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「マッサゲタイの戦女王」刊行記念エッセイ 第2回 騎馬民族の醍醐味

騎馬民族といえばなんといっても「後背騎射」英語では「パルティアン・ショット」と呼ばれる、馬を走らせながら後ろ向きに矢を撃つ神技弓技。

パルティア王国は紀元前247年-後224年にイラン高原とその周辺を支配した国で、正しくは「アルサケス朝パルティア王国」なのですが、場所がイランなのと、ペルシア人と近縁のイラン系民族なのと、前王朝だったギリシア系セレウコス朝からの文化的脱却を目指してアケメネス朝ペルシア帝国の後継性を織り込んでいたのと、次にサーサーン朝ペルシアが興ったことなど、もろもろの事情から「ペルシア千年の栄光」の系譜に盛り込まれている王国です。

西洋名「パルティアンショット」こと「後背騎射」は、パルティア人が台頭してくる千年以上も前から東は匈奴、突厥、西はスキタイといった騎馬民族のお家芸。なのにパルティア人の得意技としての名称が定着したのは、この騎兵王国パルティアと繰り返し戦争し、「後背騎射」に苦しめられた最初の西洋の国、ローマ共和国のせい。

重装歩兵の集団戦法が基本だったローマ人にとって、自在に馬を操り、あらゆる方向から矢の雨を降らせ、高速で奇襲をかけては離脱するパルティアの騎兵の集団には打つ手がありませんでした。

パルティア騎手(つまり騎馬民族)の射撃範囲は260度だそうです。
撃てないのは利き腕の後ろの100度だけ。
射程距離は150m。
1分間に8本から10本の矢を連射するのが平均だとか。
しかも、この時代、まだ鞍やあぶみは発明されていません。手綱を付けるための馬銜(はみ)は何千年も前に発明されてますが、鞍と鐙が登場するのは紀元後のこと。騎馬民族と対抗するために乗馬を取り入れた漢やローマといった定住民族によって、作り出されたものです。

マッサゲタイ人やイラン人、その遠縁にあたるスキタイ、匈奴は、鞍も鎧も使わずに疾走する馬を下肢だけで操り、両手には弓矢を構えて上体を後方に捻り矢を放つ。

ギリシア神話に描写されたケンタロウスそのもの。

彼らは人類の最古の記憶ともいえる神話の時代から、存在していたということですね。遊牧と騎馬は農耕よりもはるかに歴史が古く、連綿と続いてきたライフスタイルなのだと想像して、本書を執筆しました。

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マッサゲタイの戦女王


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