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影の残像──アレクセイ・リュビモフ『ショパン:バラード集 他』【名盤への招待状】第10回

「悪友」と呼んでいる友人──かれは「俺は『悪友』じゃなくて『聖人』だよ」と笑っていたが──に、もうしばらく会えていない。最後に会ったのは、2020年の1月、新宿のファミレスで食事をしたときだった。かれが留学するというので、しばらく会えなくなるからと、学生時代にいつもつるんでいたもう一人の友人と、会っておこうということだった。
「悪友」などと呼ぶほどの間柄の人と会ったときの常かもしれないが、何を話したのかはあまり覚えていない。たぶん、いつものように好きな演奏家を称え合い、逆に、気に入らない演奏や人物を扱き下ろして憂さを晴らし合っていたのだろう。しかし、新宿駅で別れる際に、振り返ると向こうもこちらを向いていて、もう一度手を振り合ったことは、よく覚えている。そのくらいには、お互いに名残惜しかったのだろう。
 そのあとほどなくして、かれが留学しなかったとしても容易には会えないような状況になったことは言うまでもないが、そのときに、私はかれから1枚のCDを借りていた。次に会うのはだいぶ先になってしまうからなかなか返せなくなるよと言うと、「どうせ貸したことも忘れるから」と相変わらずの適当さで私に手渡した。CDは、今でもまだ私の手許にある。
 それが、今回取り上げる、ピアニストのアレクセイ・リュビモフによる、『ショパン:バラード集 他』である。
 リュビモフの演奏は、院生時代に図書館で借りたドビュッシーの「前奏曲集」やシューベルトの「即興曲集」のアルバムを聴いて、特に前者の、音が粒だちながらも響きとして夢幻のように融け合ってもいるという異様な完成度、しかし「完成度」という言葉から想起される保守性とは無縁の鋭利な感性に衝撃を受けていたので、このショパンのアルバムも楽しみに再生していた。

 ここでリュビモフは、1837年製のエラールのピアノを弾いている。ショパンがプレイエルのピアノを愛奏していた一方で、「気分のすぐれないときには、すでに音の出来上がっているエラールを弾く」と語っていたことはよく知られる話だが、そのエラールからリュビモフは、透き徹っていながらも翳りを帯びた繊細な響きを引き出している。
 改めて聴いていて感銘を受けるのは、感傷や過剰な歌い込みが徹底して排され、このあまりにも多くの演奏者によって弾かれている作品群の、本来あるべきだった姿のひとつを提示していることである。その翳のある音を基調としながらなされる、それぞれの楽想や調性における歌い口や音色、浮かび上がらせる声部の選択は極めて精確であり、しかもそれが、「選択されている」という恣意を感じさせない、音楽の自由な呼吸のうちに行われている。その鋭敏な知性と濁りのない鮮やかな技巧、透徹した楽曲把握がもたらす高い透明度によって楽曲がすみずみまで解きほぐされ、ふたたび織り上げられてゆくさまは、静かな気迫に満ちている。しかし、そのようにして織り上げられる音の連なりも見事だが、その音のひとつひとつが残す影のの怖ろしいような美しさこそが、この演奏の最大の魅力ではないかと思う。
 それを事細かに指摘することは難しいのだが、たとえばバラード第1番の主要主題で、リュビモフは音が上がったときにふっと音色を抜く。その瞬間に、抑えていたような哀しみが立ち昇ってくる。また、第2番のPresto con fuocoでの、なだれ落ちる右手が次の小節で上行音型に変わるときに差し挟まれる一瞬の間の、息を呑むような怖ろしさ。しかしそれがただちに繰り返される際には間髪を入れずに畳みかけ、音楽を高揚させるという芸もまた細やかだ。第4番のあの胸を搔き乱されずにはいられない副次主題の変ニ長調での再現でも、感情が昂るところで時間をかけたり声を張ったりせず、瞬間ごとの美しさに陶然とする間もなく次の美しさや切なさがやってくるようにして弾く。反対に、第3番の副次主題部に差し挟まれた、のちに輝かしい終結部となるアラベスクは、通常よりも丹念にゆっくりと弾かれ、聴く者は、ひとつひとつの音の輝きだけでなく、それが消えゆくさままでもを堪能することとなる。
 併録の「舟歌」「幻想曲」「子守歌」も通じて、リュビモフは、何かそれ自体ではなく、その影、あるいはそれが消えたあとの残像にこそ、見るべきものを、聴くべきものを感じ取っているように思える。その影の残像は、標題音楽を嫌い、純粋な音の抽象的な世界を追求し続けたショパンの本質と、深く関わるものではないだろうか。
 この名盤へ私を招待してくれた悪友は、リュビモフの出身国であるロシアに留学していた。その指導者が蛮行に及んだ影響でかれは帰国を余儀なくされ、リュビモフは、ウクライナの作曲家シルヴェストロフの作品を取り上げたために、演奏会に警察に踏み込まれた。
 帰国の際に、しばらくメールでやりとりをしていたが、留学生活は非常に厳しいものだったようで、疲労と安堵と困惑と、さまざまなものが入り交じったような複雑な様子だった。いつものように音楽議論もしたが、会話は微妙に噛み合わないものとなった。その理由には状況もあっただろうが、なにより私が感じていたのは、結局は芸術それ自体より人間に関心を抱いてしまう私に比べて、かれのほうがずっと芸術至上主義者だということだった。そこに優劣はないと私は考えているが、私とかれとでは、このリュビモフのアルバムを好きな理由も、大きく異なっているかもしれない。
 リュビモフは、数年前に「最後の来日」と称した演奏会を開いていて、私はそれを聴くことができなかったので、もうリュビモフを生で聴くことは諦めていた。ところが、このCDのことを思い出した流れで、リュビモフのことを検索すると、この4月に来日することを知った。幸い今回は都合の良い日程だったので、すぐにチケットを予約した。
 常に影を追い、自国に弾圧されながらも抵抗し続けているリュビモフが、いまどのような音を、演奏を聴かせるのかがほんとうに楽しみだが、ひょっとしたらその日は、悪友にこのCDを返して、リュビモフについて語り合える日にもならないだろうかと思ってみたりもしている。




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