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卒業の季節に

 五年前の春、大学院の修士課程に進学したばかりの頃のこと、夕方、大学の練習室でピアノの練習していると、教務の女性と彼女に連れられた母娘おやこが、ノックをして入ってきた。学校見学に来たのだという。
 その母娘は当然、私のことなど知らないので、私を知っている教務の女性が、ごく簡単に紹介した。そして、「せっかくだから、何か一曲」と演奏を求められた。
 この半年ほど前にも、同じことがあった。「たまたま練習している姿が見えたから」と同じ教務の人が、見学に来た母子を連れて入ってきた。
 そのときは、ブラームスの小品の一部を弾いた。男子高生は拍手をしてくれ、お母さんも「きれいですね」と言ってくださったが、その声の温度と表情は、その言葉が実感をもって発せられていると信じるには甚だ心許ないものだった。音楽と自分との関係が難しくなっていた、自分が音楽をする意味を見失っていた時期だったこともあり、急に演奏を求められたことに動揺して、良くない演奏をしてしまったと自分でも思っている。明確な区切りのある作品とはいえ、途中で演奏を止めていることも、自信のなさや迷いの表れだったのだろう。
 そんなことがあったので、せっかく憧れをもって訪ねてきた後輩を失望させることにならないといいがと不安に思いながらも、断るわけにはいかないので、シューベルトの即興曲を、今回は一部でなく最後まで弾いた。このときは、自分が音楽をすることに、意味を感じられるようになり始めていた頃だった(このことについては、昨年「自分が弾く意味」に書いた)。
 弾き終えて振り向くと、女子高生は満ち足りたような微笑みを浮かべて小さな拍手をしていて、お母さんは、涙を流しながら「柔らかい…」と呟かれた。
 思いがけない反応に感動しながらほっと胸を撫でおろしつつ、演奏した曲や大学生活についてなどいくつかの質問に答えたあと、握手を求められた。女子高生の手を握ると、澄んだ瞳で驚いたようにまっすぐに私の目を見ながら、お母さんが演奏に対して述べられた一言と同じ言葉を──「柔らかい」と言ってくれた。
 自分の演奏に対して、何か特別な反応を示してくれた人は、それまでにも何人かいたが、彼ら彼女らは、程度の差こそあれ、みな演奏を聴く前から私のことを知っている人たちで、私に対する何らかの想いが、その演奏を虚心には聴かせていない部分があることは否めないだろう。私はそういったことを、鑑賞者としては必ずしも悪いことだとは思っていないが、表現者としては、素直に有り難く思うと同時に、「真に受けすぎて・・・はいけない」という自戒も必要なことであると思っている。
 芸術表現を通じた対話など錯覚に過ぎないという芸術観の人もいるだろう。その価値観自体は否定しないけれども、私にはそれは「錯覚」だとは思えない。相手のことを何も知らない者同士にも、何かの条件が重なったとき、表現によって、直接の言葉を介さない対話が生まれ、心が通い合う瞬間が訪れることが、確かにあるのだと、私はこのときに確信したのだった。
 この話は、私自身の口から語ると、どんなに謙遜しながら語ってみても、自慢の色を消すことができないので、今まで、ごく親しい人にさえしたことがない話である。
 その翌年の初夏、図書館で用事を済ませて出入り口に向かうと、彼女が入ってきた。およそ一年ぶりの再会、無事に入学していたのである。忘れ難い時間を共有しただけに、入試はどうなったのだろう、それ以前に桐朋への進学を希望し続けてくれていたのだろうかとずっと気になっていたので、彼女の顔を見た時はほんとうに嬉しかった。入学おめでとうと言い、改めて名前を聴いて、再び握手をした。
 在籍期間が重なったのはその年度だけだったが、私の演奏をよく聴きに来てくれた。修士課程の修了演奏も、何の告知もしておらず、そのうえ、月曜の午前というイレギュラーな時間帯であったにもかかわらず、母娘で聴いてくれた。あのときと同じシューベルトの、深い思い入れをもって臨んだソナタ第21番の演奏だったので、思いがけず聴いてもらえて嬉しかったが、弾き終えたあと、学園生活はすべてが新鮮で、ほんとうに楽しんでいるという話を聴かせてくれたことが何よりだった。

 先日、ソーシャルメディアを見ていたら、卒業試験の演奏を終えたという投稿の写真のなかに、衣装を着た彼女の姿があった。
 そうか、もう卒業なのだな…と時の流れの速さを月並みに思うと同時に、不安と混乱に満ちていたであろう彼女たちの学園生活を思った。
 パンデミック下の大学生活は、いろいろな工夫によって最低限の学びは続けられたのかもしれないが、私がそこで経験した様々な時間が奪われたものだっただろう。学生ホールでたまたま会った友人と、練習室を予約してある時間が来ても腰が上がらず、他愛のない話にいつまでも興じてしまった時間。授業の後、講義の内容についてどう思うか友人と語り合った時間。同じ実技のクラスの人との年度初めの歓迎会。課外の時間に先生とする雑談。……
 これらのなかには、無くてもいいと言えば無くてもいい時間も確かにある。私自身、当時は別段、それを有り難いことだとも思っていなかった。けれどもその雑や無駄のなかに豊かなものがあったと、時間が経つにつれて実感している。出来事や経験の「意味」は、たいてい、未来に於いて初めてわかるものだ。今はこうした時間も戻りつつあるのだろうが、人と人の間には透明な壁が置かれ、壁がなければ相手と身体的に距離を開かねばならず、目から下をマスクで覆わなければならない。
 私の大学では、パンデミックが始まった年の卒業生に至っては、今よりもはるかに少ない感染者数だったが、卒業式さえ中止になってしまったという。この感染症のことが、今以上に未知だった時期なので、仕方のなかったことではあるかもしれないが……。
 いま、レッスンを受け持っている小中高生たちからも、様々な行事が中止になった、卒業式の合唱が無くなったなどと、「当たり前」が奪われているという声を直接聞いている。ここ最近、学生時代を懐かしんで感傷に浸っている自分が恥ずかしくなってくる。
 そのなかには、理不尽な「大人の都合」によって潰されてしまったものもあるだろう。
 当時、学園生活を「ほんとうに楽しい」と言っていた彼女は、卒業する今、同じ言葉で四年間を振り返られているだろうか。
 私はいつも悲観的なので、少々大袈裟かもしれない。実際、彼女たちは、ここに書いたようなことなど問題にせず、この状況下でも様々なことを吸収してたくましく成長しているのかもしれない。しかし、実際にパンデミック下の学生生活を体験していない者に、数々の「当たり前」を奪われてしまったことを、それもまた彼女たちの「経験」の一つだなどと言う資格はない。

 パンデミックによって開いたのは、身体的な距離ばかりではない。ネット社会も手伝って、感染症や政治に対するひとりひとりの考え方の違いが、明確に可視化された。そもそもあまり好きではない人ならともかく、好感を抱いている人が、自分と決定的に異なる思想や価値観、主義を抱いていると知ったときのショックには、決して小さくないものがある。
 パンデミックなどなくとも社会的な問題を挙げればきりがない時代の中、追い打ちをかけるように大国の指導者が蛮行に及んだ。それを巡ってもやはり様々な意見が飛び交い、人と人との間の断絶は日々深まっている。
 今の私に希望を語ることは難しいが、五年前にあの体験をした私は、こんな時代にあっても、芸術や文化は人をつなぐものであるという信念を捨てることはできない。「音楽の力」という言葉も、濫用されて、浮薄に感じられるようになってしまったが、あの日、何も知らない者同士の心を通い合わせたものを、「音楽の力」と言う以外に私には表現できない。芸術は、人と人との間の様々な違いを尊重しながら、その断絶を満たすことができる。人類が芸術や文化の脈を絶やさないのは、それが人間をつなぎ、そのことによって、何か大切なものを私たちが運んでいるからではないだろうか。
 彼女をはじめ、今年卒業を迎え新たな一歩を踏み出す人たちが、どうか人と人とのつながりの可能性を信じて歩んでゆけるよう祈っている。私自身も、共にそうあり続けたい。

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