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「顔のないポートレート」という概念

人の顔。顔。顔。

SNSをやっていると、頻繁に目にするポートレート。

人間の顔のある写真を見るときは、どう頑張っても目線は顔へと向かっていく。

文字通り写真の「顔」だから当然のことなんだけど、去年一年間制服の女の子を撮り続けてすごく考えさせられた。

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あたりまえだけどモデルさんや被写体さんって人に好まれる外見をしていることがおおい。

でもそれが写真の評価に直結するんだとしたら、私が撮りたい写真、したい表現ってそういうことじゃないよなと思った。

かわいく撮りたいわけじゃない。その被写体の、感情を撮りたい。

そう考えたので、去年一年は感情が最も発露する高校生の女の子をテーマにした写真を撮っていた。去年の作品のいちばんの見どころは、目だ。

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私はそのとき感情が最も伝わってくるのは目、すなわち瞳だと考えていたので、たくさん目を撮った。瞳は美しかった。人間の顔のなかでは割と花形だ。

見られる、というのは被写体と鑑賞者の間に関係ができるので、共感や強い感情を巻き起こす力が強いのではないかと考えた。だから去年一年はそれを追いかけ続けていた。

以前出した写真集、「少女の欠片」のあとがきにも同じことを書いた。その考えは間違いではないとおもうし、今もその考えは生きている。

ただ、なんとなく、自分の表現したいものではないなにか、によって評価されている気がした。

そんなとき、演技をしている舞台俳優さんや、バレエをしている幼馴染をみて、身体表現によっても強い感情を想起させることは可能なんじゃないかとおもった。

それで思いついた。

顔が映ること、写されていることが大前提のポートレートから「顔」を排除してみたらどうだろう?

人間はたぶん、相手の感情を知りたいときには相手の顔をみて表情から感情を読み取る。では身体だけでは感情はわからないのか?「顔」がなくても人間のこころに強い感情の爪痕を残すことは可能なのか?

私はそれを知りたくなった。

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ここから私の永遠のテーマである「光と感情」から、顔を排除したフェイスレスポートレートという概念が生まれた。

これ自体は新しい概念でもなんでもなく、ほかにもやっているひとはいるかもしれない。でも、自分の表現したいものを突き詰めていく上では、新たな挑戦になると思う。それがどうなっていくかはわからないけれど、大学二年のこの年、大きなテーマとして表現したい。

自分が映し出したい世界をもっと貪欲に追い求めていきたいと、そう思っている。

2021/03/14

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