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【シューマン、ショパン…そして私】守永由香×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第2回 後編

(前編はこちら)

ーー「ピアノ」か「音楽」か

篠村 ピアノという楽器で音楽を奏でることが好きなのか、もっと大きく音楽が好きなのか、というのは少し違うと思っていて。つまり、音楽をやることとピアノを弾くことが不可分だと感じているのか、とにかく自分は音楽をやっていて、弾いている楽器がたまたまピアノだったと感じているのか。あるとき思ったんだけど、僕は後者なんだよね。聴きに行く演奏会なんかも圧倒的にピアノの演奏会が多いし、ピアノ曲はあらゆるジャンルの中で最も好きだけれど、それは自分の楽器がたまたまピアノだったからというのがある感じがする。僕の印象では、守永さんもきっとそうなんじゃないかなと思っていて。

守永 たぶんそうですね。絶対ピアノじゃなきゃということではないですね。私、5年くらいヴァイオリンをやってたことあるんですよ(笑)。でも、ピアノに才能があるわけじゃないですけど、ヴァイオリンの才能は本当に皆無で(笑)。ヴァイオリンに気が行ったわけでもなかったし、母がピアノ教師なので、環境的にもピアノの方に気持ちが行きやすかった。
 ヴァイオリンをやっていたわけですが、ピアノ以外ではヴィオラが好きです。ソロの曲もいいんですけど、弦楽四重奏を弾いてみたかったなあと。(四重奏以外に)メンオク(*メンデルスゾーンの八重奏曲)とかも、(友達が弾いているのを聴いて)いつもみんな楽しそうだなあって(笑)。ヴァイオリンだとしても第2ヴァイオリンとか。内声が弾きたいんです。

篠村 さっき(前編で)、アンサンブルで自分がリードするよりも…って話があったけど、そことも重なるような気がするね。あと、シューマンって内声が魅力的じゃない? それとも通ずるものがあるね。
 ショパンとかリストの音楽は、楽器の特性と音楽が切っても切れないというか、まずピアノがあって、そこから音楽が生まれているという感じがするけど、シューマンとかベートーヴェンは、まず音楽が彼らの中で鳴っていて、それを楽器に託しているという感じがする。だから、ショパンやリストの音楽は、演奏面で非常に合理的だけど、シューマンやベートーヴェンにはかなり強引な、無理のあるパッセージが多い。僕もそうだけど、守永さんはどちらかと言うとそちらの方の作品にシンパシーを感じているんだろうね。

守永 そうかもしれません。

ーー理論は感覚や感情を支えるためのもの

篠村 守永さんは自分のことを、感覚的だと思うか理論的だと思うか、どっちだと思う? もちろん、同じ人の演奏を聴いて、ある人は感覚的だと感じても、別のある人は理論的だと感じる、ということはよくあることで、どちらとは言い切れないものなんだけれど、敢えて言うとすれば。

守永 それがよくわからないんですよ(笑)。自分では理論的なのかな?と思っていたんですが、人の話を聴くとそうでもないのかなあと思ったり…
 例えば、こう弾く人が多い(慣習のようになっている)けど、実は楽譜には書いてない、ということをしないとか。最近、前にやった曲をやり直すときにも、勝手にそうしていたけど楽譜には書いてなかったなと気づくことが多くて。それで、人の演奏を聴いてもそれをすごく思うようになったんです。そういう、ある意味勝手な演奏を聴いていると、語彙力がなくてあれですけど、なんか「キモイ」と思うんですよ(笑)。

篠村 (笑)

守永 それで楽譜を見返すと、やっぱりその部分に特にテンポ変更とかの指示がないんですね。最近特に気になっているのは、ワルトシュタイン(*ベートーヴェンのソナタ第21番)の第1楽章で、(テンポを変える指示は書いていないのに)第2主題から急にテンポが遅くなって、また動き出してから第1主題のテンポに戻っている演奏がすごく多いんです。そのテンポ変更の理由がやっぱりわからないんですね。曲想に惑わされて、テンポまで変わってしまっている。そこを理解している人の演奏は、曲想としては第1主題の方が推進力がある感じが出ていて、第2主題の方がゆったりとした感じが出ているけれど、テンポとしてはそこまで変わっていない。(テンポに限らず)そういうことがあらゆる曲に言えると思っていて。
 そういうことって、弦とのアンサンブルをやる中で感じるようになったんですね。サラサーテとかの、ヴァイオリン的なヴィルトゥオーゾピースって、速くなっていっているようで、テンポとしては上がっているわけではなくて、楽譜通りに弾けば速くなっているように聞こえるように曲ができている。ああいう(明らかに演奏効果を狙った)曲ですらそういう風にできているんだから、ワルトシュタインのような(がっちりとした)曲もそうなっているはず。ピアノは一人で弾く(ことが多い)から、そういう勝手な変更が可能になってしまうというか、弦楽器の場合は常にアンサンブルをしているので、楽譜に書いてある通りに弾けば(基本的には)誰とでも合うということを学んでいて、楽譜をよく見ている。ピアニストの方が、そのあたりが個人個人の「音楽性」とか「テクニック」というものに目移り(耳移り?)してしまって、気にしていない傾向があるような気がします。

篠村 そうかもしれないね。そういうことを考えているから、理論的なのかなと思うわけだ(笑)。

守永 そうなんです(笑)。こんな細かいことを言っているから私はやっぱり理論的なのかなと思うんですけど、例えばいろいろなピアニズムを研究している方いらっしゃいますよね。ああいう方々の、鍵盤のタッチにどのくらい重みをかけるかとかという話を聴くと、そこまで考えてないわ、と思ったり(笑)。あとは楽譜の読み方も、作曲家の方に比べたらまだまだですけどね(笑)。

篠村 それは理論の種類が違うよね。守永さんは音楽そのものの捉え方には理論的なところがあるけど、弾き方の方は感覚的、という感じだよね。
 でもいつも思うのは、「こういう運動をするからこういう音楽になる」というのは方向が逆だと思う。レッスンの場では効率がいいこともあって、どうしてもそういう言い方がされることが多いけど、本当は「こういう音楽だからこういう運動になる」んだよね。運動や型が精確であれば音楽が出来上がってしまうみたいな錯覚に陥らないようにしないといけない。あくまでも音楽が身体を動かすということを忘れてはいけないと思うね。
 守永さんの演奏は、感情に溢れていて、理論的なことがそれに先行してくるという印象はない。僕もいろいろな演奏を聴いてきたけど、やっぱりなんだかんだシンプルに心が動かされる演奏が好きなんだよね。自分の趣味もあるけど。説得させられるような演奏とか、頭で感心するような演奏もあって、それはそれで楽しめるんだけど、どんなに説得されても、感心させられても、最終的に心が動かないと、音楽を聴いている醍醐味がないなあというか…それは演奏に限らず、作品でも、他の芸術でも。やっぱり芸術って、最終的には感覚に訴えるものだから。理論的なことっていうのは、感覚や感情を支えるものとして機能しているべきで、理論的に考え抜くことはとても大事だけど、あくまでも建物の基礎のようなものだと思うね。

ーー音楽を愛している人の演奏

篠村 今でも、最初に話してくれたような葛藤に苦しむこともあるだろうけど、それでも音楽をやっていてよかったと思っていますか?

守永 他に何かできただろうなっていう想像があまりできない感じですね。(そもそもは)音楽が好きというより、桐朋が好きでこの道に入ったんです。中学受験をしたんですけど、学校見学に行っても、「ここに行きたい」という思いがどこを見ても湧かなかった。で、結局、(私立の)ある中学に行って、今度は高校受験になったときに、そのまま付属の高校に上がるか、音楽高校を受けるかとなったときに、桐朋を見学したら、今度は「ここに行く!」ってすぐ決まったんですね。
 そのまま(普通科の)勉強を続けていた方の将来を想像しても、やりたいことが特に思い浮かばない。結局音大を受けていたと思うし、一般大学に行っていたとしても、ピアノを続けていたと思う。やめているという想像ができないですね。

篠村 やっぱり、上手い下手を超えてというか別にしてと言うか、音楽を愛している人の演奏ってあるんだよね。職業演奏家の中には、音楽がそれほど好きではないけれど、たまたま演奏能力に秀でていて、コンクールで優勝したとか何かのきっかけがあって、っていうことで活動している人もいる。でもそういう人の演奏は所詮「お仕事」で、まったく心が動かない。本人が心動かされて弾いてないんだから当然だよね。
 守永さんの演奏は、音楽を愛している人の演奏だと思います。5月25日はそんな守永さんの演奏をまた楽しみにしています(公演は延期になりました)。

守永 ありがとうございます。    

(構成・文:篠村友輝哉)

*次回はヴァイオリニストの城所素雅さん

守永由香(もりなが ゆか)
1996年生まれ。神奈川県出身。3歳よりピアノを始める。桐朋女子高等学校音楽科を経て桐朋学園大学音楽学部卒業。現在、同大学ソリスト・ディプロマコース在学中。
第85回日本音楽コンクール入選。第67回全日本学生音楽コンクール高校の部東京大会第2位。第15回ショパン国際ピアノコンクールin ASIA高校生部門アジア大会銅賞。第7回桐朋ピアノコンペティション第2位。第6回桐朋ピアノコンチェルトコンペティション第2位。第10〜15回 茨城国際音楽アカデミーinかさまにてかさま音楽賞受賞。
皇居内桃華楽堂にて御前演奏を行う。
これまでに、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、桐朋学園オーケストラと共演。
カワイ表参道「パウゼ」でのリサイタル、学長推薦によるベーゼンドルファーランチタイムコンサート等多数の演奏会に出演。
2017、2018年度公益財団法人青山音楽財団奨学生。これまでに杉本安子、草冬香の各氏に師事。現在、岡本美智子氏に師事。

篠村友輝哉(しのむら ゆきや)
1994年千葉県生まれ。6歳よりピアノを始める。桐朋学園大学卒業、同大学大学院修士課程修了。
在学中、桐朋学園表参道サロンコンサートシリーズ、大学ピアノ専攻卒業演奏会、大学院Fresh Concertなどの演奏会に出演。また、桐朋ピアノコンペティション第3位、ショパン国際ピアノコンクールinASIA(大学生部門)銅賞、熊谷ひばりピアノコンクール金賞及び埼玉県知事賞、東京ピアノコンクール優秀伴奏者賞など受賞。かさま国際音楽アカデミー2014、2015に参加、連続してかさま音楽賞受賞。
ライターとしては、演奏会のプログラムノートや音楽エッセイを中心に執筆している。東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」では2019年の1年間連載を担当した(1月号~6月号『ピアニストの音の向こう』、7月号~12月号『音楽と人生が出会うとき』。うち6篇はnoteでも公開)。エッセイや、Twitter、noteなどのメディア等で文学、美術、社会問題など音楽以外の分野にも積極的に言及している。
演奏、執筆と並んで、後進の指導にも意欲的に取り組んでいる。
ピアノを寿明義和、岡本美智子、田部京子の各氏に、室内楽を川村文雄氏に師事。

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