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Loco Partners創業物語と退任のご報告

なにから書き始めたらいいのかがわからない。

単に退任の報告というよりかは、8年半の壮絶な体験が詰まった一人のアントレプレナーの創業物語とあわせてまとめていきたいと思う。

目的は、お世話になった方々への感謝の気持ち、この物語が少しは誰かの役に立つかもという気持ち、自分自身の体験や学びの保存として、また自分の感情がフレッシュな今のうちにこそ書いておきたいと思いました。書き終わった時にはまさかの2万字を超える超々大作になりましたが、8年半分の物語だからそれくらいはいくか。笑

めちゃくちゃエモいし、泥臭いし、長いし、時に涙を流しながら書いている。もし読んでみて面白かったらシェアでもしてくれたら喜びます。最後にはお知らせもあります。(飛ばさないで...)

Loco Partners 退任のご報告

2011年9月から8年半に渡って経営をしてきた株式会社Loco Partners(※)の代表取締役を3月末をもって退任します。なお、取締役任期の満了に伴うもので、とても円満な退任です。笑
(※弊社はReluxという旅行サービスの運営会社です)


そもそも自分が始めた会社をまさか退任する日が来るなんてことは思っていなかったし、冷静に考えると世の中の多くの社長にとってもそうは体験することのない稀有なイベントだと思う。わたしの人生そのものであり、家族のように大切な仲間であり、家よりも長く過ごした場所を去ります。

本来であれば皆さまに直接説明をできたらよかったのですが、なかなか厳しいのでNoteに向かいますが、大きくは3つの流れ、Loco Partners(Relux)の創業ストーリー、退任を決めた理由、感謝のメッセージの順番に書いていきたいと思います。

めっちゃ長いです。

Loco Partnersのはじまり

わたしが創業したのは2011年9月、当時は27歳でした。正確にいうと7月から準備を始め、8月22日に登記が完了し、9月1日を創業日とした。

2011年3月11日、東北の大震災を受けて流れくる情報にショックを覚え、何を思ったのか「起業しよう」と決めた。人生での挑戦が足りていない感じ、各地からたくさん届いてくる悲鳴、かつて担当していた福島での大被害、そこに寄り添って何かをしたいと思って起業することにした。しかしながら、会社を作り独立したものの肝心の事業アイディアというものは一切なかった。今思い返しても無謀で、あまりにもバカだったと思う。笑

当時、自分の貯金が400万円くらいあったかなぁくらいなもので、もしも半分使ってうまくいかなかったらまた就職すればいいや。という軽い気持ちで、株式会社Loco Partnersは資本金200万円からスタートすることにした。浅草は田原町駅前の普通のマンション。というか当時住んでいた家で創業した。(浅草が誇るペリカンパンのすぐ隣に住んでいました。ペリカンパン愛好家です。)

当時の私には一切の経営にかかる実務能力や知識がなかった。そもそも学もなく、あるのはリクルートで培った実践フリースタイルくらいなもので、完全に野武士型のアントレプレナーだった。たとえば簿記なんてものも完全に知識ゼロで、衝撃かもしれないが「売掛金」と「買掛金」の違いすらもわからず。契約書の作り方も、雇用の仕方も、法人と個人の違い、受注したあとの処理もなにもかもわからない。曖昧に分からないなんていうレベルじゃなくて、全くなにも分からないというとんでもない状態だった。小学生が微分も積分もわからないみたいな、本当にそのくらいの低レベルである。だが、心ではなんとなく「みんなやってるんだし、調べれば大丈夫っしょ」という楽観思考だけはあり、結果的にはまったくもって大丈夫だった。このときの実体験により学べた大切なことは、何もかもを準備してから始めるには時間がかかりすぎるということだった。もしもこれらの知識をすべてつけてから起業しようとしていたら、きっと今もなお知識が足りなくて起業できていない。必要な壁は順序よく現れてくれるので、必要になったら学ぶことはもっとも近道であると実体験から学んだ。

創業から最初の半年間は一人だったが、とにかく生きるために営業活動をしつづけていた。生きるためである。震災で誰かをサポートしたいとおこがましく思っていたのに、自分が生きることにむしろ必死だったのは不思議な気持ちではあった。結果としては比較的すぐに以前からお世話になっていた方々を中心にたくさんの仕事をいただけることになる。宿泊施設様や、古巣リクルートの各プロジェクトや、様々な広告代理店、IT企業、メーカの方々などがどんどん発注をくださった。また、友だちの経営する会社(I&Cクルーズ社の上村さんと佐藤くんによるはからい)では新橋のオフィスを間貸ししてくれて、本当に本当にありがたかった。一人だったので仲間に入れたことは寂しさの紛らわしにもなったし、伸びゆく会社の空気や組織の作り方を学ぶことができた。ちなみにBASEというボヤージュグループのシェアオフィスは落ちて泣いた。笑 そうこうしているうちに事業も伸びてきて、気がつけばすぐに毎月100万円以上の営業利益は出ていた。(が、2012年2月頃かな、キャッシュフローを理解できずに預金3万円になる事件が発生して飛びかけたことはまだ記憶に新しい...)

嬉しさもあれば事件もある、そんな最初の半年間だった。感情のボラテリティをなるべく抑制し、引いた目線で常に経営判断をしなくてはダメになるとわかった。今思えば些細な困難ではあるが、新人の私はたくさん学び取ることができた。

2012年2月、初めての採用でやってきたのはモンちゃんこと門奈くんだった。当時SFCの1年生で、わたしが受託とかわけのわからないWebサイトをたくさん運営している中で、なんでもやります!! と勢いだけで、友だち(伊井くん、げんき?笑)の紹介から大学生インターンとして入社してきた。今思えば、なぜジョインしたのかは皆目謎であった。ミッションもビジョンもない謎の社長1名の会社に入ってきてずっと続けてくれて、今ではGlobal事業の責任者として中国上海でLoco ChinaのCEOをしてくれている。今日時点では数十億円/年 というかなり大きな流通額になったが、これは紛れもなく全てが彼とその仲間の功績である。わたしは変わらずなにもせず、少しの旗振りと戦略のチューニングをしてただけにすぎない。
その後も、取締役で営業担当役員としてジョインしてくれた塩川さん。じゃらん時代の大先輩で、営業を任せるならこの人しかいないとラブコールを送り続けたし、彼ほど宿営業という領域における適任者は今でも絶対にいないと思っている。今では3,000宿の直接契約を実現し、後発OTAとしてはありえない成果である。また、エンジニアのよっしーやインターン生のめいちゃんなども入ってくれた。

そうこうして、創業から1年後には5〜6名程度の所帯になっていた。周囲の爆速成長しているスタートアップとしては比較的ゆっくりだったと思うが、経営能力がゼロだったところから考えれば着実に歩を進められた1年となった。

ところで、私と時を同じくして2011年前後あたりに起業した同世代仲間たちはこのようなメンバーである。たとえば、アカツキ塩ちゃん/哲ちゃん、ラクスル松本くん、あそびゅー山野くん、Finc溝口くん、グッドパッチ土屋くん、Retty武田くん、メドレー瀧口くん、フリル堀井くん、ライフイズテックみっちー、ツクルバ村上くん、フロムスクラッチあべちゃん、ファクトリエ山田くん、パークシャ上野山くん、Anriなどなどがいる。(誰か絶対忘れてるけどごめん、悪気はないので「おーい」って教えてください。) しかも、これが同世代だけでである。先輩や後輩世代にもものすごい野武士社長や、一流アントレプレナーがわんさかおり、とんでもない人たちばかりだった。Gunosyふっきーくんとか、クラシル堀江くんとか、Meryあやたろうくんとか、Base鶴岡くんとかもう他にもたくさん、存在自体に困っていました。

そんな感じで、既に前方を爆走してるスーパースターはいるし、後方からも常に追いかけられてるし新しくも誕生してくるしで、もうそれはエキサイティングすぎる環境だった。

今思えば、まわりなんかは一切気にする必要はないんだけど、当時は隣の芝を見ては輝く蒼さに嫉妬し、焦ったりしたものだった。かわいい。

Reluxの誕生ストーリー

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▲創業地が浅草だったため、験を担ぎ今なお毎年浅草神社で年始祈祷

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▲2013年、14坪の初自社オフィス。私、若すぎるし細すぎてやばい。

2期目に入ると、売上も利益もいよいよ大きくなってきた。この頃は「実名SNSなんて危なすぎて日本で流行るわけない」というのが世論の意見だったが、SNSマーケは絶対に来ると信じて賭け、実際にきた。事業は引き合いも多く、非常にうまく回り始めた。(ただ後に、これこそが潜在的な失敗になるとは思わなかったが...)エンジニアやデザイナーも更にジョインし、多角的に事業を増やして取り組み、売上も最終的には2億円近くまで上がることになる。私はリクルート時代から営業が得意なほうだったが、無名でサービスも無い会社にしてそこまでの実績を作れたことは、自信にもなり非常に嬉しかったし、キャッシュフローを回せているのは精神衛生上もとてもよかった。(余談だが、資金調達したのに黒字経営をしていたのは謎すぎた。ただのエクイティロス...)

しかし、順調なSNSコンサルティング事業ではあったが、なんとなくずっと疑問があった。「うちがこのサービスをやる意味はどこにあるんだろう・・・?」と。失敗もままあったけど、もちろん競合と比較しても品質には自信があったし、価値がないわけでもないし、たくさんのクライアントさんに助けて頂いていたわけだが、どこかにずっと疑念があった。やはり、自分たちにしか提供できない価値を創りたいしワクワクする。自分たちが信じる方向性の強いプロダクトを生み出したいと心が湧いてきた。こうして、Reluxが生まれることになる。

「なにをやるか?」という問いは全ての起業家を必ず悩ませるわけだが、私はやるからにはどでかいマーケットで挑戦がしたいと思っていた。何をやるか決めるためにもあらゆるオプションをテーブルに並べてみた。そして、自分の強みが活かせる旅行業界という前提はありつつも、検討の最初期から「宿泊予約サイト」をやるべきだと考えていた。それ以外にもたくさんの旅行サービスはあったが、最も王道であり、最大のマーケットがある領域で戦っていくことに決めた。しかも、メタサーチやアフィリエイトといった在庫を代理収受するモデルではなく、きちんと1つ1つの施設様と交渉をし、契約し、直接在庫をいただくモデルである。

Reluxのコンセプト誕生はとてもシンプルで、ミクロなカスタマーニーズからはじまっている。じゃらん時代からよくよく友だちに、「しのー、どっかおすすめの宿ない?」と聞かれていたのだが、3−4宿紹介するとほぼ確実に決めてくれていた。そこで気がついたのは、観光旅行は一般的には年に数回しかしないわけなので、カスタマーがほしいのは数万件の宿やプランの情報ではなく、選択肢が少なくても良いから満足できる宿泊施設の情報なんだと。じゃーその心からおすすめできる施設だけを集めて紹介したら、完ぺきなサービスじゃないか。みたいなノリで方向性が決まった。

秋頃から開発を始め、営業も始め、2013年の2月にローンチをすることになった。当時のローンチまでのプロジェクト管理はとんでもないカオスで、SNSのコンサルティング事業も急速に伸びていたため、リソースは全くない中でいきなり複数プロジェクトを運営することになり大変なことになった。当時いたメンバーはなんと今なお殆ど残っているのだが、あの頃のカオス感は多分全員にとって良い思い出なのではないかと思う。笑 リリースにあたってはたくさんの関係者がいた。Monopoさんがいなければ不可能だったし  、Reluxの名付け親である川辺ようへい君にも大変お世話になった。みんな元気?笑 また、サイバーエージェントチームのタジマさんを始めとした鈴木タカ(2名とも現ジェネシア)や担当キャピタリストの林口さんには出資前からアドバイスをいただくなど本当に助けていただいた。また、雪マジのファーストシーズンで現Wamazingの加藤さんチームもいなければ、会社は間違いなく倒産していた。笑 リクルートの様々な部署にも本当にお世話になりました。

皆さま、ありがとうございました。

余談だが、当時というか今でもなお相当珍しい資金調達だったと思う。というのが、Reluxはローンチ前の企画書の構想だけで、サイバーエージェントさんが5,000万円の出資を決めてくれたのである。シリアルアントレプレナーでもなく、サービスローンチすらしていない会社が5億円前後のバリューをつけて調達するなんてことはありえないが、全く交渉を譲らない生意気な私の(なんなら「じゃー資金要らないです」なんてことをずっと言っていた。マジで生意気すぎてやばい。)、賭けに乗ってくれたたじまさんや林口さんには心から感謝している。

2012年の末頃。本当に5,000万円が口座に着金したときは、これまでコンサル事業で稼いだ利益累計(=預金)を当然、大幅に超えていた。記帳したあのときの瞬間は今でも忘れられないが、たしかなぜか四国にいて銀行ATMで記帳して「えっ」と声が出た。笑 これまでとはまた違う経営責任を背負った瞬間でもあり、身が引き締まった。

満を持してReluxをローンチするが....

2013年2月、ついにReluxベータバージョンをローンチした。コンセプトはもちろんのこと、様々な機能をこだわり抜いて作っていたし、狭いものの宿泊予約サイト業界の中ではそれなりのサプライズがあったと思う。

・満足度の高い施設を厳選していたこと
・不満足だったら宿泊費を100%全額返金をすること
・会員は承認制でクラブサービスのような空間
・国内競合が誰もやっていない最低価格保証(差額返金

じゃらんで働いていた経験から、旅行を検討しているカスタマーの不安は理解しているつもりだったのでそれをまるごと解決するんだということにこだわったサービス設計をし、ローンチさえできたら絶対に流行って予約も相当入るだろうと本気で思っていた。まぁ、仮説は大外れすることになるのだが....

当時は、以下のプレスリリースを打っていた。
今でこそ6,000万円の資金調達などはなんともない規模かもしれないが、当時の市況感では比較的大きめの調達だった。Reluxのローンチと資金調達も同時に発表だし、ドカンと華々しくスタートアップ界にデビューできたぞと。繰り返しだが、すぐに予約も急増するはずだ! なんてことを、当時は心から疑わずにそう信じ込んでいた。結果は全くそうならないか、衝撃的な状態に突入していく。笑

辛口の梅木さんも褒めてくれたので、ホッとしていたのに。


しかし、衝撃的なギャップが発生した・・・スタートアップには大変残酷な事実をいきなり突きつけられるのである。ローンチしたのに予約が全く入らなかった。

サービスもローンチし、アクセスもそれなりにあり、会員登録もあり、予約もできるようにし、華々しくプレスリリースを放ち、宿泊施設も20件の登録があるのに予約が1件も入らない。「1件も」である。私はもちろん社内でも日々「???」な雰囲気であった。仮説と結果がここまで離れたことは人生で1度もなかった。1週間くらいが経過し、アクセスはそれなりにあるし、実は予約機能がバグっているのではないかという風に思い自分で予約をしてみると普通にできる。

当時、開発中だったときのスクリーンショット。

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バグっていたのは、私たちの仮説のほうだった・・・
以下のつぶやきはその時の状況である。フリル堀井くんとのギャップよ。


結果的にローンチから半年弱くらいは、自分や社員や友だちに協力をしてもらい、半ば無理やり予約を増やしていた。インターネットサービスなのに、リアルセールスによって旅行受注をしているのは今思えば大変に滑稽な状態である。笑 当時はまったく笑えなかったけど。

思えば、多くの人たちにもよく反対されてきたサービスだった。じゃらんもあるし、楽天トラベルもあるし、なんでこれ使うの? いらなくないか別に。勝てるはずないし、使われないよと。本当にずっと言われていた。しかも、マーケットとしてもここ5年くらいは大手企業の新規参入がたくさんあったが、ことごとく国内OTA領域では勝ち筋がなく撤退かジリ貧な運営ばかりだったのだ。資本力のある大手企業が参入してもうまくいかないのに、なんでお金も実績もないあなた達がうまくいくの? と、本気でよく言われていた。ローンチして、予約が入らない現実を突きつけられて初めて理解できた難しさだった。

しかし、もちろんそんな声や状態で諦めるはずはなく、暗闇の中をどことなく走り続けた。データも全く無い中(なんといっても予約が無いからね。笑 )で「なぜ予約が入らないのか?」 という仮説を四六時中考え続け、やりたい打ち手リストは常時数百個以上はあった。このときに学んだ大切ことは、経営とは優先順位がすべてであるということである。やりたいことはいつも無限に生まれてくるが、それをどういう順番でどこまでやるかを決めるのが経営者である。同時にはできないのだから。逆に言うと、なぜ今それをやらないかも並行して決めることになる。この登り方の順番でほぼすべてが決まるのである。

ピボットというキャッチーな表現でサクサク事業を移転させていくこともよいかもしれない。しかし、スタートアップを経営していたり働いていたり、新規事業の担当の方は、信じて粘り強く頑張ることの重要性も是非考えてもらいたい。我々がもしすぐに諦めていたら、今日はなかったので。

結果的に夏頃になると、予約が少しづつ入り始めるようになる。特に最初の頃は、予約が1件入るごとにオフィスで拍手喝采だった。「え、これ??本当に?誰かの友だちでは??え、ちがっ。。。。え!拍手!!!!!」みたいな感じ。笑 思い返してみても最高の空気感だった。

流通額がどれほどだったかはちゃんと覚えていないけれど、半年が経った夏頃になると月に100万円以上は入ったような気がした。嬉しくはあったが、ローンチ1年目でこの流通額は、当時横を走っていたスタートアップよりも遥かに遅いし、決して満足のいくものではなかったし、焦燥感しかなかった。ただ、スタートした時のゼロよりはもちろんマシだったので、サービスの手応えは感じ始めていたのだった。社員の一体感や士気も少しづつだが着実に、確実に上がっていった。経営者への信頼や、組織の雰囲気醸成というやつは結局どこまでいっても自社の成長でしか達成できないことを知った。

そんな折、2013年に開催されたアジア最大の旅行カンファレンスWITで数多く出場したピッチコンテストの中では唯一のグランプリを飾れた。笑  シンガポールのSiew Hoonや、柴田けいさんや、浅生さんらと出会ったのもこの頃であり、周りのスタートアップを見ながら絶対にグローバルなサービスにしたいと強く思った体験でもあった。


2014年〜 Relux躍進のとき

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▲富士登山、かれこれ10年連続で登頂した。笑 のぶが写真から切れてた。

2014年頃から3年間程度の物語である。

よく「なにがきっかけで伸びたんですか?」と質問される。起業家なら必ず出会ったことがある質問だと思う。しかし、私の回答はいつも「あれ/これがきっかけとなって、流通額が急増したことは一度も無い」である。

この頃は毎月着実に10%づつくらいは伸びていったし、旅行は月のトレンドが大きいのに毎月連続でギネス記録を更新していった。先にも書いた通り、データもない中でひたすらに様々な機能を乱発していったことは間違いなく効いていたが、「どれが効いたか」は最後までわからなかった。しかし、価値の根幹とも言えそうな点すらも大胆に変更し、常にカスタマー目線で改善を続けていた。

例えばこんなことをやっていた。
・招待制中止→自由に登録でき、非会員にも予約を開放した
・ポイント5%還元→業界最大のポイント還元率をベースにセットした
・アプリローンチ→まだ高級宿のアプリ予約は一般的でなかったが逆張り
・SNSマーケ→当時旅行業界では1社もSNSマーケをやっていなかった
・ジャンル拡大→高級旅館からシティ/リゾートホテルへも拡げた
・Relux Grade→ミシュランガイドのような業界初のスターレーティング
・手紙の送付→旅行者全員に、手書きの手紙を送っていた
・コンシェルジュ→Mail、LINE、電話などでコンシェルジュサービスの提供

など。

他にも大量にあるが、毎月のように大きな目玉機能を乱発していた。社内には常にカオスが生まれながら様々な領域には負債も溜まっていったが、新しいことをして体制が落ち着いていないのにまた新しいことを始めるという異常な状態が続いた。繰り返しだが、単に常にカスタマー目線でほしいものを考え続けてスピーディに大量実行したことの結果であった。かつ、競合サービスでは大きすぎてマネできない、しかしやられると嫌だろうなぁということを片っ端からやり続けたのである。カオスの発生はもちろん分かっていながら、全部を許容した。結果的にこういう1つ1つの施策がたぶん特定の層に刺さっていき、サービスはひたすら拡大していったのだとおもう。

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▲ 2014年のハロウィンパーティ。遊びも仕事も本気であった。


振り返ってみて大切だったことは、なんらかのマーケットが開く瞬間か直後に仕込みをしていたことである。私はそれをマーケットビッグバンと勝手に呼んでいるが、マーケットのドアが開いたその瞬間はその領域(マクロ)が必ず四方八方に立体的に伸びていくという意味である。そのカーブにきちんと乗っかりながら舵取りをすることは、大波に乗るサーファーのごとく勝手に前へ前へと進んでくれるのである。カテゴリ競合も当然多く現れるから波から振り落とされることもあるが、飽和したマーケットで戦うよりも遥かに良いし、日本は他国に比べるとカテゴリ競合が明らかに少ない。マーケットビッグバン期はイノベーションのジレンマも多いため大手企業は静観していることも多く、スタートアップにとっても有利な試合運びができる。

我々が起業してからいくつものビッグバンは存在したが、そのうちのSNSマーケットとアプリマーケットと訪日旅行マーケットの3点においては遅れつつも捉えることができたのはとても大きかったと思う。ちなみにこんな発想が予めあって戦略的に狙って捉えていたら格好良かったのだが、後から偶然それに気がついただけなので私は常に運が良いだけである。笑 たとえば、メルカリ社なんかは完全に狙ってそこを突き、センスも高いし、チームもすごすぎたのであーいうことになったと思う。ところで、ここ1−2年で起こっているビッグバンといえばYoutubeなど動画コンテンツ、AIなど機械学習領域、クラウドサービス(SaaS)などがある。またこれから必ず来るものは、ブロックチェーンや、オフラインコンテンツのオンライン化(コロナによる追い風)、そしてセットで重要な5Gである。正しい戦略は、いつもこのビッグバンを早期に見極め、総力をあげて投資することによって将来価値を創るようなものである。まぁこれについては長くなるので、今度別の記事にでもアップしたいと思う。

この頃は、人や組織の面も最高に機能していた。
マーケティング執行役員でジョインしてくれたリクルート同期の宮下がいなければ、Reluxがマーケティング面でこんなにもうまくいくはずがなかった。実は創業した直後からお世話になっており、もはやほぼ共同創業者であり心から感謝している。(彼も実は3末で退任して、まさかの古巣のリクルートに戻る。笑)

インターン生や新卒で入ってきてくれたマーケメンバーも抜群のバランス感に優秀さだった。新卒1年目からRelux編集長へ大抜擢したり、プロモ全部任せたり、事業開発のサポートをしてもらったり、とにかく若いメンバーにこそ権限を大胆に渡してチャレンジしてもらうようにしていた。スタートアップは広くいれど、インターン生の最前線での活躍はトップクラスだったと今なお思っている。今日現在でも、中核で活躍しているメンバーだらけである。
また、部長/マネージャークラスにも強力すぎるベテランタレントがたくさん採用でき、それが今日の基盤につながっている。前職で数百人から数千人の規模への人事を担っていた徳山がいなければ弊社がここまで組織や採用でうまくいくことは決してなかった。CFOのPEからきた上原さんや、事業開発の総合商社で北京からきてくれた河村さんらも同様である。他にも事業開発、組織、総務、エンジニアほか。この前後期間に、どんどん優秀なチームメンバーが入っていった。社長の仕事は採用と捉え、最優先でみていた。

また、投資家としてはシニフィアン朝倉さんと千葉道場の千葉さんが仲間に加わり、感覚的には厳しいパパと優しいママであった。パパ(朝倉さん)が「ここどうなってるんじゃい」といつも戒めてくれて、ママ(千葉さん)が「よしよし。頑張ったんだね。もっとこうしたらよかったんじゃないかな?」と、励ましてくれた。今考えてもこれは最高の社外取締役&顧問のバランスだったと思っている。笑 千葉道場コミュニティには何度も何度も相談しあい、たくさん助けていただきました。

公式アンバサダーを3年間してくださっている香川真司さんとの出会いもまた大きな転機だった。親友のTくんを介して出会い、Finc溝口や前田ゆうじ君や岡島悦子さんや今野さんらとはドイツを巡ったりもした。当時の真司さんはドイツのドルトムントで活躍しており、また日本代表の10番も背負って戦っていた。香川真司さんがメインキャラクターになってくれたおかげで、リブランドしたばかりのRelux認知は急浮上し、実績も着実に伸びていった。思い返してみても期日の短い大変なプロジェクトだったが、やりきった後の温泉&ビールは最高だった。
※公式アンバサダー就任は2017年なのでこの後である。

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▲ドイツドルトムントで初めて会った時。懐かしいなぁ。

当然、これらの様々な同時多発的なプロジェクトプロセスの中ではたくさんの課題にも直面していたが、そのたびにオペレーションの工夫が増えサービスは拡大していったので、常にピンチはチャンスの精神が芽生えていった。当時いたエンジニア(2020年3月までいてくれた)の言葉は今でも覚えている。「エンジニアは繰り返しの作業を楽にすることだけが使命なんですよ。だから繰り返し発生して面倒なことはなんでも頼ってください」と。これは今なお完璧な表現だと思っているし、とてつもなく頼もしかった。人力で運用していた多くのことを、どんどん仕組み化していきオペレーションエクセレンスを目指していった。とはいえ、成長もしているから永遠にエクセレンスな状態と言えたことはない。嬉し悲しいジレンマではある。

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▲15年末の忘年会。みんなありえないほどいい顔してるでしょ。笑 

また、資金調達額もどんどん増えていったわけだが、私は相変わらず驚くほどケチな経営スタイルであった。オフィス移転はいつもギリギリサイズだし、福利厚生は少ないし(ストックオプションでカバーしようと考えていた)、締め会のディナーは質素・・・。努力や工夫で解決できる限界を超えた場合にのみ、初めてお金を使うようにしていた。努力や工夫で解決をする前にお金を使うと、財務不利な会社になってしまい長期で勝てないと思っていたからである。

と、こんな感じで経営者として執行面もあらゆる取り組みを導入していった。採用、育成、実行、管理、総務、開発、営業、提携、デザイン、イベント運営、資金調達、他。なんでもやるべきことを自分も手を動かしてたくさんやった。気がつけば10億円くらいの調達までは完了していた。(ってそこにも膨大な物語があるのだが割愛。笑)

ところで、なんかここまで良い話しばかり書いてしまった気がしたけれど、全くもってダメだったうまくいかないこと、大量の悔しい体験はある。一例をあげれば、ピッチ(コンテスト)やPRといった面では連戦連敗していた。私たちのサービスは魅力がニッチであったし、SaaS系サービスやメルカリといった先端技術の詰まったプロダクトではなかった。ビジネスモデルもどちらかというとオールドスタイル。いわゆるスタートアップのピッチコンテストにはいくつも出たが、先のWITを除くと連戦連敗が続いていた。ひどいと予選すら超えられない。笑 テレビ取材もスタートアップ他社はたくさんあったが、うちはなかなか取り付けられず苦戦。

PRとかピッチコンテストなんてものは事業成長には関係ない。なんてださい負け惜しみをしていたが、これだけ優秀で頑張ってくれているメンバーたちに対して社会からの称賛を持ってこれないという自分への不甲斐なさを、実はよく感じていて申し訳ないと思っていた。ごめんよ、みんな。

KDDIグループへのジョインとその理由

そうこうしていると(だいぶストーリーは飛んでる)、2017年に転機は訪れる。KDDIグループから突然のM&Aオファーをいただき、ご存知の通り受諾することになる。当時の私たちはIPOを目指して爆走していたため、全く脳内にそのようなオプションはなくてまさに青天の霹靂であった。

実は、当初はM&Aのオファーをお断りし続けていた。「IPO目指してますし、まだ自分たちで資金調達して成長させられるので大丈夫ですと。」キャッシュポジションも特に問題はなかったし、この頃になると出資したいという話もたくさんあったし、プロダクトやマーケも順調、組織コンディションも最高だったし(創業からこのタイミングまで離職者が1−2名しかいなかった。!) なぜわたしたちがM&A? 受けるわけないじゃん。と率直に思っていたことを今なお覚えている。

しかし、ご存知の通り最終的にはそのような意思決定をした。これは短いアントレプレナー人生の中でもっとも悩んだ瞬間だと思う。ではなぜ、M&Aオファーを受け入れたのか。

これだけでも実は数千文字以上は書きたいですけど(笑)、この意思決定には当時KDDIの副社長だった現社長:高橋さんや、名前は伏せるが担当部長Kさんチームの協力や影響は多大で、LUXAの村田さんにもそれはもう大変にお世話になった。今なお、皆々様には心から感謝をしています。このディール検討期間中は本当に事業や思いについて、たくさんのことを話させてもらった。

意思決定に至った最終的な理由。要約すれば、独立独歩でIPOをした場合と、M&Aを受け入れてKDDIグループに入った場合の事業サイズや視座の高さの差である。毎年の営業利益基盤はまさに桁違いであり、会員数や店舗などのアセットも豊富であり、私たちが独立して経営することと比較してみてもできることの範囲は異次元である。もしその大きな船の中で旅行代理店の経営ができたら、それこそ超大手旅行会社と対峙できる未来が近づくかもしれない、と。議論を重ねていく中で、私はワクワクする気持ちが大きくなっていった。また、当時すでにいわゆる競合類似サービスは全て大手企業の資本下にいた。リクルートじゃらん、楽天トラベル、Yahoo一休である。そこと対峙していくためにも、KDDIファミリーに入れた場合のアセットには、大きな魅力を感じ始めていた。

今でもこの意思決定には後悔がないし、実際にこの3年間では大量の学びがあった。

もちろん、公開はしていないが買収金額も重要であった。ここ数年来のインターネットサービス買収額としては非常に評価していただいたことの満足感はあったし、何よりも小さな会社に賭けて早期からジョインしてくれた社員や株主全員にも大きなリターンを返せたことは自分にとって大変重要な意思決定ポイントだった。信じてリスクを取ってくれた全員に、改めてとてつもなく感謝をした。

そして、我々はKDDIグループにジョインをした。これがちょうど3年前、2017年2月28日である。実はわたしの33歳の誕生日当日がクロージング日だったので一生忘れないと思う。笑   狙ってないです。

社員みんなに発表した時のプレゼンも一生忘れられず、とてもドキドキした1日だった。その時の気持ちは、Facebookにも投稿をしていたのでこちらも参考までに。

2017年〜 激しいPMI、グロース、利益コミット

KDDIグループにジョインしてからちょうど3年が経過したわけだが、1年毎に要求レベルの高いチャレンジがたくさん与えられ、これはポジショントークでは一切なく本当に楽しく難易度の高い仕事ができ、良好な関係を構築しながら経営者としても成長させていただけた。たくさんの迷惑もかけたし、バトルもしたけれど、いつも応援してくれながら仕事をすることができた。

このTweetはまさに私のことでもあったし、私が組織に対して意識していたことでもある。

ところで当時、33歳でKDDIグループに入ったわけだが、グループ子会社の中では最年少社長だったらしい。そのため、倫理委員会や監査役の皆様からは常に危険視(?)されており、たくさんのことを教えていただけた。笑  これは今思えばとてつもなくラッキーだったし、やりがいを感じていた。

1年毎に様々なイベントがあったので、思い出深いことを書いてみる。

1年目:PMIの洗礼
機密情報も多くあり具体的にはあまり書けないのだが、買収後はいわゆるPMIプロセス(Post Merger Integration)に苦労した。やりきるには1年はかかるだろう宿題がぎっしりつまっており、300行近いエクセルのタスクリストには目眩がした。ごめんな、ますおさん。(当社の社員で経理/総務の責任者)っていつも思ってた。しかもこの1行1行が信じられないほど大変なタスクであった。「労務管理の徹底よろ」「稟議システムのフロー構築よろ」「取締役会、経営会議の権限規定よろ」みたいな具合で、その1行だけでも会社全体には非常に大きな変化になるし、メンバーにこの部分はどうやって説明していこうかなぁ? なんてことをずっと考えていた。本当に大変だった。

というのが、経営者とメンバーの間ですれ違いが起こるのは、ひとえに情報量の差によるものだと常々思っていた。メンバーとは当然に持っている情報量が違うから、向かっている方向が合っていないように見えることが度々ある。たとえばすぐそこにある桃源郷のような場所があっても、明日から史上最大の猛烈な台風が来ると分かっていれば向かわないわけだが、その情報を知っていない人からしたら「なんであんな最高の場所に行かないんだよ、うちの経営陣はバカなんじゃないの?」となる。簡略化して書いたが、経営していると往々にしてこういう事が頻繁に起こる。だから、意思決定をして大きな変化が伴うときは、1つ1つ丁寧にWhyを伝えていくし、基本的にはあらゆる情報をオープンにしてきた。なぜ今これをやるのか、やらないのか。これは優れたリーダーの重要な特徴の1つであるとも思っている。

しかし、このPMIプロセスは振り返ってみても本当に学びの宝庫であった。KDDIは日本最高のガバナンスレベルであるため、これらは一般的なIPO準備+上場企業運営基準のさらに強力Verという感じなのではないかと思うし、実際にそうであった。進めながら、なぜ経営や組織にはガバナンスが必要なのか、PMIにおける優先順位付けの意味や意図、各タスクの目的やオペレーションの意義など。そもそも買収時には意思決定の履歴も適当、決算締め日はバラバラで漏れだらけ、稟議システムすらない。という今思えばありえないほどのひどさであった。感覚としては、田舎の高校で適当にトレーニングや試合をしていたサッカー選手が、いきなりヨーロッパの一部リーグに入るような感じだと思う。様々なプロジェクトタスクフォースが雨後の筍のように立ち上がり、大量の意思決定をしながら実行していった。

また、この2017年には香川真司さんが正式にReluxアンバサダーへ就任してくれて、初めてのプロモーションムービーも作った。一緒に箱根へ旅行しつつ、ずっとカメラを回した。大変短い準備時間であったが、なんとかかんとか良い形になった。

「タクシーで見たよ!」と何百回も言われて、とても嬉しかった。

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▲激務で短い日本滞在日程の中、会社にも遊びに来てくれた。


2年目:グロース

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▲PR担当者も大活躍し、ここ数年は大量のメディア掲載があった

1年目も当然グロースに力を割いていたわけだが、PMIプロセスがほとんど完了して安定機動に乗りつつ私もグロースにコミットできるようになった。中長期グロース、経営戦略への時間投資、OKRの策定、人事制度、研修設計など。今もなお、組織、プロダクト、営業戦略、技術戦略のコアになっているものは、ほとんどこの2018-19年の1年をかけて全て作った。またこの年は1年間で、メンバーも一気に100人近くを採用した。人数が倍になると、根本的に仕組みを見直さなくては立ち回らなくなるところがたくさんあったので、その辺りも細かい点まで一緒にメンバーらと考えながら総見直しを行った。徳さん、ごめんよ(=人事責任者)って毎日思いながら、鬼のように無茶振りをしまくっていたが、全部をこなしてくれた。特に、Wantedlyでは常に上位に君臨しており、通期AWARDを受賞できて登壇している姿は本当に嬉しかった。

また、この1年は門奈にまかせていたグローバル戦略も一気に花が開いた。上海に子会社を作り、現地採用もすすめていった。訪日旅行代理店としての地位を確立でき、ほんの数年という短期間で一気に超大手代理店を全て含めても日本の10番手くらいにまでのし上がることができた。

また、全国各地への営業拠点もどんどん増やし、沖縄、福岡、大阪、札幌、東京とローカルエリアへの戦略のスピードを上げた。まさに、グロースのための打ち手を超連続的に放つことができた1年間だった。

しかし思えばこの年の後半あたりから、私はいよいよ何もしなくなったと思う。何もしないというより現場実務をほとんど見ないという状態で、意思決定だけしたらあとは後方からサポートをするくらいのものである。優秀なメンバーがたくさん増え、最終の意思決定や相談にだけ答えつつ、あっちこっちと一緒に相談には乗りながら多くのプロジェクトを進めていった。もちろん、この期間中でも私自身が直接立ち上げに関与したプロジェクトはたくさんあるが、基本的にはOKR(追うべき指標)を策定し、その達成に向けてやりたい人が手をあげてやるこの指止まれ方式で、ガンガン進めるような形になれた1年だった。ようやく取締役業になったといった感じである。

結果、その時点でもそれなりの規模にはなっていたが、サービス流通額は倍以上も伸ばすことができた。

またプライベートではあるが、東京大学のExecutive Management Programにもこの忙しいさなかに通っていた。半年間、金土フルコミット、朝から晩まで、宿題は書籍が100冊超というとんでもないスクールで、学費はまさかの600万円もかかった。笑 ただこの体験はまたとても貴重で、きっと学生の頃は興味が一切なかったであろう人類の様々な課題や難題をメタに捉えることができ、また先端研究の現場にも何度も脚を運んだのはとても貴重であった。かけがえのない仲間も増え、今でも交流がある。自分自身のOSアップデートを感じられた1年だった。

3年目:筋肉質な経営へ
今年の2019→2020である。創業からどの1年を切り取っても、辛くなかったことは1度たりともない。1度もないのだが、特にこの直近の1年間はなかなか苦しかった。通期利益を出すという計画へのコミットにより、あらゆる領域のコストを大胆にカットしなくてはならなかったのである。コストをカットするっていうのは字で書くよりも、内情はとんでもなく大変である。広告費を削ればトラフィックは純減するし、販促費を削ればCVRは悪化するし、人件費を削れば組織は回らなくなり負荷が誰かにかかるし、でも売上は増やさなくてはならない。この1年を乗り越えられたのは私というよりも現場を牽引してくれている各部長やメンバーなので私よりもメンバーの方がつらかったと思うし、心の底から感謝している。また官報が出ると思うのでその時のお楽しみに。

経営者としてとにかく難しかったのはコストは3分の1へ圧縮するが、トップラインはきちんと伸ばしながら黒字化を目指すということだった。いつ何時もORではなくANDを取ることこそ重要と思っていたが、コストを3分の1でトップラインは伸ばすっていうのは始める前からむちゃくちゃな計画だったし、幾度となく組織間の衝突も発生した。ただこの1年間でそれに取り組めたことは本当に勉強になったし、コロナショック前にできたことにより、偶然の産物だが盤石な財務体制になれた。(もちろんまだまだ足りないけど)

どう進めてきたのか。
とにかく様々な面を財務モデルから検証しなおし、このコストは使う、これはやめる。ということをザクザクと決めていき期初より大胆に変化させていった。特に大きく変わったのが、組織構成や体制、そして広告費や販促費などの見直しである。特にマーケティングチームが主導となり昨年末にローンチしたRelux会員ランクなどは数億円以上の利益寄与となり、インフルエンサーマーケティングでも圧巻な成果、また、広告運用チームはこの1年間でCPAを半値近くにまで削減できた。控えめにいっても全てのスタートアップの全てのマーケターを横断的に評価したとしても、とんでもなく高い成果を出せた1年だと思う。

・本田直之さんに多大な協力をいただきながら実現した、Inspire by Relux


・サウナ友だちの東海オンエアとしみつくんともついに初コラボ!


そんな中でわたし自身はというと、この1年間ではさらに実務からは離れることができた。現場メンバーも驚くくらい私の存在感が消えていたことと思う。私がやってきたことといえば経営戦略の策定や進捗のモニタリング、OKRの設計、人事組織の設計、定例会議は経営会議とプロダクト会議(デザイン)くらいなもので、あとはプラプラ歩いたりSlackをするくらいであった。もちろんそこに多大な労力を投下していたけれど、これほど実務を見ていないという状態は創業から初めてだった。これこそメンバーみんなのおかげであり、また次の項で述べる退任理由にもつながっていく。

時間バランスはたぶんこんな感じで、大胆なリスクや特別な後方支援はしつつも、現場は一切見ずにメンバーを信頼して任せきる。といういわゆる取締役業に集中できた1年だった。最初から退任する予定があってこうしていたわけでは本当に全く無いのだが、結果的にはこの体制がゆえに安心して退任できるようにはなっていた。

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なぜ、このタイミングで退任するのか

って、私が今回一番伝えたかったのはこのパートだったはずなのですが、回想に熱くなって長くなってきたので読むのも疲れてきましたよね。笑 後少しがんばって続けます。

2019年10月頃から考え始めていて、12月頃には自分の中で今後の方向性を決め、最終的に内部で確定したのは1月中旬頃のことなのでまだついこの間である。いろいろなオプションを考えつつも、この決断に至った。

いきなり蛇足だが、実は新型コロナウイルスがここまで広がるとはその時は全く思っておらず、もしかしたら退任タイミングが悪いかもしれないと少しだけ思っている。また、本件に対するアクションへの陣頭指揮を全く取れていないことは心からの申し訳なさがある。一方、リーマンショックでサラリーマンが始まり、震災の年に起業していることもあってか、それはそれで新しい経営陣や組織を強固にするチャンスでもあるとも思って冷静で引いている自分もまたいる。蛇足おしまい。

一言でいうと、私自身の存在価値がどんどんと逓減していて業務のほぼ全てを現行メンバーに任せられているし、組織として必要な役割が変わってきたという点に尽きると思う。これはつまり頼もしいメンバーや執行体制のおかげでもあり、また私の経験が邪魔になってきていることに起因している。ちなみに念のため再度の補足をすると、誰かと揉めてとかでは全くないですし、私が経営するのがつまらなくなったわけでもないし、むしろめちゃくちゃ楽しく権限もある役割/環境でしたが。笑 さらにいうと、何か新しくやりたいことが見つかったわけでもないし、もう一回起業しようなんてことも今時点で全く考えていない。まぁ未来のことは朝令暮改になるかもしれないので、話半分でいて欲しいですが。笑

前項でも伝えた通り、この1年間は特にほとんど全く実務を見ていなかった。もちろんそれゆえのトラブルもあったし、一部のクオリティ低下もありお叱りを頂いていることも重々承知していたが、前には出ずに後ろからサポートをすることに徹した。パートナーさんや社内のメンバーによってはこれが無責任に見えていたかもしれないし、口だけで何もできない人に思われていたかもしれないけれどそれで別にそれで良かった。もし、私が昔の癖でサッと手を差し伸べてしまうと、成長機会を失ってしまうし、直接的な問題解決には全く繋がらないからであった。結果的にはみんなのオーナーシップは高まったし、さらに組織も強靭に成長していき、懸念していたことはほとんど顕在化しなかった。そして、私の居場所はほとんどなくなった。嬉しいような、悲しいような。

また、わたし自身は2007年頃からリクルートのじゃらんに入り、かれこれ13年近くもインターネット x 旅行業界に身をおいており、今なおほとんどの意思決定を直感的にジャッジしてしまうようになっていた。プロダクトやデザインや組織や戦略もあらゆるシーンで、ほとんどは経験によって「これはGo、これはNo」と判断し、それを補完するためにデータがあるような感じだった。私が悩んでいるシーンを、ほとんどの人は見たことがないと思う。カスタマーが欲することは今も手にとるようにわかるし、クライアントさんが困っていることもわかるし、良くも悪くもあらゆることが瞬時にジャッジができてしまう。だから、私の直感がNoであるのに、データは論理的にGoと言っている時ほど意固地になることはよくあったし、これは経営プロセスにおいては極めて大きな問題だった。これらは私の能力自慢でもおごりでもなんでもなく、むしろ課題であった。

いずれにしても、これらが退任することの理由である。もし万が一何かを任せられない組織やメンバーだったり、経営陣の舵取りが不安だったり、会社が成長していないなどあれば尚の事、退任することはできない。もちろん、不安が0%かと言われると嘘になるけど、メンバーへの信頼は100%である。だから任せて退くことを選んだし、退任のコンセンサスが取れたあたりからは意思決定には一切タッチしていない。すべて新しいチームで決めている。だから特に、2020年始からは存在感(みんなからの)も大幅に逓減したことと思うが、それこそがむしろ新体制に移行するためにも大事だった。とはいえ、3月初の説明までにあった謎の空白期間は心から申し訳ないと思っている。ごめんなさい。

ここまでの話しは、もしかすると私の自慢/驕りなエピソードに聞こえてしまうかもしれないが実際はそんなものではまったくなく、むしろ恥ずかしい話である。まさにこのわたし自身の実経験に縛られて経営されている状態こそが、これからのReluxにおける最大の負債なのだと感じていたのである。このようなわたし自身のスタンスこそがメンバーの失敗機会を逓減させ、つまり成長機会を減らす。Reluxがどんどんとコモディティ化する、場当たり的な方向へ向かっていく。重大な意思決定や方向を決める際に(悪い意味で)いつまでも頼られ、オーナーシップが醸成されない。もっと本来は業界の経験がないからこその知識や知恵をふんだんに用いるべき局面である。しかし、私がいるとそれができずに制止してしまうし、それは全くよくない。これは私のみならず、スタートアップCEOは常に気をつけなくてはならない、重要なポイントであると思っている。

といった感じで、年末年始には最終的に自らの気持ちを整理していき代表取締役社長は退任の方向性を取りたいと考えた。御託を並べた綺麗事に聞こえるかもしれないが、これらはすべて本音である。

ところで、社内での退任発表は今月早い段階で済ませていたのだが、コロナショックにより社内イベントをすべて禁止していたゆえまさかのオンラインになってしまったのはとても悲しかった。安全面から仕方ないし集めるわけにはいかなかったが、みんなの前で退任の発表ができず、空気がわからないままオンラインの映像で挨拶をしたのはつらかった。卒業式など重大なイベントが中止になった学生の気持ちが痛いほどわかる。涙

謝辞 お礼をお伝えしたい皆さま

謝辞を書いている時間が一番泣けます。本当に多くの人に支えられて、会社があったんだと改めて思いました。個人名でコメントを言うと誰か忘れてしまいそうなので、ここからのほとんどは名前には言及していませんが感じてください。笑  なお、特に順番にも意味がありません。

Relux会員のみなさま
Relux会員は気がつけば世界中で200万人を超え、今なおとても勢いよく増えています。皆さまが旅行をしてくれたおかげで、私たちの会社があります。今なお未熟なサービスで、使い勝手の悪さや、時に迷惑をかけてしまうこともありましたが、たくさん応援いただけたことが嬉しかったです。実は、Relux宛に記載できるカスタマーコメントは、今日までほぼ全てのレビューに目を通しており、たくさんの叱咤激励によってサービスが成り立っていましたし、私の強烈なやる気の源泉でもありました。祖父母や両親とのファミリー旅行、カップルでの記念日旅行、大切なプロポーズ、子どもとの家族旅行、女子旅でのんびり、卒業旅行で最後の思い出、ビジネストラベルでの普段利用など。あらゆるシーンで使ってくれたことが、本当に嬉しかったです。

Reluxのコアバリューはこれからも不変ですので、ぜひ末永くよろしくお願いします。本当にありがとうございました。

メンバーのみんな
Loco Partnersを創業した日から今日まで、ジョインして頑張ってくれていたみんなには大変感謝しています。どの期間を切り取っても本当に壮絶なドラマがあり、たくさんのことがありましたよね。震災や台風などの天変地異、トラブル、課題、流行の変化、大炎上、目標達成、社内イベント・・・。

まさに諸行無常。たくさんあった中で、8年超もLoco Partnersはずっと倍々に成長し続けることができました。これはこの期間に生まれたスタートアップ全土を見渡しても、もちろん上を見てもたくさんいるけれど、なかなか奇跡的な状態だったと思っています。
これはReluxというサービスだけではなく、紛れもなくみんなのエネルギーのおかげでした。今なおLoco Partnersという会社自体が最高のプロダクトだと思っているし、日本を代表するような最高のチームだったからだと思っています。本当に本当にありがとうございました。これからは外からになるけれど俄然応援してますし、たくさん予約しますので色々教えてください。笑 なにより、困ったことがあったら変わらずにいつでも頼ってください、全力でサポートします。

宿泊施設、クライアント、パートナーの皆様
Reluxは一番最初にご契約をいただいた湯主一條さん、稲取温泉 浜の湯さんから始まりましたが、今ではなんと3,000施設超の施設様に支えていただいています。今なお未熟で、トラブルも多くあるOTAであるにも関わらず、皆さまにたくさんの叱咤激励をいただけたおかげで今日があると心から思っています。皆さまの多大なるご支援、本当に心から感謝しています。ありがとうございました。これからも大好きな国内旅行はプライベートでたくさんしていきますので、日本のどこかでお会いできたならば嬉しい限りです。

また、広告代理店の皆さまや、提携先や、お仕事を頂いたり、制作などパートナーシップを組んでくださった方にも心からの御礼を申し上げます。いわゆる受発注の上下関係があまり好きではなく、フラットに親しき仲にもなんとやらを心がけてきたつもりでしたが、足りない面も多々ありました。ただ紛れもなく、皆さまのようなパートナー様らがいてこそのReluxであったことはこの場を借りて申し伝えさせてください。本当にありがとうございました。

株主やKDDIの皆様
創業から今日まで、たくさんの方にご出資いただき今日にたどり着きました。先にもお出ししたCAVさんやリクルートさん、トライアム森さん、大塚さん、千葉さん、朝倉さん、GB百合本さん、立岡さん、そしてKDDIの皆さま。社長としてずっと未熟だった私でしたが、皆さまのおかげで書ききれないほどたくさんのことを学ばせていただきました。また、縁がなかったのに継続して応援してくださるVCの皆さまや、事業会社の方も本当にたくさんいらっしゃいました。

特に、この3年間はチームKDDIの皆様に多大すぎるサポートをいただけたおかげで、今日までのグロースがありましたし、私も成長することができました。ここでは個別の名前は差し控えますが、皆さま本当にありがとうございました。

家族や親族や起業家仲間、先輩に後輩。
>家族、妻と娘と息子と親族みんな
平日はまったく家に帰らず、ずっと留守にしているのに何も文句も言わずに支援してくれた家族。家では仕事の話は全くしないけれど、そのおかげで毎週フレッシュな気持ちになり仕事にも集中できました。笑  

本当にありがとう。

>起業家の友だちや大先輩や後輩のみんな
メンバーとは違った形で苦楽を共にすることができ、一緒に会社が大きくなっていき、1つのスタートアップ時代を作れたことは本当にかけがえのない時間であり、幸せでした。たくさん笑い、壁を話しながら乗り越えてきた戦友や、全くリターンがないのに相談に乗ってくれていた先輩方。皆様のおかげで先回りして課題を潰せたこと、間違いなくそのお陰で今日までのグロースがありました。損得勘定で生きている友だちが多いので、退任した直後から急に連絡取れなくなるんじゃないかと不安です。

本当に「社長は孤独」なのだろうか?


「社長は孤独」なのだろうか?

ところで、会社の社長というのは一般的には孤独で寂しいらしい。誰にも相談できないし、社員は頑張っててもなんか気持ち汲み取ってくれないし、ピンチも一人で抱えなきゃだし、とかいうのが一般的な理由らしい。

実は創業してから1度もそのような感情を持ったことがない。正確にいうと創業したときは私一人しかいなかったから、めっちゃ寂しかったけど(笑)、それ以降では本当に一度たりとも感じたことがない。なんでだろうって思ったんですが気がついたんです。それはメンバーみんなのおかげなのだと。なんかあからさま過ぎて社交辞令ぽいけど、本当にそうなのです。

私はいつもプラプラとオフィスを歩きまわって、たまにお菓子とか差し入れを買ってくるだけの何もしない社長に見えていたと思うけれど、みんなのおかげで今日までそういう感情を持たずに、全力で助けて挑戦をさせてもらえていたんだと気がついたのです。創業してから本当にひと時たりとも孤独な気持ちにもならず、明るく楽しく出社ができました。今日は会社へ行きたくないと思った日は一度もないですし、実は胃がキリキリしたことすらも数えて3−4日くらいしかないです。(二日酔いでまじで死にそうな日は幾度となくあった。笑) いつでも飲みに気軽に誘えるし、ランチもミーティングもフランクにできたし。あとそうだ、そのおかげもあってか、創業してから1度も風邪などの体調不良で会社を休んだことがありません。皆勤賞。

私がみんなを応援する。機会を作る。チャレンジを支援しているんだ。と、ずっと思っていたのです。確かにそういう側面はあったし、全員の人生を預かっているという責任感は常に持ちながらフェアさを大切に経営をしてきました。だが、実際のところは全く逆だったのです。実際は、私がみんなを応援しているつもりだったけどみんなが私を応援してくれていて、支えてくれて、無茶振りに答えてくれて、私にチャレンジをさせてくれていたんだってことに気が付いたのです。だからこそ、私は寂しさなんてものを微塵も感じず、恐れずに、大胆なチャレンジがたくさんできていたのだと。まぁ憂鬱とか悩みはもちろん少しはあったけど、明るく捉えて「これは誰に相談しよう」「ちょいミーティングで言ってみよう」などすぐ動けたおかげで陰鬱にはならなかった。なによりフラットになんでも言い合える仲が心地よかった。

こんな文章では半分以下も伝わらないかもしれないけれど、これまで関わってくれたメンバーみんなには感謝してもしきれないわけです。本当にありがとうございました。今もみんなのことは大好きですし、これからもいつか点がつながる日を楽しみにしています。そしてLocoの成長を楽しく見守っています。

おまけ: これからなにをやるのか?

(カーテンコールが何度もある舞台みたいになってきた)
ちょっとさすがに長くなりすぎるのでここの詳細は割愛し、4月以降も徐々に発表していけたらと思います。経営支援、エンジェル投資、社会的活動などはしていく予定です。

是非、TwitterやInstagramや繋がってる方はFacebookにでも登録をしておいてくれたら嬉しい次第です。
※アカウントはすべて@shinojapan です。

が、実は1つだけ決まっていることがあります。

まさかのYoutubeチャンネルを4月から始めます。4月頭から動画をアップするので、ここまで読んでくれた方はぜひ事前に登録しておいてくれたら嬉しいです。これが実は一番不安で憂鬱です。

今ならば、登録者数で100番以内をGETできるチャンスです。


ということで、とっても長くなりました。そして、今日まで大変大変お世話になりました。皆さまには心から感謝をしています、本当にありがとうございました。

そして、これからも変わらず株式会社Loco PartnersやReluxのご愛顧、並びに篠塚 孝哉をどうかよろしくお願いします。


2020年3月24日

篠塚 孝哉

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