の映画の解説の部分に一部誤りがありましたが、8/16に訂正いたしました。謹んでお詫び申し上げます。

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