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【「現代音楽」と音楽家のいま、これから】小倉美春×篠村友輝哉 「音楽人のことば」第4回 前編

 第4回は、ピアニストで作曲家の小倉美春さんです。小倉さんは、古典から現代の最新作まで、幅広いレパートリーを取り上げられる、鮮烈なエネルギーの放出が印象的なピアニストですが、同時に作曲家としても意欲的に新作を発表し続けており、大学の卒業試験でも自作を演奏されたりと、演奏と作曲、どちらかがメインというのではなく、両輪で活動されている音楽家です。
 小倉さんと私は、大学時代には同じ授業を取っていた程度の関わりしかありませんでした。彼女の活動ぶりやSNSでの発信を見ていて、お話をしませんかとお声掛けしたところ、昨年5月に実現し、とても楽しい時間となりました。が、ほとんど初対面だったということもあり、まだ話し足りない、もう少し掘り下げたかったという感覚も残りました。そこで改めて対談をお願いし、今回、その時よりも深く彼女の考えを聴くことができたように思います。
 純粋に音楽についての話に始まりましたが、より広く音楽人としてどうあるべきなのかという話にまで至る、充実した内容になりました。

©Pino Montisci

小倉美春(おぐら みはる)
東京出身。3歳よりピアノ・ソルフェージュ、17歳より作曲を始める。桐朋学園大学3年在学中の2018年、現代音楽の登竜門第13回オルレアン国際ピアノコンクールにて、最年少参加者ながらファイナリスト(第3位以内入賞)。2019年第81回日本音楽コンクール作曲部門(室内楽曲)入選。現在、フランクフルト音楽・舞台芸術大学修士課程ピアノ専攻、及び桐朋学園大学研究科作曲専攻に在籍。ピアノと作曲の両方を学びながら、現代音楽を中心として国内外で演奏活動を行う。
miharuogura.strikingly.com

ーー表現する内的必然性

篠村 多くの人が何気なく現代音楽と言うときに指しているものって、鍵括弧つき、狭義の「現代音楽」で、基本的には調性がなくて、「わかりにくい」とされているものが「現代音楽」と呼ばれている。本当は、今現在書かれている音楽は、調があろうがなかろうがすべて現代音楽で、モーツァルトやベートーヴェンだって、当時は現代音楽だったわけです。古典と「現代音楽」が別物とされてしまっているような現状があると思うのですが、小倉さんは、今の日本の「現代音楽」の受容状況について、どのように感じていますか?

小倉 個人的には、「現代音楽」が好きな方が一定数いらっしゃると感じられる状況にいられるのは、ありがたいことです。「現代音楽」と古典を弾く人も分離しているし、聴く人も分離しているということがよく言われていると思うのですが、最近では古典を中心的に弾く人からも現代音楽を弾く人が出てきています。

篠村 演奏会で取り上げられる曲目は、日本の場合圧倒的に古典が多くて、コンテンポラリーの割合が小さい。寺内さんとの対談(の後編)でも話したけれど、平野啓一郎さん(*小説家)が今は「すべてが不滅の小説」と言うように、ネットが登場してから、あらゆる作品が蓄積されていく、聴くときの選択肢が未来永劫増えていくという時代になって、本当はコンテンポラリーのためにあってもいい時間まで、古典にある意味奪われている。でも、もちろん古典は素晴らしいものだし、聴かれるべきもの。このジレンマにどう向き合うか、いま生まれている音楽を聴いてもらうためにはどうしたらいいのかということを、小倉さんは日夜考えていると思うのだけど、どうですか?

小倉 自分でプログラムを決められる場合だと、コンテンポラリーのなかに古典を組み込んだり、そういうことがやりやすい。ただ、コンテンポラリーの中に古典を組み込むときにも、そのコンテンポラリーとの繋がりを意識しますし、コンテンポラリーにしても、何でも弾くというのではなく、本当に紹介したいと思える作品を演奏しています。自分自身のなかではあまりジレンマは感じていません。古典を弾くときに、その作品に新しい価値を見出せるかということを考えます。コンテンポラリーにしても、やはり共感できるかどうかということが一番重要です。

篠村 内的な必然性が感じられるかどうかということだね。それは表現においてもっとも根源的なことだと思う。コンテンポラリーを弾くということが自己目的化しているのではなくて、あくまでも作品の内容に自分の内面が反応したかが重要であって、古典かコンテンポラリーかという話ではない。コンテンポラリーのなかには、「現代音楽」を書くことが自己目的化しているような作品も少なくないような気がします。そういう作品は、作曲技法的には凝らされているのだろうけど、本人がどうしても書きたいと思っていない、内的な必然性を感じていないということが、聴いていてわかってしまう。

小倉 難しいところですよね。新しい何かを書かなければということと、自分自身が何を書きたいかということとのバランスというか…今、技術的によく書ける方はたくさんいらっしゃると思うのですが、「何を書くか」ということが難しい。そこが掴めればいいのですが、その結果書かれたものが生み出す必要のあるものだったのかのかという問いも浮かんできます。「無調」と言っても、本当に多様化しているなかで、何が新しい価値なのかということはよく考えることですし、もしかしたら傾向として調性の時代が来るのかもしれないということも考えられます。ベートーヴェンが、ソナタを一つ書くたびに新しいことをアップデートしていったような、そういう新しさをどこに見つけられるだろうか、とみんな考えています。
 それから、特にヨーロッパでは顕著だと思うのですが、作曲というのは、どこかで言語化できないといけない、というような風潮が今あるのかなと。そうすると、自分の中に内的衝動があっても、それが見えにくくなるというか、技法を鎧としてもっておかないといけない、というようなものを感じていて、だからその内的な必然性が感じられにくくなっているのかなという風にも思います。

ーー瞬間と持続

小倉 和声の勉強は、作曲の上で非常に生かされています。縦と横の関係を掴むという点において。特に横のラインを考えることが難しいし面白いところですね。縦と横を俯瞰しつつ書くというのはやっぱり難しい。

篠村 人間って、やっぱりプロットがあるとその世界に入り込みやすいと思うんだけど、古典が馴染みやすいのには、和声進行という流れ、プロットがあるからというのがあると思う。プロットというのは横の流れで、和声の勉強が、調性がない音楽を書く時でもプロットを生み出せることに繋がったということですね。プロットがあるということは、最後に向けて、最後まで何かが持続しているということで、縦の関係ばかりだとブツブツと流れが切れてしまう。その持続という点で、作曲と演奏の両方で考えていることを聴かせてもらえますか?

小倉 作曲では、よくうまく持続が書けるという言い方をしますが、最初何かを発想した時点で最後まで俯瞰できているのが理想です。「現代音楽」のスタイルで書く時も、やはり私もプロット、ドラマトゥルギーを考えますが、音楽的にどのような展開が効果的なのか、あるいは必然的なのか、直感できる判断力を持つという意味で、古典のバックグラウンドは重要になってくると思います。

篠村 ボルヘス(*ホルヘ・ルイス・ボルヘス。アルゼンチンの小説家)が文学を一つの大きな森にたとえたように、音楽も累々と受け継がれ繁殖し続けているもので、全く別物どころか、繋がりがあるもの。バッハ、それ以前の音楽から続いているもの先端が「現代音楽」なのであって、古典への理解がないと、含蓄に欠けてしまう。

小倉 演奏については持続ということはあまり考えたことがなかったのですが、どちらかというと演奏は瞬間瞬間の積み重ねで、それが結果として聴く人の持続になっているというか…演奏は1コンマの間に処理しないといけないことがたくさんあって、それの積み重ね、一瞬一瞬を全力で生きるというか。持続の意識より瞬間の意識が強いですね。

篠村 音楽って、瞬間芸術とも時間芸術とも言われるよね。過ぎ去ってしまうものだから、瞬間芸術と言われるし、一定の時間をかけて体感するものだから、時間芸術と言われる。一瞬一瞬に何を掴むのかということと、全体としてその時間をどう組み立てていくかの両面があるわけだけど、作曲のときというのは、瞬間を意識することがある?

小倉 身体的には、瞬間を意識していると思いますが、書くのってものすごく手間がかかるんですね(笑)。例えば一つの和音を書くのに1分ぐらいかかったりする。一瞬をすごく拡大してみている感覚ですかね。演奏のときの一瞬と、作曲のときの一瞬は、同じ長さの時間を扱っていても、感じ方が違うんですね。

篠村 なるほど、確かにそうですね!

ーー音楽における身体感覚

篠村 音楽で、身体で何かが感じられるかというか、理屈抜きに何か身体が反応するようなところがあるかということが、シンプルだけど重要だと思う。音楽って目に見えないし触れられないものだけど、実は身体に訴えるかどうかということが重要で、頭で書かれてしまうと身体で受け止められない。それがある作品は、調があろうがなかろうが、感じるものがある。昨日、小倉さんの演奏するシュトックハウゼン(*カール・ハインツ・シュトックハウゼン。ドイツの作曲家)のピアノ曲ⅩをYouTubeで聴きましたが、あの曲なんかは、音自体が躍動する生き物のようで、身体感覚が非常に密接に関わっている作品だと感じます。

小倉 身体感覚というのは、私がたぶん一番大切にしていることです。まず音というのは大前提として振動であるということ。おっしゃったように、ある意味生き物のように振動が伝わっていくということです。音楽って、私はものすごく科学的な捉え方をしていて、こういうスピードの振動でこのくらいの広さに伝えるためにはどういう身体であったらいいか。結局それも耳で直感的に捉えることは必要なのですが、特に演奏するときは頭で考えるというより、耳が求める振動に身体がどう反応していけるかということですね。音楽を聴いていろいろ感情が生まれるというのはわかるんですが、私は振動や身体の感覚の方が先にくるんですね。ピアノの場合はエネルギーを放出していく感覚で、作曲は自分をいじめていくような、削っていく方の感覚です。自分の内部にある何か一部を削ったものから新しいものを表出する感じですかね。何か新しいものを生み出すには傷つかないといけないというか。

篠村 音楽を聴いたり演奏しているときは、まず身体に響いてくるというか、体感だよね。僕は身体の反応と同時に感情も動いているように感じているけれど、厳密に言えばその感情を形容する言葉は一瞬あとに来ているような気がするし、言い尽くせないものがある。ハラリ(*ユヴァル・ノア・ハラリ)という歴史学者が、「経験する自己」と「物語る自己」ということを言っているんだけど、前者が身体感覚に、後者がそれを言語化する過程にあてはまる。
 僕は不思議なことに、演奏中はその外に向かう感じと削る感じと両方を感じています。自分は作曲はしないけど、その「削る」という感覚はすごくよくわかる。音楽に満たされる感覚と、精神、神経がすり減っていくような感覚の両方を感じています。小林瑞季さん(作曲家)や濱島祐貴さん(作曲家・二胡演奏家)と話していて、「演奏家と話しているとは思えない」と言われたことがあるけど、だからなのかなと。    

(後編に続く)
(構成・文:篠村友輝哉)

〈小倉さんの今後の出演情報〉(4月現在の予定)
・2020年6月12日(金)第42回桐朋学園作曲作品展@東京オペラシティリサイタルホール
・2020年12月13日(日)7人の作曲家展vol.4 “オトリウム”@トーキョーコンサーツ・ラボ
・2020年12月26日(土)小倉美春コンサートシリーズ~「ピアノのために書く」とは~vol.2 ハインツ・ホリガー『パルティータ』をめぐって@トーキョーコンサーツ・ラボ
・2021年3月14日(日)シュトックハウゼンピアノ曲I-XI全曲演奏会@トーキョーコンサーツ・ラボ

小倉美春(おぐら みはる)
東京出身。3歳よりピアノ・ソルフェージュ、17歳より作曲を始める。 
2016年第12回現代音楽演奏コンクール《競楽XII》第2位。2018年現代音楽の登竜門第13回オルレアン国際ピアノコンクール第3位以内入賞。自作自演に対する作曲賞を含む7つの賞を受賞。
同年北とぴあ国際音楽祭参加公演として「2台ピアノの新たな可能性~マントラをめぐって~」を企画、演奏し、好評を得る。
2019年3月仏フォントヴロー修道院レジデンスアーティスト。同年第81回日本音楽コンクール作曲部門(室内楽曲)入選。
フランス(ブッフ・デュ・ノール劇場、ロワイヨモン修道院等)やドイツ(アルテ・オーパー、ダルムシュタット等)、イタリア(ミラノ・フィレンツェ)各地で演奏するなど、現代音楽を中心として国内外で活動を行う。
桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を経て、2019年桐朋学園大学音楽学部ピアノ専攻・作曲副専攻)を卒業。高校卒業演奏会、第91・102回室内楽演奏会、第38・40・41回作曲作品展、ピアノ専攻卒業演奏会、大学卒業演奏会に選抜される。平成30年度青山音楽財団奨学生。
現在、公益財団法人野村財団より助成を受け、フランクフルト音楽・舞台芸術大学修士課程ピアノ専攻、及び桐朋学園大学研究科作曲専攻在籍。ピアノをフローリアン・ヘルシャー、廻由美子、作曲を石島正博の各氏に師事。
これまでに、ピエール=ロラン・エマール、タマラ・ステファノヴィチ、ウェリ・ヴィゲット、ベンヤミン・コブラー、エレン・コーヴァー、セバスチャン・ヴィシャール、ニコラス・ホッジズ各氏のレッスンを受ける。
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篠村友輝哉(しのむら ゆきや)
1994年千葉県生まれ。6歳よりピアノを始める。桐朋学園大学卒業、同大学大学院修士課程修了。
在学中、桐朋学園表参道サロンコンサートシリーズ、大学ピアノ専攻卒業演奏会、大学院Fresh Concertなどの演奏会に出演。また、桐朋ピアノコンペティション第3位、ショパン国際ピアノコンクールinASIA(大学生部門)銅賞、熊谷ひばりピアノコンクール金賞及び埼玉県知事賞、東京ピアノコンクール優秀伴奏者賞など受賞。かさま国際音楽アカデミー2014、2015に参加、連続してかさま音楽賞受賞。
ライターとしては、演奏会のプログラムノートや音楽エッセイを中心に執筆している。東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」では2019年の1年間連載を担当した(1月号~6月号『ピアニストの音の向こう』、7月号~12月号『音楽と人生が出会うとき』。うち6篇はnoteでも公開)。エッセイや、Twitter、noteなどのメディア等で文学、美術、社会問題など音楽以外の分野にも積極的に言及している。
演奏、執筆と並んで、後進の指導にも意欲的に取り組んでいる。
ピアノを寿明義和、岡本美智子、田部京子の各氏に、室内楽を川村文雄氏に師事。
https://yukiya-shinomura.amebaownd.com/

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