日本とアメリカのサービスのスケーラビリティはなんでこんなに違うのか
さっと5分くらいでTweetする気持ちでNoteを書こうとしたが、なぜか30分も書いている。うぅ。。面白いと思ったら是非シェアなどしてくださると嬉しいです。YouTubeチャンネルに登録してくださったらもっともっと100倍くらい嬉しいです。
スケーラビリティの違いの源泉
なお本記事ではスケーラビリティの違いの源泉を話しているのであって、これがいいあれがいいという意味合いはあまりないです。そこだけ誤解されないように前段。
さて、タイトルの問いです。日本とアメリカのサービスのスケーラビリティはなんでこんなに違うのか? です。この問いの意味としては、なんでアメリカ発のスタートアップは定期的に一気に世界中で流行るのに、日本発のスタートアップはじわじわと攻略されていく(または世界では誰からも使われない)のだっけ? といったお話し。
優秀な人材の流動性、金銭の流動性の差異などはまぁ各所で議論されつくされているし、それもまた疑い余地はないし賛同をする。しかし、ちょっと今日は別の観点から考えて見たいと思った。まだ私自身もうまく抽象化しきれてはいないんだけど、なかなか重大だなぁというサービス設計思想の違いに気がついたのだ。
日本のサービスって、運営チームが編集大好きだったりキャンペーンが大好きだったりして、ユーザーをアトラクトするためにあれこれと企画案を頑張って出して、コンテンツを用意したり、レールを作って頑張るイメージがとてもある。参加者募集! テーマはこれ!特別キャンペーン! 的なアトラクトである。だからフラッと訪れてもすごい品質が高いし、なんか読んでて楽しいし、勉強になったりする確率がサービスローンチの初っ端からものすごく高い。発信側もかんたんだし、楽しくできる。
他方のアメリカ発で爆裂に伸びるC向けサービスは(ex:Clubhouse、SnapchatなどのSNSや、IndeedもCraigslistもそうだし、日本ならメルカリなんかも近い)、ローンチした瞬間から運営が提供するコンテンツ自体は完全にゼロで、自燃性の高い(自分で勝手にメラメラと燃えて使っていく方)ユーザーにコンテンツが相当依存している。勝手に様々といじってくれて、アップし、ハックし、どんどんそれがコンテンツになっていくDIY型なんだなと。
ローンチした瞬間のサービスが「無(空っぽ)」なのです。
私自身も長らく無風YouTuberなので、無についての考察はかなり自信がついてきています。禅です。
で、Facebookも、Instagramも、YouTubeも、最近流行りのClubhouseもSnapchatもコンテンツは無から始まっており、一切全く運営サイドは編集にタッチしていないし、盛り上げるためのテーマ出しとかすら存在しない。ただあるがまま、自然に身を任せているわけである。Indeedもそうだ。彼ら自体はなんのコンテンツも発しておらず、単に求人情報をまとめているだけである。Googleもそう。Amazonはちょっと違うけど、Shopifyなんかもある意味ではそう。ちなみにメルカリもそう。(まぁこのあたりはジャンルに依存して無理なやつはもちろんあるけれども)
じゃーあちらの国では何に力を割いているのか?
アルゴリズム(エンジニアリング)です。真の技術ドリブンなのだ。
アルゴリズム思想における問題点
では完璧なのかというと問題も実は多い。このアルゴリズム優遇思想における致命的な問題はなんなのだろうかとも考えてみたが、サービス初期の品質がとても低くなりがちなことではないだろうか。
例えば今日のClubhouseのようなサービス黎明期にドドッと人が流れ込むことは問題に直結しがちである。やれ品質が低い、雑談ばかりだ、謎の発信者が現れる、通知が粗いなどなど。すでにたくさんそのような声も聞こえているが、私はそういう視点は率直に言って全く意味がないと思っている。
彼らはそんな事に当然気がついており多分何も気にしていない。なぜなら書いた通り、サービス初期の品質はアルゴリズムドリブンであればあるほど、当たり前に低くなるものなのだ。彼らはきっと、アルゴリズムでどう解決していこうか? とチーム内で話しているはずであり、今ならその改善をユーザーサイドからリアルタイムに見られて勉強になるだろうという視点のほうが、あれがダメ、これがダメという視点よりも遥かに面白いと私は思うのだ。
繰り返しましょう(重要)
あちらの国のスケールするサービスの多くは、真っ白で完全なる無から始まる。設計されているのはただ唯一、強烈なアルゴリズムのみである。できないこととできることが明確だ。ポツポツとコンテンツが勝手に生まれていく。生まれていく中で、多様なグループができていく。グループが生まれ、賛成派や反対派や亜流が次から次へと生まれていく。あるユーザーの投下時間傾向が見えるから、そういうグループを当てていく。たまに飛び値も当ててみる。動きを見る。プッシュしてみる。戻り値を学習する。戻ってこないからあれこれ試したり、逆に試さなかったりしていく。ある人が見ている世界と、また別のある人が見ている世界はどんどん別物になっていく。そしてまたコンテンツが自然にどんどん増えていく。カオスもノイズも途中経過では量産されるが、アルゴリズムによって勝手に掃除されていき数億人がアクセスしても過ごしやすい世界になっている。という感じだ。
この辺の話は合わせてこちらふかざわさんのNoteも大変示唆に富んでいて勉強になるし、共感するポイントが多い。
世界中のカスタマーが当初から受け入れられる
こんなアルゴリズムが構築されているからこそ、世界中のあらゆる言語の人、人種、価値観の人がいつ入ってきても大丈夫なのだ。アルゴリズムの得意分野だから、ユーザーによってタイムラインや通知発出情報を学習し変えていけばいいだけである。そもそもこれら人気を誇る各サービスには、用意されたテキスト(言語)すらほとんど全くないのだ。だからこそ言語制約も一切受けない。世界中のSNSは、Clubhouseもそうだが運営が書いている文字なんてものはほとんど何も無い。テキストではなく重要なのはソースコードなのだ。対して、日本のサービスは編集がとにかく多い。編集もまた重大な価値であるが、スケールにおいては敵にもなる。テキストも多いため、世界各国の人を受け入れるための対応には信じられないほどの時間がかかる。
しかもClubhouseは今のところ完全なるフローでありストック情報がゼロなので、もしもユーザーが発信を止めたらまた無に戻るのだ。これってすごくない? 過疎ったら無に帰るって普通に考えて怖くない? 発信されたデータって蓄積して使うからレバがかかるんじゃないの? って。そんなことはわかった上であえてやってるよなぁ、あの人たち。嫉妬するよなぁ。
ちなみにここまで書いたが、Clubhouseが将来流行るかどうかは全く分からない。なんといってもLuckin Coffeeが流行ると書いたら吹き飛び、Bitcoinを買えば下がるような将来が見えない私なのだ。つらい。
ということで少し余談もあったが、こんなことが結構スケールにおいて重大なポイントだなぁと。
日本のサービスがスケール時に課題となること
日本のサービスは編集をしすぎるきらいがある。これは中期には人々を楽しませることができるし、そもそも私もそんな編集が好きなサービスを選びがちだったりする上に大好きである。しかしそれこそがスケールする上での罠である。編集をしすぎるからその運営とは違う価値観や違う言語の人たちはそもそも入って来られないし、そこに対応していくにはあまりにも莫大なコストがかかりすぎる。編集をすればするほど、ある人にとってはもっと大好きなサービスになるが、ある人によってはつまらないことになるわけである。これがアルゴリズム中心ならばそうはならず、より多い両者を満足させることができるのである。
あえて例えると、NewsPicksとかはわかりやすい。編集に色がどんどんついていくことでそれがNPファンを集めているわけだが、色も付きすぎてユーザーを失ってしまうというジレンマがどうしてもある。国民全員が使うニュースサービスを目指す場合(目指しているか知らないけど)は、全趣向の人が集まっても平気なアルゴリズム開発に寄せないとそれは無理なのだ。ちなみに私はプロピッカーでもあり、NPの編集記事が大好きな派閥の一人ではあるのでアンチではないよ。笑
最後に。
このようなアルゴリズムに支配された世界がユートピアかディストピアかは議論するつもりはないが、でもそこへ参加しようがしまいがあるべく方向に向かって世界は真っ逆さまに落ちているのだ。落ちているならば抵抗勢力として「あれはダサい」「これがダメ」「無理だよ」なんて冷めた目で論じるよりも、自らも真っ逆さまに落ちていって「ここがすごい」「あれが楽しい」なんてことをみんなでワイワイしたほうが人生は楽しいと思うのでした。
ということで、最近気がついたことをサッとまとめてみました。
ぼくはそんな技術を使って世界を作れる技術者をリスペクトしているし、そんな熱き心をもった人たちと一緒にスタートアップを経営していきたいと思っています。事業の準備中。エンジニアの方、こんな発想の社長に興味持ってくれる方がいましたら是非、ご連絡でもください!
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あわせて、最近の悩みとしては、相変わらずYouTubeの風の吹かし方が全くわからなくて困っています。結構このようないい話しをしてるつもりなんですけど、そろそろつらいので面白い!と思ったら、是非チャンネル登録してくれたら喜びます。